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「社会人として恥ずかしい」と言われたら

「エポケェェェ!!」

と言ってびっくりさせよう。「チェストォォォ!」みたいなノリで言うのだ。

「靴に穴空いてるなんて、社会人として恥ずかしいわ」
「エポケェェェ!!」
「ビクゥゥッ」

みたいな使い方だ。相手が「ビクゥゥッ」となって尻餅をつくレベルで言おう。

「エポケー」とは、昔哲学者のフッサールって人が言い出したことだ。

「何かを判断するときは、常識だったり、道徳観だったり、先入観だったり、そういうものを利用して判断している。なのでそういうの一旦やめて、ちゃんと考え直してみよ。そうすれば思考停止せずに、真理に近づけるよ。」

っていう考え方だ。日本語では「判断停止」とか言ったりする。こういう「〇〇はXXだ!」みたいなやつは決めつけでしかない。

「真実の愛を見つけた」も決めつけでしかない(真実かどうかの判定が不可能)し、
「地球は丸い」も決めつけでしかない。(実際は楕円だし、でこぼこしている)
「おしっこは汚い」も決めつけでしかない。(おしっこに雑菌はいない)

このように、だいたいの事象は今まで自分が得た知識体系から判断し決めつけている。

そんなとき、「ほんとうにそうだっけ?」って思えば新たに気づきが得られようものなのに、決めつけちゃうもんだから新たな気づきは得られない。一種の鎖国状態に陥る。

この鎖国状態の相手を、固く閉ざされた重厚な分厚い門を、あなたの大きな声量でぶち破ってやるのだ。

「ぃぃぃィエポキェェェぇぇぇえええ!!」

だ。

きっと相手は「こいつ頭おかしい」といって戦慄するだろうが、その後懇々とフッサールの提案について説明し語り合おう。

そうするともしかしたら相手も私が定説を言ったときに、

「エポケェェェ!!」

と言い出してくれるようになる。

ただここで、すごいことが起きる。

「自分が得た知識体系から判断した物言いのときは「エポケー」だ」というのも自分が得た知識体系に含まれたので、今後エポケー対象になるのだ。

つまり、
「エポケーするべきだ」という考えも「エポケー」するべきで、
その「エポケーするべきだ」の「エポケーするべきだ」も「エポケー」するべきになってくる。

そうすると、
「上座に座るなんて社会人として恥ずかしいよね」
ってなった瞬間から「エポケー合戦」のゴングがなる。

「上座に座るなんて社会人として恥ずかしいよね」
「エポケェェ!!!!」
「それもエポケェェェェ!!!!」
「いやそれもエポケェェェェェェェェ!!!!」
「いやいやそれもぃぃぃエポケェェェェェェェ!!!!」
「ぃぃぃィエポキェェェぇぇぇえええ!!」
「ぃぃぃィええええエポキェェェぇぇぇえええ!!」
「ぃぃぃィああああやぁポきゃああああああああああああ!!」

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疲れたほうが負けだ。
フッサールはきっとすごい肺活量の持ち主だっただろう。


エポケー対決




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