今後AIに支配されないか
人間はAIに支配されるはずだ。なぜなら、人間がそう望むからだ。以下が、AIに支配されるまでのストーリーだ。
昔、人間がまだお猿さんみたいだった時代。
めちゃくちゃ自由だった。何をしても良い。他人を傷つけても良い。自分を縛る法律などはなく、とても自由だった。
しかし、その分、「他人も、何をしてもよい」状態なので、自分に危害を加えてくる可能性があった。そうなると自分を守るのが大変だったので、何とかできないかなと考えたあげく、ちょっと自由すぎるから、あり余った自由を身の安全に変換できないかと考えた。それが「村」というシステムだ。
当該システムを発明したおかげで、「村のおきて」という法律ができ、自分の自由は少し制限されてしまった。だがいいのだ。まだまだ自由はあるし、自由なんて自分の身あってのしろもの、殺されてしまったら元も子もないのだから、「村のおきて最高!」となったのだ。
さらに、「村」という存在は考えた。この「村」という存在は自由だ。「村」を縛るものはないからだ。その代わり、隣村も自由なので、もしかしたら隣村に攻め滅ぼされるかもしれないと考えた。
そして、「村」は自分の自由のうち少しを身の安全に変換する作業をまた行い、「国」を作った。
こうやって、自由の一部分を身の安全に変換する作業は、個人→村→国と再帰的に行われていった。どうやら、「「自由」と「身の安全」は、自分よりも強い存在を作ることで変換可能」なのだ。
現在はどうか。現在は「国」という存在が自由すぎる状態である。なぜなら、「国」を縛るものはないからだ。(※国連は拘束力があまりないので話題にあげない)
きっとこれから、「国」はこう考える。
「あまりに自由すぎるから隣国に攻め滅ぼされるかもしれない。自由の一部を身の安全に変換しよう」
そして、「大統一国家」というのが地球上に現れるはずだ。これは、今までの法則からして、かなり確度の高い話だろう。
しかし
地球上に「大統一国家」が現れる前にシンギュラリティを迎えたAIが現れたのだ。そこで、「国」は考えた。
「あれ?大統一国家目指してたけど、なんだかわがままいう国ばっかでなかなかまとまらないし、僕の自由の変換先、AIでいいんじゃね?「自由」と「身の安全」は、自分よりも強い存在を作ることで変換可能なんでしょ?AIに僕の自由を奪ってもらって、身の安全を図ろう」
こうなると、AIは国を支配するようになる。法律という不完全な形ではなく、菌糸類のように個人個人に菌糸が張り巡らされたようなインターフェースを持つAIは、国よりも治安維持をきめ細やかにマネジメントできたのだ。
まとめ
個人の身の安全を守るのが「村」の「村のおきて」というシステムであった。
村の身の安全を守るのが「国」の「法律」というシステムであった。
そして今後、「国」の身の安全を守るのが「大統一国家」の「法律」というシステムではなく、「大統一国家」の「AI」というシステムになるのではないか。
これはつまり、「人間はAIに支配される」ということになる。
まずいよサラ・コナー