真に同調圧力が嫌いな人は同調圧力が嫌いかどうか分からない
「同調圧力まじウザい」みたいな嘆きをよく聞く。昔よりも社会が多様性のある方向に変化していっているので、よく聞くのだろう。
これは例えば、
「会社ではみんな笑顔でいるべきだ!そうだろ!?」
みたいな感じで直接言葉にするようなこともあれば、
「みんな有給休暇取らないから俺だけ取りにくいな…」
みたいな、言外の圧力も同調圧力と言えるだろう。
こういう同調圧力がウザいという気持ちは非常によくわかる。これをなんとかしたいため「同調圧力まじウザい」とツイートして社会に対して訴えかけたとする。だがしかしこれも同調圧力となってしまう。
つまり、「同調圧力まじウザい」と発している人は、「自分は誰かから同調圧力かけられるのはウザいけど、自分が誰かに同調圧力かけることはOK」というスタンスである。
これは、はからずも、同調圧力自体を容認する姿勢を暗に社会に示してしまっていることになる。
「いやいや!"同調圧力まじウザい"くらいのレベルは同調圧力とは言わないでしょ!」
なるほど。確かに。でも、これも同調圧力だ。「どのレベルから同調圧力か」を押し付けている。レベルが1~10あったとして、「5あたりからが同調圧力でしょ!」と言っているのである。
つまり、「同調圧力がウザい」と思っている人は、「同調圧力がウザい」と言ってはいけないのだ。しいては、真に同調圧力が嫌いな人は同調圧力が嫌いかどうか分からないことになる。
では、全く同調圧力無しで生きるにはどうしたらいいか考えてみる。
例えば、「今日はいい天気ですね~」も同調圧力だ。相手は「大雨こそいい天気」と思っているかもしれないのに同意を求めている。基本、挨拶や社交辞令全般は同調圧力だ。
「遅刻すんなし」も同調圧力
「昨日の水ダウ超面白かった」も同調圧力
「ウクライナの戦争は悲惨だね」も同調圧力
「リンゴの皮むいた方がおいしいよ」も同調圧力
車のクラクションも「こういうときは気づけよ」という同調圧力
もう身の回りの会話のほとんどが同調圧力かもしれないので、今日から一切口をつぐむ必要がある。
あ、いやいや待てよ、口をつぐむどころか、人と接すると同調圧力が発生するため部屋に閉じこもり、「歩く必要がある」という同調圧力の可能性を回避するため足音も立ててはいけない。
まてまて、部屋に住んでいることも誰かにばれたら「部屋に住むべき」という同調圧力になるかもしれないので、人里離れた山小屋が望ましい。誰にも会わなければ同調圧力が発生しないので、そこでひっそりと自給自足するのだ。
都市は消え、皆が一定の距離を保ちながら分布するので人口密度のばらつきがなくなり、日本列島に均一に人間が分布する。国も多数決による同調圧力のため解体される。
人と接してはいけないため子供もできない。そのためいずれ人類は滅亡する。こうして同調圧力のない世界は完成する。
静寂に包まれ、鳥がさえずるだけの世界だ。確かに、同調圧力のない世界は美しいかもしれない。