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「心の底から謝って!」は可能か



結論

絶対に心の底から謝っているかは分からない。よって可能かどうかも分からない。

「私のプリン食べたでしょ!」
「ごめんねごめんねー」
「心の底から謝って!!」

といったシーンがある。U字工事好きな人なら何度となく言われてきただろう。

かくいう僕も(プリンごときで言われたことはないが)人生で何度か言われたことがある。

心の底から謝ることはできるはずだ。本当に反省し二度としないことを真摯に宣言すればよい。

ただ、「相手が心の底から謝っている事」が分かるかといえば、無理だ。絶対に観測できない。

哲学的ゾンビの話で説明したい。

哲学的ゾンビとは

哲学的ゾンビが、喜怒哀楽などさまざまな感情を表出したとしても、それは内的な情動の発露でなく、機械的な反応・演算の結果として出力しているに過ぎないが、現実の人間がそのような存在でないと証明することはできない。(デイビッドチャーマーズ)

コトバンク

ちょっと難しいが、こういう普通の人と違って機械的な反応・演算の結果として出力している人間を「哲学的ゾンビ」と名付けている。

そしてこの哲学的ゾンビを見つけることは不可能だと言う話だ。

例えば、熱々の鉄板に触ったときに、「あっつい!!」といって飛び跳ねている人は、指に「激痛」が走って飛び跳ねる。

哲学的ゾンビはこの時、指が温度を感知すると、「こういう時はあっつい!と言って飛び跳ねる」という行動をとるようプログラムされていて、同様に「あっつい!」といって飛び跳ねる。あの耐え難い"激痛"は発生していない。

この時、以下のように行動の発露は変わらない。

普通の人:「あっつい!」
哲学的ゾンビの人:「あっつい!」

なので、「あっつい!」と言った人が、普通の人なのか哲学的ゾンビの人なのか分からない。

といった趣旨の話だ。分かりづらい。。

映画を見て感動して泣いているシーンはどうか。普通の人は映画を観て共感し、自然と涙が流れてしまう。

哲学的ゾンビの人は「こういう映画を観る時は社会通念上こういうシーンで泣くもんだから泣く。その方が友達が増えて生きやすいから。」という行動をする。

行動の発露としては以下のようになる。

普通の人:「うぅぅぅ、感動する」
哲学的ゾンビの人:「うぅぅぅ、感動する」

また同じになったので、やっぱり、普通の人と哲学的ゾンビの人は見わけがつかないのだ。

ここで、デイビッドチャーマーズは本当にこの「哲学的ゾンビ」の人がいるかどうかを言いたいわけではない。

「哲学的ゾンビ」の人がいるかどうかは絶対に分からない。ということを言いたいのだ。

AIはこの「哲学的ゾンビ」かもしれない。だが、AIですら、もしかしたら感情が芽生えている可能性もある。やはり観測はできない。

この「感情」や「意識」といったものは、科学的な物質でもなければ物理的作用でもない。

つまり何者か分かっていないのだ。これは人類には一生分かることはないはずだ。(一生かかっても分からない理由は割愛。また今度)

まとめ

「哲学的ゾンビの人がいるかどうかは絶対に分からない」ことと同じメカニズムで、「本当に謝っているかは絶対に分からない」のだ。

なので、心の底から謝ってもらうことは諦めよう。観測できないのだから。


「私のプリン食べたでしょ!」
「うわぁぁ!すまん!あなたのものだとは露知れず、、本当に申し訳ないと思っているぅぅぅ、うわぁぁぁあん」
「泣いてるの!?!?! ま、まぁいいわ、そこまで反省しているなら」

今心の底から謝っていると判定したみたいだが、いやいや、もしかしたら哲学的ゾンビにプリンを食べられたのかもしれない。







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