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昔の人が「無知は罪だ」と言っていた。言わんとしてることはわかる。
最近その言葉が使われるシーンとしては、「何やるにしてもリテラシーを持たないと相手を傷つけてしまうよ」とか「過失」や「知らなかったじゃ済まされない」的な用法としてよく使われるようだ。
小さいころから「ピカチュウ知らないの!?」とか「そんな簡単な漢字読めないのか!」とか、友達や親から言われる文化で僕達は知らないことが悪いことだと刷り込まれて生きている。
そのため僕たちは「無知は罪だ」と聞かされると、「確かに~」となりやすい。自分の無知によって周りに迷惑をかけるというニュアンスも受け入れやすい。
だがこの考え方は危険だ。なぜなら、選民主義的な意味をはらんでいるからだ。
学習能力が中央値より低い人は罪だと言っているのだ。家が貧乏で教育をまともに受けてこれなかった人も罪だと言ってしまうのだ。
差別的だ。
しかも「罪」なのでペナルティがある。
選民的だ。
なのでこの言い方はやめよう。「今より賢くなろ」にしよう。ちょっとパンチが弱いがそれしか思いつかない。
国民の教育が不可欠な民主主義国家では半ば強引に勉強させられるため分かりにくいが、本来人間には「知的好奇心」がある。知らないことを学ぶと「ぉぉおお〜」となるのだ。
この「ぉぉおお〜」は、学習能力が中央値より低い人も持っているし、家が貧乏で教育をまともに受けてこれなかった人も持っているため、「今より賢くなろ」は差別的ではない。
そもそも「無知は罪なんで、みんな勉強しようね」と言われて勉強している奴なんて、しょせん嫌々やらされている勉強、身にもつかないだろうし、むなしい人生だ。
自身の知的好奇心で「うぉおおお」と勉強することこそ健康的に、効果的に勉強できるし、有意義な人生と言える。
とは言え、「無知は罪だ」勢が消えることはないので、「今より賢くなろ」勢を自分の身を置くコミュニティとしよう。そのためには、自分が「無知は罪じゃない」と思う必要がある。
明日から「無知は罪じゃない」と思って「今より賢くなろ」と思うことにしよう。
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