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「私は生きる価値があるのか」と悩む必要はあるか

ない。なぜなら、「生きる価値」は観測できないからだ。

人間の”価値"は、人間を作った何者かが判定するもので、人間を作ったのは、人間以外だ。つまり、「人間が生きる価値」は人間では測れない。

ややこしい。

例えば、ジャガイモがあったとして、ジャガイモは人間が栽培したものだ。なので、人間はジャガイモを「このジャガイモ美味しい!」とか、「このジャガイモでかい!」とか、価値を評価できる。

だが、ジャガイモ自体はというと、ジャガイモの味がわかる口もなければ、ジャガイモのデカさを判定する目もない。つまり、自分たちの「価値」を評価することができないのだ。

ジャガイモが、自分の「生まれてきた価値」を評価できないのと一緒で、人間も自分が生まれてきた価値、つまり、「生きる価値」を評価することができない。

「生きる価値」があるとかないとか、まるで観測できているかのように当たり前のように悩んだりするが、そもそも「生きる価値」の観測は人間には無理なので、悩む必要はない。

人間を作った者は、何者かは分からない。自然の摂理がその"何者"にあたるかもしれないし、高次元に住む何者かがシミュレーション空間に人間の住む世界を作ったのかもしれない。いわゆる神様が人間を作ったのかもしれない。

人間を作った者が何者かは"分からない"が、いずれにせよ「人間以外」が「人間」を作ったことは間違いない。最初の人間が誰に作られたのかが説明できないからだ。

まとめ

以上より、観測できないことに悩む必要はないので、今後「生きる価値」に悩むことはやめよう。

価値は、勝手に高次に住んでいる"何者"かが決めてヤンヤヤンヤ言って値踏みしてくれている。それをこちらが聞くことも、操作することも何も出来ないので、おそるるに足らずだ。




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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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