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ダサいは無くなるか
ファッションリーダーやファッション関連の企業社長などがよく「世の中のダサいをなくしたい」とか、「ダサい人を全員おしゃれにしたい」という意気込みを言っているのを人生で3回くらい聞いたことがある。
大きく出てるのでまぁ実現可能性は低いだろうが、本当に全員おしゃれにできるのだろうか。考えてみたい。
「おしゃれ」というのは、「ダサい」があって初めて「おしゃれ」となるため、「おしゃれ」の存在条件は「ダサい」が存在することだ。つまり、「おしゃれな人」がいれば必ず「ダサい人」がいるはずである。
つまり、全員おしゃれになることは無理ということになる。
さて、ファッションリーダーが例えば「襟が1m立っている服」を着たとして、めちゃくちゃ流行ったとしよう。
学校の一番のファッションリーダーの襟が1m立つようになる。周りの取り巻きもみんな真似しだして、学校中の生徒の襟が1m立つ。
最初は原宿でしか売ってなかった1m襟服もユニクロで売られるようになり、しもむらで売られるようになる。中年のおじさんやおばさん、集会場に集まるおじいちゃんたちの襟まで1mになっていく。
最終的に全員の襟が1mになったとき、全員がおしゃれになったのかというと、そうではない。おしゃれはコモディティ化するとおしゃれではなくなる。
コモディティ化とは、
コモディティ化とは、市場参入時に、高付加価値を持っていた商品の市場価値が低下し、一般的な商品になること。
ということだ。なので、全員が襟1mになると「おしゃれ」から「ださい」に変わる。
ここで、何かのまぎれが起きて、ファッションリーダー的な誰かが襟を普通の長さにしてくると、周りの人間が、「おおお、おしゃれだ~」ってなる。
これの繰り返しだ。図にすると以下のような感じだろう。
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昭和の時代、ズボンはちゃんとウエストのところではいていたが、平成になってから、ズボンを下げて掃くオシャレが流行った。「ずりぱん」とか「さげぱん」とか言ったような気がする。女性もだいぶ下の方ではいていた。
令和の今はズボンを下げてはいている人はあまりいない。ズボンの位置の周期イメージは以下のような感じか。
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そうすると、もうそろそろまた「ずりぱん」とか「さげぱん」が流行りだすのかもしれない。
ちなみに韓国の「チマチョゴリ」は、だいぶ上のほうでズボンをはくが、これは、周期の途中で「伝統による固定化」が行われたのだろう。
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「伝統」とは、人為的に「はやりすたり」の対象から外す行為なのだろう。
日本も、「ずりぱん」の時に、必殺の「伝統化!」ってやれば、日本の民族衣装としてずっと残り続けるだろう。
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