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なぜ受験で「つるかめ算」を解かせるのか

リソース計測だ。

昨今受験が当たり前になってきている気がする。社会が成熟し、なんでも「見える化」しないと気が済まない社会になってきて、「頭の良さ」や「社会的なヒエラルキー」なども管理対象になってきている印象だ。

僕らの時代は中学受験なんて一握りだった気がするが、娘の小学校は公立にも拘わらず7~8割が中学受験をするようだ。土地柄もあるだろうが明らかに受験比率はあがっているのではないだろうか。

基本的に「受験勉強」で「本当の賢さ」は手に入らない。確かに、間接的に身につく能力はあるかもしれないが、基本受験勉強とは、「受験に必要なテクニック」を身に着ける行為だ。

社会に出たら、「コミュニケーション能力しか勝たん」とか、「ゴマすり」とか、いよいよ受験勉強では身につかない能力の必要性が聞こえてくる。「つるかめ算」で営業成績1番にはなれない。

わかりやすいように営業職にしたが、研究職だって「つるかめ算」は使わない。その後に習う数学にとってかわられる。

なのになぜ受験勉強するかというと、「通行証」や「免罪符」のような効力を手に入れるためだろう。

能力が高ければ確かにその能力を駆使して成功することはできるだろうが、「通行証」や「免罪符」があったほうが楽にその機会を得ることができるからだ。

東大を出ていないと、必死になって自分の能力を見せつけないと面接は受からないが、面接なんてものの数十分なので、その間にアピールするには限界がある。でも東大を出ていたら、「あ、能力ありそうだね」となってくれるので、なんなくパスする。これは当たり前だろう。

面接に限った話ではない。会社を始めるときに投資を募るときも、高学歴は響きが良いし、お客との取引の時だって学歴は判断材料にされる。(帝国データバンクに社長の学歴を載せたりする)

ラッパーとか高学歴者が「学歴なんか関係ねぇ」と言ってるのがたまに耳に入ってくるが、「免罪符」としての効力を過小評価している発言に聞こえる。


さて、なぜ学校は「受験」という形態を取るのだろう。額面通り捉えれば、「頭の良さ」を計測するシステムだろうが、そうとも言えない。

なぜなら、「「つるかめ算」や「植木算」を練習してきてくださいね。」と、(直接的にではないにせよ)言って、試験に「つるかめ算」や「植木算」を出題するのだ。

真に先天的な頭の良さを計測するならば、そんな「つるかめ算」や「植木算」なんぞ及びもつかない、ひらめきや論理的な思考を必要とするような設問を、なんの予告もなしに出せばよい。なんならネットで出来そうなIQテストを受けさせれば良い。

なぜそうしないかというと、つまり受験とは、「受験対策ができる環境」も計測していると言える。先天的な能力に対して、後天的な能力だ。

なぜ後天的な能力も計測する必要があるかというと、学校は受験に受かったら、その次はまた高次の学校の受験に成功してもらわなくてはいけないため、「その子を取り巻く環境がこれからも勉強に適しているのか」が重要だからだ。

「先天的な能力だけ高くても、後天的に勉強に不向きな環境であれば頭打ち」という判断なのだろう。

この後天的な能力「受験対策ができる環境」を言い換えると「余力リソース」だ。余力リソースには、ざっとあげると以下の二つがあるだろう。

・時間
・お金

身もふたもない話だが、その子を取り巻く家庭に、受験勉強をさせるだけの時間的余力があるか、または金銭的余力があるか見ているのだ。

この余力がなければ、親が子供の勉強を見てあげることもできないだろうし、入塾させることもできないかもしれない。

上記のような直接的な発露だけではなく、間接的な発露もある。

例えば、その子を取り巻く家族、例えば親に余力がないと、感情的に怒ってばっかりで論理的な思考も停止しているので、子供も同じく論理的思考に弱いことが想定されるし、

例えば、お金がないと子供を自然の中で遊ばせるボーイスカウトに参加させることができず立体感覚が育たないことが想定される。

こういった「後天的な能力」を図るために「つるかめ算」なんて名前を付けてまで覚えさせて、試験で解かせるという行為をするのだろう。

さて、例えば「高学歴だけど使えない」みたいな悪口を言われている人がたまにいる。こういう人は、ここまで述べてきた理屈から、「リソースがないのに、リソースを受験に全振りした人」ということになる。

つまり、あまりリソースに余裕がないのに、本来他に使わなくてはいけなかったリソースを受験に全ベットした人だ。

本当は友達と遊ばなきゃいけなかった時間も受験に全ベット!
本当は家族と愛をはぐくまなきゃいけなかった時間も受験に全ベット!
本当は学校の授業で手を上げなきゃいけなかったのに受験に全ベットしてるから寝てた!

などだろう。

受験は「余力」というリソースを計測している。本当にそういう意思がそこにあるかは知らないが、そういう構造であると観測できる。

全ベットというチートは社会に出てから代償を伴う。受験はあくまで「通行証」であり、通過してからが本当の勝負なので、受験には「余ったリソース」だけを配分しよう。

つい一生懸命になっちゃうんだけどね。







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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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