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人生の価値を下げる方法①
プレッシャーに押しつぶされそうになっている人を良く見る。例えば大きな選択をしなくてはいけないときだ。結婚や独立などの人生を左右する選択をするときだ。
かくいう僕も結婚するときは身をよじるほどの恐怖と戦った。「結婚なんてしようもんなら僕の人生一体どうなっちまうんだ」という恐怖で逃げ回ったもんだ。
会社員を辞めて独立するときもそうだ。結婚同様すごい恐怖だった。
子供が誕生するときも、他の会社を買うときもだ。
こういう時、プレッシャーにさいなまれる一因に、「人生には大きな価値があるから」と思っていることが考えられる。「この大きな素晴らしい価値を絶対に損なってはいけない。」と思っているのだ。
しかし、実際に人生に大きな価値があるかなんて、計測不能だ。なぜ僕達が生まれてきたかなんて分かる奴はいないし、僕達を生んだ"何か"が存在するとしても連絡を取る方法はない。
なのに、僕達は判断材料を色々こしらえて、「なんか人生って価値ありそうかも」って思ってしまっている。
自分の子孫を抱きしめる時に出るオキシトシンに身をゆだね、「これが人生の価値だよね!?」と出されてもいないクイズの答えを声を高らかに答える。
なにかを成し遂げた時に出たアドレナリンに身をゆだね、「これが人生の価値だ!ファイナルアンサー」と出されてもいないクイズの答えを声を高らかに答える。
「ゆっくり森の中を散歩して、植物の息吹を感じ、セロトニンに身をゆだね、「これが人生の価値に決まっている!」と出されてもいないクイズの答えを声を高らかに答える。
だが、いるかどうかもわからない出題者にその声は届かないし、「正解!」というコールも一生聞こえてこない。そんなあいまいな自分で定義した「価値」を必死で守り、勝手に「人生には価値がある」と思い込んで、その「価値のある人生」を必死で守るためにプレッシャーにさいなまれる。
このプレッシャーはストレス以外の何物でもない。あまりにプレッシャーが強いと病気になってしまったり死んでしまったりすることもあったりする。
また、結婚とか独立とか、めっちゃ楽しいかもしれないのに、感じなくても良いプレッシャーのせいで二の足を踏んで現状に甘んじるシーンも良く見る。
もっとこのプレッシャーを和らげる方法はないのか。もっと人生の価値を下げられれば、このプレッシャーと付き合わずに、フットワークの軽い楽しい時間を過ごせるのではないか。
「いや、そのプレッシャーがあるからこそ受験勉強などの自己研鑽に身が入るってもんよ」
確かにその通りだが、これは「プレッシャーが取り除けないなら利用しちゃおう」っていうネガティブな利用法だ。そもそもプレッシャーなんかなくても好奇心や楽しいっていう原始的な欲求で苦しみを伴う前進は実現できる。
取り除けないにしても、弱める方法はないか、色々考えてみよう。
続きは以下
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