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「『私は悪人ではない』と言う人は善人ではない」のはなぜか
「私は悪人ではありません」と言っている人は善人ではなく、ただ何もしてないだけの人だ。
逆も言える。「私は善人ではありません」と言っている人は悪人ではなく、ただ何もしてないだけの人だ。
まず、「善悪」という評価は条件の付き方で変わる。ある行為をした際に、それが善行かというと、視点や条件を変えるとすぐ悪行になってしまう。
例えば、「私は悲しんでいる人がいたらほっとけないので慰める」ということを聞いたとき、人によっては「さすが人の気持ちがわかる善人だ」と言うし、人によっては「本当のことを言わないで聞こえのいいことばっか言って悪人だな」と言うだろう。
例えば、「癌の特効薬を見つけた」という人がいたら、その人は「全人類の悲しみを一気に解決した超善人」であると同時に、「人口が爆発的に増え自然破壊が一気に進んだ極悪人」かもしれないのだ。
このように、「善」と「悪」は表裏一体であり、「100%善」もしくは「100%悪」なんてものは存在しない。何かを行えば必ず「善」であり「悪」である。
量子が確率的に同時に存在しているように、善と悪も必ず同時に存在している。
さて、「何かの行いをした際には必ず善であり悪」ということは、「善人ではない」と言っている人は、同時に「悪人でもない」ということになる。つまり、「何もしてないだけ」ということになる。
「悪人ではない」と言っている人も同じことだ。「悪人ではない」ということは「善人でもない」ということなので、「何もしてないだけ」ということになる。
では、「私は善人だ」と言っている人はどうか。この人は、上記の条件を当てはめて考えると、「善人であり悪人」の人だろう。「私は悪人だ」と言っている人も同じく、「善人であり悪人」の人だ。
まとめると、
「私は善人ではない」と言っている人→なにもしてないだけ
「私は悪人ではない」と言っている人→なにもしてないだけ
「私は善人だ」と言っている人→善人であり悪人
「私は悪人だ」と言っている人→善人であり悪人
ということになる。つまり、否定形で自分の善悪を表現する人は、事なかれ主義の「何もしない人」であり、肯定形で自分の善悪を表現する人は、半分しか観測できていないけど、「何かはしている人」ということになる。
ちなみに、
僕は善人です。
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