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一番優しい人をめざすには

「優しいとは何か」は、色々な定義や物差しがあるため、何かの行動や人に対して優しいか優しくないかの判定はブレがちだ。

例えば、

「お前障害者なんだから無理すんなよ」

って言う人がいたとして、この人が優しいかどうかは意見が分かれるだろう。

「デリカシーなくて優しくない」という人もいれば「特別扱いしない優しさ」を感じる人もいる。つまり、

優しいから「お前障害者なんだから無理すんなよ」と言う人
優しいから「お前障害者なんだから無理すんなよ」と言わない人

がいる。このように、「優しさ」の発露として全く逆の行動になったりする。だが、「発露」に着目するとこのように「優しさ」とはとらえがたいように感じるが、もう少し深いレイヤーには共通点がある。「自己犠牲」だ。自分のことを犠牲にして相手が喜ぶことをすることだ。

優しさで「お前障害者なんだから無理すんなよ」という人は「失礼と思われて社会的に立場が危ぶんだとしても、相手を特別扱いしないで相手の自尊心を守る」という自己犠牲が存在する。

優しさで「お前障害者なんだから無理すんなよ」と言わない人は「相手が「あ、この人僕が障碍者だって気が付いてる事を隠してるな」と思われて信頼度が下がったとしても、相手の尊厳を守る」という自己犠牲が働いている。

さて、以上を踏まえて「一番優しい人」を目指してみよう。だが、「発露」レイヤーでは、上記で示した通りブレるので、行動で示すには難しい。だが、「自己犠牲」に注目すれば、「一番自己犠牲が働いていること」をすることがそれすなわち、「一番優しい人」ということになる。

自分が一番犠牲になれる事と言ったら、命をささげる事だろう。なので、「誰かのために〇ぬ」のが「一番優しい」ことになる。だが〇ぬことで自分が得している場合は自己犠牲レベルが弱まる。

「子供の為に〇ぬ」のはあまり自己犠牲とは言えない。子供に生き残ってほしいのは自分のためでもあるので、自己犠牲レベルは低い。

つまり、「"嫌いな人"や"全くの他人"のために〇ぬ」のが一番優しいと言える。

世の中で一番嫌いな人を思い浮かべてみよう。その人の利益のために〇ねれば「一番優しい人」になれる。

まぁ、一番優しい人になれずとも、「優しい人」になりたいのであれば、少なからず「嫌いな人や、赤の他人」に自己犠牲を発揮することだ。好きな人に自己犠牲を発揮しても、それは実は優しいレベルはあまり高くない。上記の例のように利害が一致していたりするので、自己犠牲とは言いにくい場合がある。

さて、僕は「一番優しい人」を目指してみようと思う。

僕の一番嫌いな人は、基本的にあんまりいないんだけど、強いていうならば高校時代にカツアゲしてきた不良だろう。一人の時ならまだしもわざわざ彼女とデート中にカツアゲしてきた。

彼女に良いところ見せつつ、法に触れないことを気にしつつ、自分と彼女の身体を守るという非常にさばくのが難しい状態に陥れてくれちゃったヤンキー4人組だ。この人達のために〇ねれば僕は一番優しくなれる。

できるかいな!

おそまつさまでした。


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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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