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幸せとは〇〇の多さ
よく、「幸せとは愛だ」とか「幸せとは笑顔だ」とか僕も含めて言いたい放題いろいろな幸福の分析と発表と出会うが、論理的に扱えないので妥当性が確かめられない。
幸せとは、「幸福ホルモンの分泌量だ」ならある程度科学的に裏付けがあるので信憑性が高い。ただあえて、社会的見地から論理的に幸せとは何か考えてみたい。
さて、唐突だが、皆「選択肢」を増やしたがる。なぜなら、「幸せとは何か」が誰も分からないからだ。例えば業種で言うと「医者になる」と「コンビニの店員」になるという選択肢が2つあったとして、どちらを選んだら幸せかは分かりにくい。
一見医者の方が社会的地位も高くて実入りも良さそうなので幸せそうだが、そうとは限らない。激務だし命を扱う仕事でプレッシャーも大きい。コンビニの店員は医者に比べ社会的地位は低そうだが、その代わり時間帯は比較的自分で決められるし特に命が係わるわけでもないのでプレッシャーも低いだろう。
このように、どちらの仕事が幸せかは厳密には分からない。だが、厳密に「医者」の方が幸せとは言えないのにも関わらず、何かと「医者」を目指すことの方が多い。あまり一生懸命「コンビニの店員」という夢に向かって頑張っている人は見かけない。
これは、医者を目指したらコンビニの店員にもなれるからである。逆にコンビニの店員を目指してたら医者になれちゃったって事はあまりないだろう。そう、選択肢を増やしたがっている行動の発露が「医者を目指す」になっていると言える。
もっというと、幸せの形は分からないが、とりあえず選択肢が多い方が幸せになれる確率があがると言える。「選択肢の多さ」が「幸せ」と言い換えることもできる。
なぜ幸せになれる確率があがるかというと、選んだ選択肢が不幸だったら隣の選択肢に逃げてしまえばいいからだ。これが選択肢一つだと逃げ場がない。
さて、「選択肢の多さ」が「幸せ」となったところで、この選択肢の多さというのは貯蓄できる。
例えば、「ゲーム」と「恋愛」と「勉強」という選択肢があったとして、多い選択肢を余すことなく教授したら「幸せ」になれる。何を選んでもいいのだから、幸せと言える。
だが、ここで、「ゲーム」と「恋愛」という選択肢を削って、「勉強」だけにしたとしたら、将来「医者」や「弁護士」などの選択肢が増えてくる。
このように、現在の選択肢を削れば将来の選択肢が増えたりする。
ここで、「選択肢」=「幸せ」だったのだから、選択肢が貯蓄できるということは、つまり、「幸せ」も貯蓄できるということだろうか。
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