平井堅と〈弱い僕〉の物語 (1)その涙拭うためこの手がある -「美しい人」
平井堅の歌詞に特徴的な世界観は、この一節に凝縮されている。口語的な問いの形で言い換えれば、「大好きな君のために、無力な僕は何ができるのだろう」。平井堅の歌詞世界によく描かれるこの男性像を、筆者は〈弱い僕〉と呼びたい。
「美しい人」は、2007年に発売された平井堅のシングル「君の好きなとこ」のカップリング曲である。当時、資生堂「エリクシールシュペリアル」のCMソングとして使用されていた(注1)。
曲は3分半ほどで、J-POPの楽曲としては短めである。ピアノの控えめな伴走に切ない歌声が響く、静かなバラードである。
曲はいきなり否定文から始まる。
「君」は無理をしている。周りに合わせてなのか、「僕」を心配させないためなのか。あるいは、自分の中の闇から目をそらすためか。無理をして、はしゃいだり、飾ったりしている。そんなことしなくていいよ、と優しくなだめることから、この歌の世界は始まる。
〈弱い僕〉にとって、愛する人(「君」)の存在は、幸福や快楽ばかりと結びつくものではない。「幸せは2倍に、悲しみは半分に」とは、ラブソングでよく用いられる喩えである。ふたりでいることにより、幸せなできごとはふたりで足し算し、悲しいできごとはふたりで分かち合う。しかし、〈弱い僕〉は別の見方をする。愛する「君」がいることは、幸せを足し算することではなく、「傷みを重ね」ることなのだと。なぜなら「僕」は弱いからだ。
「守る」という言葉は、「僕」(男性の一人称)を語り手とするラブソングでよく登場する。強い僕が、君を守る。しかし、この一節はその図式に当てはまらない。「僕」が守るのは「君」ではなく「その涙」なのだ。いや、その涙すら、守り続けられる保証はない。「守る」という意志の表明ではなく、「守り続けたい ずっと」という願望の吐露にすぎない。
〈弱い僕〉は、「君」を守ることができない。ゆえに「君」は過ちを犯し、闇に迷い込む。そこから抜け出そうとはしゃぎ、飾る。しかし無理がきかなくなり、涙する。強くない「僕」は、過ちを犯さないように導くことも、泣きやむように明るく励ますこともできない。ならば、それでも「君」のそばにいたいと願う「僕」に、せめてできることは何か。それが、「その涙を 拭う」ことだ。この手はそのためにある。「君」のそばにいて、涙を拭うこと。それこそが「僕」のいる意味だ、と。
象徴的な言葉に再度ふれておきたい。
「僕」には何もできない。愛する「君」がいることさえも、幸福や快楽よりも、傷みや悲しみと結びつく。それでも「僕」は、大好きな「君」のそばにいたい。これが〈弱い僕〉の出発点であり、願いである。
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