教育における究極の ”if” ー「子どもが教える学校」の生徒日記

 テキストの予習、小テストの作成と採点、論述答案の添削、演習教材の選定と印刷。塾講師という「人前で喋る」イメージが先行しがちな仕事でも、机に黙々と向かう時間は案外長い。同じ場所に長く留まると能率が下がるので、時々場所を変えたくなる。
 私の場合、校舎に生徒が少ない時間帯(昼下がりや授業後)であれば、生徒用の机を作業場所に選ぶこともある(※1)。そうすると、単に場所を変える以上の効果がある。机や椅子の使い心地。ホワイトボードを見る角度。後ろの人の顔も、前の友人の手元も見えない視界の狭さ。生徒の目線はこんな感じなのかと、その度に新しいことに気づかされる。他にも、生徒と接するなかで「逆に」こちらが学ばされることは日々山のようにある。

(※1)新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、学校の臨時休校など教育界にも多大な影響が生じている。塾・予備校の業界も、オンライン授業への移行、オンライン授業とオフライン個別フォローの併用、通常通りのオフライン授業続行など、各事業者により対応が分かれた。私の勤務先でも様々な可能性を模索したが、最終的には現役で在籍している生徒や保護者の声を受け、感染対策に万全を期したうえでオフライン授業を続行する方針を決めた。注の箇所のように、一時だけ座席を使った場合でも、消毒作業を逐一行うようにしている。

 しかし、それらの努力は所詮「想像」にすぎないという限界もある。ならばいっそ、子どもが「先生」、おとなが「生徒」になる「学校」をつくったらどうなるか。そんな “if” を実現した取り組みがある。「子どもが教える学校」だ。

1.「子どもが教える学校」とは何か

 「子どもが教える学校」は、端的に言えば、子どもが先生になるオンライン授業の取り組みである。戦後未曾有の長さとなった「コロナ休校」期間を、大人と子どもの双方にとってより実りある時間とするために企画された。

 「子ども先生」は自分が伝えたい・話したいテーマを1つ決め、その主題について数分間のプレゼンテーションを行う。「先生」たちの「授業」準備にあたっては、話したいことの言語化や伝える方法の工夫などを、企画の運営スタッフが、「先生」自身の気持ちを大切にしながらサポートしていく。「子ども先生」の博識と熱量に多くの大人が圧倒され、複数の大手メディアでも報道された。
 私も、あるメディアを通して偶然この活動を知り、企画の概要noteも読み、その場で告知用のメルマガに登録した。そして5月31日(日)午前10時、パソコンの画面に「登校」した。

2.「驚」の2時間30分

 時間は午前10時から12時30分までの2時間半。子ども先生のプレゼン+参加者からの感想や質疑応答、のセットが先生9人分。前半5人、10分休憩、後半4人。前半と後半それぞれの最後には、主催者から主に大人に向け企画についての解説が行われた(「鈴木校長の授業」)。
 一人ひとり様々なテーマで、パワーポイントのデザイン、ジェスチャー、コスプレなど様々な工夫を凝らしながら「熱い」授業を展開してくれた。チャットでは参加者が大人も子どもも入り乱れて大盛り上がり。熱狂の授業時間は瞬時に過ぎ去った。
 イベントの概要を読んだ時から、「伝えたい」こと、という言葉が目に留まっていた。子ども〈が〉「教えたい」こと、なら想像はしやすい。子どもでも、学習漫画や図鑑などで熱心に勉強し、好きな分野については周りの大人よりも詳しい、ということはよくある。実際、自分が好きな・詳しいことについて話したい、という動機の「先生」も何人かいた(好きな絵本の紹介、旅行で行った史跡の説明、昆虫の生態に関する解説など)。
 一方で気になったのは、「伝えたい」が前面に押し出されたテーマ設定の授業だ。親に好きなゲームをやってもらう方法。親に欲しいものを買ってもらう方法。恐らく、ゲームをしていると顔を曇らせる親への反骨心、家庭内の予算折衝をめぐる生存戦略が「授業」の動機となっているのだろう。どんなことを話すのかな、とゆるく構えながら、その2人の授業に臨んだ。10代前半ながら、大物YouTuberや売れっ子ピン芸人並の貫禄を備えたラスボスだとも知らずに。
 まず、親をゲームに巻き込む方法。題材は『フォートナイト』。かのゲームで遊ぶことには、3つのメリットがあるらしい。①オンラインでも友人とつながれる。②慎重さと大胆さが身に付く。③仮説検証ができるようになる。「仮説検証」? 大学生でも、恐らくは卒論で初めて真剣に向き合う作業だ。この3つを並べられたら、親も説得されてしまうだろう。実際、感想タイムにゲスト出演した「先生」のお母様は、ゲームの学習効果に驚愕している様子だった。
 次に、買って欲しいものを親にプレゼンする方法。まず、「親はなぜものを買ってくれないのか?」と、敵情心理の分析から入る。大人はこんなことを言うでしょう、と予想を伝えてくれるのだが、その「シチュエーションものまね」(※2)が参加者一同の爆笑を誘う。その後、一転して真面目なトーンで、「どうすれば買ってもらえるのか」を流暢に解説する。①できるだけ短く話す(大人は時間がないから)。②欲しいものの良いところをアピールする(出費をする以上リターンが求められるから)。③誰が聞いても分かるように一般化する(相手にメリットを理解してもらうことが必要だから)。営業活動の研修を受けているようだった。実際「先生」は、親へのプレゼンに大成功したらしい。

(※2)一ものまねファンとして、「シチュエーションものまね」は高難度のネタジャンルだと考えている。著名人の言動や行動を完コピあるいはデフォルメするタイプのものまねは、本人の特徴にある程度寄せられていれば、「あー、あの人の」と気づいてもらえる。しかし、具体的な固有名詞を共有しない「あるあるネタ」の場合、誰もが想起しうるようなイメージに自らの挙動を寄せ、「あるある」という共感を誘えて初めて笑いが成立する。

 全授業終了後、リアクションの大きさに目をつけられたのか、「校長」から感想を振られた。勤務先の塾も小中学生対象なので、この取り組みについて生徒たちに紹介しようと思う。そんなことを話したら、チャットに「先生」からの書き込みがあった。「やってくださいね」「やってください」 生徒に日々「宿題」を課している身として、実行しないわけにはいかない。Sure, I’ll do it.

3.「子ども先生」から学ぶこと

 大人の「感想文」ともなれば、「楽しかった」「面白かった」で終わらせるわけにはいかない。「子ども先生」に学ぶという経験から、何を持ち帰れるのだろうか。
 まず、特にICT機器やインターネット環境が普及した現代において、「知」は大人の占有物ではないということ。
 学問も職業も文化もあまりに専門分化した社会において、「万能の天才」となることはほぼ不可能に近い。好きでい続けない限り昆虫の細かい生態などそのうち忘れてしまうし、幼い頃から野球に打ち込み続けた人はスイミングスクールに通い続ける子ども時代を経験し得ない。
 それに子どもの方が、大人のように「これを学ぶことにどんな意味があるのか」と打算的に考えることなく、「好きだから」「興味があるから」という気持ちだけでも学ぶ動機になりうる(※3)。結果大人にとっては、自分が日々触れているごく一部の分野を除き、多くの分野で「子ども先生」から新しい知見を学ぶこととなる。

(※3)この「動機」の違いは、子どもを主な対象とする教育(pedagogy)と成人を主な対象とする教育(andragogy)の差異でもある。前者は(例えば学校の教科教育のように)時間をかけて幅広い教養を培うことが重視される一方、後者では(例えば休日に通う料理教室のように)短時間で実用的な学習成果を得ることが重視される。

 次に注目したいのが、企画運営スタッフと「子ども先生」の関係性である。
 主宰者による解説では、子どもの「伝えたい気持ち」を大切にしている、ということが再三強調されていた。個々の「伝えたい気持ち」を基に、3週間かけて内容の掘り下げを行っていくという。確かに、プレゼンはいずれも①序論(テーマ選定の動機)→②本論(テーマに関する具体的内容)→③まとめ(参加者へのメッセージなど)の三部構成となっており、スライドの見た目や話し方も洗練されたものだった。
 しかし、単にプレゼンが上手い、というだけなら、「子どもが教える学校」がこれほど反響を呼ぶことはなかっただろう。あらゆる分野に通じることだが、少なくとも人間が行う営みである以上、表面のテクニックだけで出来上がったものは、第一印象で巧くは見えても、強烈な印象を残すことはあまりない。
 思い起こしてほしい。再読に堪える本。何度も観返したくなる映画やドラマ。ファンクラブで課金するほど熱烈に応援する著名人。少しでも長く共に時間を過ごしたいと思える身近な人。いずれも、技巧で良く見えるという以上に、何かあなたの心に訴える要素があったはずだ。大人が圧倒されたのは、「子ども先生」の博識よりもむしろ、熱量なのである。
 大人が子どもに伝えるべきは、知識よりもむしろ手法である。言い換えれば、努力をより効果的に成果へ結びつける方法を提示することである。
 個々の「子ども先生」が持っている、「伝えたい」テーマ。自分が話したいことを、そのテーマに習熟していない人にも魅力が伝わるように説明するというのは、案外ハードルが高い。そこで関わる大人は、内容を掘り下げるフレームワークやプレゼン技術といった「道具」を提供する。手法をどう用いるかは「先生」次第。たとえテーマが「欲しいものを親に買わせる方法」という、大人にとって「不都合な」話題だったとしてもだ。
 子どもの力だけではアクセスできない知識があるのは事実である。しかし、知識が一方通行で注ぎ込まれるという学びのあり方は、子どもから自ら探索する力を奪い、かつ場合によっては大人や知への嫌悪感すら抱かせかねない。
 「頑張れ」と発破をかけるだけではなく、努力が報われやすくなるように具体的な方法論を提示する。その際、子ども自身の興味関心を傾聴し、その内容自体は否定せず、学びをより深められるような関連知識をさりげなく伝える。そして、学ぶ気持ちを持っていること、それ自体を肯定的に評価する。このような関係性でいた方が、子どもの探究心や自己肯定感は高まるだろうし、大人が手取り足取り教える手間も減るのではないか。

 随分長い「日直日誌」になってしまった。もちろん、ここまで長大な感想を誰もが抱く必要はない。子どもって案外すごいんだな、と感じるだけでも大きな学びである。子どもが何もかも未熟なわけではないし、大人が全てにおいて完璧なわけでもない。タスクや実利に縛られている大人だからこそ、たまには肩の荷を下ろす時間もあっていい。そうかもなあ、と少しでも感じてもらえたら、「子ども先生」に教わることを考えてみてほしい。「生徒」になる勇気を持つ前と後では、世界の見え方が大きく変わるはずだ。

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