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背中から刺されても、その〈正義〉を貫けるか。 -『響け! ユーフォニアム3』第12話

私たちは、主に自分の立場や利益のために、様々な〈正義〉を主張する。しかしもし、その〈正義〉が自分(たち)にとって不利にはたらくとしたら。それでも同じ〈正義〉を貫くことができるだろうか。


『響け! ユーフォニアム3』における「原作改変」

数ヶ月前、アニメ『響け! ユーフォニアム3』における「原作改変」が話題になった。

『響け! ユーフォニアム3』は、京都府立高校の吹奏楽部を舞台とする物語である。物語は、主将を務める黄前久美子(ユーフォニアム担当)と幹部として演奏指導を担う高坂麗奈(トランペット担当)を軸に進む。

久美子と麗奈の学年にとって最後のコンクール。自由曲にはユーフォニアムとトランペットのソロがある。久美子と麗奈、そしてその他の部員たちも、当然このソロは久美子と麗奈が吹くものだと思っていた。
しかしその年の春、強豪校からユーフォニアム奏者が転入する。部員たちの心は揺れ、オーディションの結果などをめぐって部は一枚岩ではなくなってしまう。

武田綾乃による原作の小説では、結局ユーフォニアムのソロは久美子が務め、部は全国大会金賞を獲得し、大団円に終わった。

しかしアニメ版は、大会の結果こそ変えなかったものの、オーディションの結果を変えた。ユーフォニアムのソロは、部員による投票の結果僅差で黒江真由(強豪校からの転入生)に決まった。(以下に記す物語の内容は、すべてアニメ版のものである。)

この大胆な「原作改変」については賛否両論があった。前提として、私はこの第12話に感銘を受け、高く評価している。
しかし、ここで「原作改変」論争に立ち入ることはこの記事の趣旨ではない。

『響け! ユーフォニアム3』12話の興味深い点は、久美子と麗奈が、自分(たち)にとって不利になる〈正義〉を貫いた点にある。
(ここでいう〈正義〉とは、「AはBであるべきだ」「CはDするべきではない」といった構文で表現できる、人々の行動や社会の仕組みなどに関する規範意識を表す)

実力主義という〈正義〉を貫いた久美子と麗奈

久美子と麗奈の〈正義〉とは何か。一言でいえば「実力主義」である。

コンクールに出場するメンバーには、学年の上下や活動歴の長短にかかわらず、より演奏技術の優れた部員が選ばれるべきだ。なぜなら、全国大会で金賞をとるためには、個々の演奏者も、その集積としてのコンクールメンバーも、高い実力をもっていることが必要だからだ。

これが、久美子と麗奈の〈正義〉である。
そのルーツは、ふたりが1年生だった頃にさかのぼる。端的に言えば、久美子と麗奈は共闘して、ある3年生を蹴落としたのだ。

ふたりが1年生の時、オーディションの渦中にいたのは麗奈だった。
自由曲のトランペットのソロを、3年生の中世古香織と1年生の麗奈のどちらが務めるか。それは、思い出づくりと競争のどちらを重んじるかという〈正義〉の対立でもあった。
部の意見は割れ、部員の投票によりソロを決めることとなった。

投票の判断材料となるソロの演奏を前に、麗奈は久美子に問いかける。

「そばにいてくれる?」
「約束する」
「絶対に裏切らない?」
「裏切ったら、殺していい」

麗奈は、久美子が自分の絶対的な味方だと確信し、「最初から、負けるつもりなんてないから」とオーディションに臨む。麗奈の演奏に圧倒された香織は、部員の前でソロを譲ることを宣言し、トランペットのソロは麗奈に決まった。

前年まで弱小だった部は、「実力主義」という〈正義〉のもと、強豪校への道を歩んでいく。

そして2年後、悲願の全国大会金賞を幹部として追う久美子と麗奈は、自分たちが掲げてきた〈正義〉への忠誠を試される。

コンクールの自由曲。ユーフォニアムのソロを吹くのは、主将・黄前久美子か、強豪校からの転入生・黒江真由か。このソロは、トランペットのソロ(当然、麗奈が吹く)との掛け合いである。

最後の全国大会で、ソロの掛け合いを久美子と麗奈の花道にするのか。それとも、金賞をとるために、黒江真由をユーフォニアムのソロに選ぶのか。思い出づくりか、競争か。
2年前と同じ〈正義〉の対立を、久美子と麗奈は突きつけられる。オーディションの会場は、奇しくも同じコンサートホールだった。

久美子と真由の演奏を(奏者の前に白幕を張り、どちらが吹いたのかはわからない状態で)聞き、部員たちが票を投じる。票は同数。麗奈の票で、結果が決まる。2年前の場面が浮かぶ。

「絶対に裏切らない?」
「裏切ったら、殺していい」

麗奈は、真由に票を投じた。

その日の夜、大吉山で久美子と会った麗奈は、久美子に票を投じなかったことを詫びる。2つの演奏のうち、どちらが久美子の音なのかはわかっていた。わかったうえで、麗奈は久美子ではない方に票を投じたのだ。

そして、麗奈の決断を久美子も受け入れる。麗奈はより良い音を聞き分け、より良い音を選ぶだろうと。それがたとえ、久美子の音でなかったとしても。

「実力主義」という〈正義〉のために、久美子はオーディションの形式を可能な限り純粋に「音」のみで判断するものにした。「実力主義」という〈正義〉のために、麗奈はどちらが久美子の演奏なのかわかっていながらも、久美子ではない「音」を選んだ。

票を投じる瞬間、麗奈の頭によぎった2年前の誓い。「裏切らない」とは、3年間で部を弱小校から強豪校にまで押し上げてきた、「実力主義」という〈正義〉を貫くことだった。
そして、その〈正義〉を貫いたことによって、最後の大会で久美子と麗奈がソロの掛け合いをするという「思い出」は絶たれた。

久美子と麗奈は、久美子がオーディションに落ちるという、自らにとっての不利を招いたとしても、〈正義〉を貫いたのだ。

自らにとって不利になる〈正義〉を貫けるか?

私たちは、日々様々な〈正義〉を主張する。その多くは、自らの立場や利益と強く結びついている。
重要なのは、その〈正義〉が自らを不利に追い込むとしても、同じ〈正義〉を貫けるのか、ということだ。

自らの立場や利益をより良くするような〈正義〉であれば、ためらいなく主張できるだろう。しかし、それが実現されると自らが不利になるような〈正義〉を、同じように迷いなく主張できるだろうか。

その〈正義〉が、自分を背中から刺すようなものだとわかってもなお、同じ〈正義〉を貫けるのか。〈正義〉をめぐる140字以内の空中戦が続くいま、向き合うべき問いである。

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小陳泰平 / Taihei Kojin
より良き〈支援者〉を目指して学び続けます。サポートをいただければ嬉しいです!

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