見出し画像

この時代に音楽を聴くということ -メシアン「世の終わりのための四重奏曲」

 日曜日は水戸芸術館コンサートホールATMへ。なんて久しぶりなんだろう…遂にこの日が。頻繁にここに通って一流の音楽を聴けていた頃は遠い昔のよう。最後にここでライヴの演奏を聴いたのは8カ月近く前、2月2日の第105回水戸室内管弦楽団定期演奏会だった。

 頻繁に演奏会を聴いていた私。今年の出だしもいつも同様だった。挙げてみよう。

1月17日 エッシェンバッハ指揮N響@NHKホール
1月24日 サロネン指揮フィルハーモニア管@東京文化会館
1月27日 モルゴーア・クァルテット@東京文化会館
1月31日 バヤーレ指揮N響@NHKホール
2月2日  水戸室内管弦楽団@水戸芸術館

 1月上旬はお正月でゆっくりしていたが、そこから先はいつものように怒濤のペース。そして、ここから先の予定もたくさん入れていたが、ウィルス禍のため全て中止、延期となった。先述のようにハイペースで音楽を聴き続けていた日々が突然途切れた。そこから暫くライヴ演奏を聴くことはなく、日々は流れた。

 そして6月14日、水戸芸術館エントランスホールでのパイプオルガンコンサートで4カ月半ぶりにライヴ演奏を聴いた。室住素子さんがフランクなどを弾いて下さり、それを貪るように聴いたことを思い出す。

 翌7月にはやはり水戸芸術館で「"吉田秀和初代館長の好きな曲"を聴く」と題したレコードコンサート。これはライヴ演奏では無いが、この時コンサートホールATMに5カ月ぶりに入ったことになる。吉田秀和水戸芸術館初代館長の名著『私が好きな曲』から1曲、ベートーヴェンの曲を選んで、吉田秀和愛蔵のレコードをかけて皆で聴くという催し。大津良夫副館長が吉田秀和さんに関する思い出話も語って下さったりして貴重な機会だった。

 そして遂に日曜日、「コンサートホールでライヴ演奏を聴く」という、以前なら当たり前だった行為を約8カ月ぶりに味わったのだった。

メシアン「世の終わりのための四重奏曲」に向かう私

 約1時間、1曲だけのコンサート。1列ずつ間を空けて、隣の方とも間に1席置いての開催。これではとてもペイしないだろうが、それでも再開することが大事、そう思う。
 出演は豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)、亀井良信(クラリネット)、向山佳絵子(チェロ)、野平一郎(ピアノ)、と超一流の4人が揃った。そして曲目はメシアン…。

 メシアンはあまり聴かないな…。クラシック音楽を聴き始めた高校時分はモーツァルト、バッハ、ブラームス、ドビュッシー、サティ、ゼレンカなどを聴いていた。もちろんベートーヴェンも嗜んだ。その後、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ヴィラ=ロボスなどに進み、かと思えばC.Ph.E.バッハを偏愛した時期があり、さらにはシベリウスやデュカス、サン=サーンスを愛した頃があり、年を経た今はシューベルト、フランクらを愛好している。
 そんな私の趣味に突然降って湧いたように訪れたのはショスタコーヴィチだった。もう25年ほど前になるだろうか、モルゴーア・クァルテットで聴いたショスターコヴィチは私に衝撃を与えた。他の愛する作曲家たちと全く違う音楽なのに何故だか心をつかんで離さない。この弦楽四重奏団を私はそれ以来聴き続けている。おかげでショスターコヴィチだけでなくシュニトケやプログレッシヴロックなど、好きな音楽の幅を広げていただいた。

 そのように私なりに幅を広げながら過ごしてきたのではあるが、根はバッハやブラームス、シューヴェルトやフランクを愛好する人間だ。マーラーは何度かトライしてもどうしてもピンとこないし、メシアンも正直わからないな…と敬遠してしまっていた。
 しかし今回は何故か聴きたくなった。ライヴ演奏に飢えていたということもあるだろう。そして「世の終わりのための」というタイトルが私を惹きつけたのだとも思う。この災禍に揺れる今だからこそ、水戸芸術館音楽部門はこの曲を選んだのに違いない。そしてこの曲はフランス人であるメシアンが第二次世界大戦中にドイツ軍によって捕虜として収容所に入れられ、冬は零下20度を下回るという極寒の環境下で書き上げた作品だというのだ。たまたま同じ収容所にいた演奏家がヴァイオリニスト、チェリスト、クラリネット奏者だったため、自身がピアノを弾くことにして、この変わった編成の曲が生まれたのだとか。初演は1941年1月、極寒の収容所の中で、寒さに震えながら、捕虜達、収容所幹部、ドイツ軍将校を観客に開かれたということ。
 困難な時に生み出されたこの曲を、現代におけるこの困難な時代に対する希望の灯としたい、コンサート再開の狼煙(のろし)としたい、という水戸芸術館音楽部門の企画に感動して、これまで敬遠がちだったメシアンを聴く気になったのだった。

曲の構成、背景

 楽器編成(Vn, Vc, B♭Cl, Pf)も変わっているが、曲の構成も全くもって自由。戦時下の捕虜として収容所の中、という不自由な状況であったからこそ、全ての音楽的常識や形式から逃れ得たのかもしれない。
 初演時、作曲家は32歳。まだ若い時分の作品だ。

 なお、曲名はQuatuor pour la fin du tempsであり、直訳すれば単語順に「四重奏」「のための」「終わり」「時」であるから、全体では「時の終わりのための四重奏曲」が正しいだろう。意訳としての「世の終わりのための四重奏曲」が人口に膾炙して今に至っている。

 曲想は新約聖書「ヨハネの黙示録」に基づくとのこと。そして、曲の主題について、メシアン夫人が後年に以下のように語っているそうだ(水戸芸術館配付パンフレットより)。

世界の終わる時、時は全てを超越して、永遠性と結合します。人は亡くなると、もはや時に支配されることはありません。その人は永遠になるのです。それが四重奏曲の主題です。

 曲は8つの楽章から成り、これは6日間の天地創造、7日目の安息の日に続き、8日目には永遠不変の平和の日が来る、ということに由来するのだという。

曲、演奏

1.「水晶の典礼」2.「世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ」と聴き進む。なるほど鳥に造詣が深かったというメシアンらしく、クラリネットに鳥の囀り音形が多い。チェロが活躍し、ヴァイオリンはさほど目立たない。
 3.「鳥たちの深淵」、クラリネットの無伴奏ソロが延々と続く。7~8分は続いたと思われる。実に長大。だが飽きさせない。クラリネットの亀井さんがとにかくすばらしい。本当のppppから途轍もないffffまで、とんでもなく幅広いデュナーミク(ダイナミクス)の持ち主。驚いた…。とても息の長いフレーズから、鳥の囀りを模した音楽まで自在、そして無碍。
 短いスケルツォである4.「間奏曲」(ピアノは休み)を挟み、5.「イエスの永遠性への賛歌」では、今度はチェロのソロ(ピアノ伴奏)。メシアン自身が「極端に遅いチェロのフレーズ」とコメントしているように、長尺のメロディーを名手向山が紡ぐ。
 6.「7つのトランペットのための狂乱の踊り」は、4人がズーッと楽章を通じてユニゾンで演奏するというもの。7.「世の終わりを告げる天使のための虹の錯乱」は4人で演奏。楽章最後に映画「サイコ」の音楽を思わせるような、金切り声のような音が5回鳴らされて終わる。
 最終曲である8.「イエスの不滅性への賛歌」はヴァイオリンとピアノの二重奏。ヴァイオリンが歌い上げ、ピアノが協和音を中心に支える。一般的に不協和音とされる音が多いこの曲の中で第5楽章と第8楽章はピアノが協和音的で穏やかで美しい。楽章タイトルも「イエスの永遠性への賛歌」「イエスの不滅性への賛歌」とあり、片やVcとPfの二重奏、もう片方はVnとPfの二重奏、と言う具合に、この二つの楽章は双子の楽章なのだろう。

 この作曲家は妥協しないな、というのが感想。自分以外の奏者三人、クラリネット、チェロ、ヴァイオリンにそれぞれ「どソロ」を与えているように気は遣っているのかな?という気もしないでもないが、「最終曲だから4人全員登場させて華やかに終わろう」などという忖度は全くしない方だな、と感じた。

演奏者たち

 作曲家メシアンはパリ国立高等音楽院、いわゆるコンセルヴァトワールの出身。ピアノの野平一郎もコンセルヴァトワールの出身であり、この曲のピアニストを務めるにピッタリの人物だ。作曲家としても一流というスゴい人。(ちなみに漫画・アニメ「のだめカンタービレ」で主人公達が留学するのもコンセルヴァトワール)

 ヴァイオリンの豊嶋さんは言わずと知れた豊嶋さん。私にとっては水戸室内管弦楽団のリーダー的存在の豊嶋さん。もちろんメインとして長く続けているのは日本フィルのコンサートマスターで、自粛期間に日本フィルが「パプリカ」を「テレワーク演奏」した時にはお子さん達と一緒に画面に登場し、子煩悩ぶりを見せてくれた。
 今回の演奏会では終演後、他の演奏者を先に退場させて自らは最後に去るあたり、このコンサートのホストとして振る舞っているように見えて、豊嶋さんが、ここ水戸芸術館を「自分のホームの一つ」と思っているように感じ、水戸芸術館ファンとしてとても嬉しく拝見したことであった。

 チェリストの向山さんももちろん「言わずと知れた」であって、多くの方に知られていると言う意味では4人のうちで一番知られているだろう。FM/TV等にも出演多数。旦那さんはモルゴーア・クァルテットのチェリスト藤森亮一さん。

 以上3人はこれまでも何度も何度も聴いたことがあるので、名手なことはよくよく存じ上げていたのだが、なんと言っても今日嬉しかったのは亀井さんというクラリネットの名手を知ったこと!こんなすばらしいクラリネット奏者がいらしたのか!!と。寡聞にもほどがあるな、私。演奏会パンフレットで経歴を拝見すると、桐朋を出てフランスに留学、長くフランスに居た方らしい。今日の曲を演奏するのにピッタリの人というわけだ。
 水戸室内管弦楽団にも参加しているということだが今まで気付かなかったな…。

 現代音楽らしい難曲であった。これを見事に弾ききった4人、天晴れ!と言いたい。特にクラリネットの亀井さん、ピアノの野平さんがすばらしかった。豊嶋さん、向山さんももちろんすばらしかったが、もしかしたらブランクの影響が少しだけあったかもしれない。御本人としては必ずしも満足いく演奏ではないかもしれないな、と少し感じた。
 しかしそれにしても、この災禍により半年とかのブランクを抱えて今般ようやくライヴ演奏に戻っている演奏家の方々の困難を思う。よくこの状況下で鍛錬を重ねられたことよ…。感服、そして感謝。

 そして、作曲時の状況を思うに、よくまあこんな難曲を弾ける奏者が同じ収容所に居たな…というのが何と言っても驚きであった。

私たちは収容所の中にいるのかもしれない

 演奏は静かに消え入るように終わり、暫く経って拍手が起きた。感染予防のために「ブラヴォー」の声をかける人はいなかったが、そのぶん熱く拍手は続いた。アンコールはなく、ほぼ1時間の短いコンサートは終わった。

 帰りながら余韻を噛みしめていた。わかりやすい曲ではなかった。しかしなぜか心に残るものがあった。曲自体の力、演奏自体の力ももちろんあるだろう。これから繰り返し聴いていきたい曲だと思った。

 しかし、今回これだけ私の心にこの曲、そして演奏が残ったのは、それだけではないように思う。演奏会は、曲があって、演奏がある――それだけではない。一緒に聴いている聴衆同士で無言で時間・空間を共有していること。ホールの外にある社会のありよう。それらは、聴衆である私たちの感受に影響を与えずにはおかないはずだ。
 今回でいえば私がメシアンを聴こうと思い立ったところから既にそうなのだろう。この困難な時代、私たちは今までの「当たり前」を失った。コンサートは当たり前のように聴けるものだった。お金と時間さえあればいつでも好きなだけ聴けた。蛇口をひねれば水がでるのと同じように思ってしまっていた。演奏家の方々のほうでも、演奏会を開けることを当たり前だと思っていたかもしれない。しかしそれは当たり前ではない事に私たちは気付いた。実にありがたいことだと。
 そもそも、明日、あるいは今日、大病にかかってしまうかもしれない。自分あるいは身近な人が突然世を去ってしまうことがあるかもしれない。そういう不安が私たちを覆っているし、現実としてそのような体験をした方も少なくないだろう。
 もはや「日常」はこれまでの「日常」とは決定的に違ってしまっている。「当たり前」だったことが「当たり前」でなくなってしまっている。時間の連続性、すなわち人生は基本的には続いていくものだ、という生の土台が揺らいでしまった。

 しかし、だからこそ、生のありがたさをしみじみ噛みしめる思いを得たし、一日一日を大事に生きよう、と思うようになっているとも言えるだろう。今日有るものは明日ないかもしれない。だからこそ今日を精一杯生きよう、と。今日の出会い、今聴いているコンサート、それらは全て「一期一会」だ…そういう思いも噛みしめながら聴いている、生きている。そういう感情を私たちは体験しているのだと思う。

 収容所で大勢の方が凄惨なかたちで亡くなっていらっしゃる。その状況と安易に並べて考えてはいけないとは思うけれど、帰路、車を運転しながら今日聴いた演奏会を頭の中で反芻していた時、どうしても現代の社会全体と、メシアンたちがいた収容所が、重なって見えてきて仕方がなかった。
 収容所に突然連行された人々は、これまでの「日常」「当たり前」を奪われ、明日をも知れぬ命という極限状況の中で「不安」と闘い、今この「時」を「一期一会」と感じ、一秒一秒を大事に生きたことだろう。
 特にメシアン達の初演を聴いた人々は、その演奏を食い入るように見つめ、耳を立てたことだろう。日曜日、水戸に集った数十人あるいは百人ぐらいだったかの聴衆であった私たちも同様に、4人の名手の演奏を食い入るように見つめ、聴き入った。

 私たちは収容所の中にいるのかもしれない。敵の軍隊がいて収容されたわけではない。しかし見えない敵と闘わされている。行動も制約されている。

 しかしもちろん大戦時の収容所とは決定的に違う。私たちには行動の自由がある。今の状況を嘆くのではなく、「時」や「人」「命」のありがたさを噛みしめる生き方を体得し、だからこそ前向きに生きるようにしたい。そう考えた日曜の午後であった。

いいなと思ったら応援しよう!