2020年5月31日 グリーフのための方法 byシスターダンニェム 7 ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え 2020年8月21日 21:32 以下は2020年5月31日にシスターダンニェムがブルークリフ僧院でお話された法話です。息を吸って、息を吸っていることに気がつく、息を吐いて、息を吐いていることに気がつく。私は微笑みと吐く息を大事にする。息を吸って、微笑んでいる。息を吐いて大事にしている。息を吸って、すべての苦しんでいる人のため、呼吸を心地よくできない人のため、そしてもうこれ以上呼吸できない人のために息を吸う。息を吐いてそれらの人々を抱きしめる。家族、友人、愛する人たちを。家族、友人、愛する人たち、親しかった人たち、人類の一員として側にいた人たちのために呼吸をして、抱きしめます。息を吸って、強い感情があることに気がつきます。悲しみ、混乱、絶望、怒りなど私の中に波のように湧き上がって私を圧倒する気持ち。息を吐いて、それらの感情をなだめます。強い感情の波に気がついて、呼吸と揺るぎない姿勢によってそれらをただ抱きしめます。親愛なる先生、親愛なる兄弟、家族、友人の皆さん、ここに招いてくれてありがとうございます。シスタートップニェムが私のセカンドボディとしてここ愛するブラザーたちのソリデティ・ハムレットに来てくれました。私たちの2つのハムレットは今もプラクティスを別々にやっています。それはサンガを守るためでもありますし、世界の人々を守るためでもあります。私たちは場所を守るためにベストを尽くしています。ここに来るまでの道で私はこの植物を見てとても幸せでした。その道は1週間ぐらい歩いていませんでしたのでこれまで見たことがありませんでした。これはお花が咲いていますね。ちょうど2か月前ぐらいに雨が沢山降っていてこの植物はそんなに大きくありませんでした。私の鼻ぐらいの高さでした。今はご覧のように、大変美しいお花をつけました。去年は私はこのお花を本の間に挟んでカードを作ろうとしました。今年は雨がすごく降って枝が折れました。大きな枝でしたので私はそれを持ってきましたが落ちてしまいました。残っていた枝は1本だけでした。そしてその枝はもっと小さいものでした。私の手首の3分の2ぐらいの大きさしかありません。あるいは半分ぐらいだったかもしれません。そしてその枝も倒れてしまいました。それを見た時、それはもう救うことができなそうでした。でも次の日に2本のスティック・エクササイズで使う棒を手にして戻って来てみました。その枝と2本の棒を使い三角錐の形にしました。私は金属のワイヤーを見つけて一緒に縛りました。そして私は植物に向かって話しかけていました。私は「私があなたを救えるのかどうか、私には分かりません。でもこれはあなたへの感謝を示すための行為です。去年あなたはとても美しく咲きましたから、沢山の美しいお花を在家の友人たちに切り分けました。だから私はあなたを大切にしていることを示したいんです。あなたの命に感謝しているとあなたに知らせるために。」と文字通り話しかけていました。毎回、歩く瞑想をして戻ってくる度に。そして座る瞑想の後、この植物を見てふれていました。そのように毎日注意を払っていました。今、見て下さい。最初の何枚かの葉っぱは黄色くなりましたが、その後は黄色くなりませんでした。もしかしたら生き残るかもしれないと思いました。そして今ご覧のようになっています。植物は生き残ってその根の部分には樹皮が立っているで開かれている核の部分を見ることができると思います。その樹皮の周りの部分はそれを保つためにワイヤーで覆われています。この植物は深刻なダメージを受けていました。でもケアされて十分な条件が揃えばそれは癒されてまた花を咲かせることができます。今日お話ししたいのは今世界で起こっているパンデミックと関係しています。それによる喪失と暴力について。みなさんにお話ししたいのはグリーフ(喪失を悲しむこと)の方法です。私の人生で私はたくさん喪失を嘆いてきました。子どもの時から多くの死を経験してきました。私が12歳の時、母はいなくなりました。彼女の遺体は見ることはありませんでした。1980年から37年がすでに経ちました今まで彼女が死んだと確信することはありませんでした。1985年弟と一緒にアメリカに来ましたが、1986年に私の祖母は亡くなりました。私を育ててくれたのは彼女でした。母が亡くなる前からお世話をしてくれていましたしそして私の母が亡くなった後もお世話をしてくれていました。祖母が継続的な私の安定の基礎でした。彼女は私たちがヴェトナムを去って1年後に亡くなりました。ですから彼女にも会っていません。そして成長する中で学校に通って私がパートナーを失った時私は医学生でした。私はその時30歳で彼は33歳でした。彼はサンフランシスコにあるハーフムーンベイに行って亡くなりました。ヨガと水泳をしていて、そして潮の流れに飲まれてしまいました。彼の遺体は見つかりませんでした。彼の死は、私を本当に目覚めさせてくれました。すぐに自分の人生を見つめました。自分自身に尋ねました。私のパートナーにすぐに死ぬことがあるとしたら、私は言えるだろうか、私の人生を生きたと。私は言えるだろうか、平和が私にあったと、そして手放して良いのだと。そして、答えは明らかなノーでした。それは私に十分な強さをくれました。医学の道を手放すこと。スピリチュアルな道を追求するために今まで一生懸命やってきたすべてを手放すこと。そしてこの僧侶の道で、グリーフの方法を学びました。私は私と私の周りのあなたの命からそれを学びました。ブッダは四聖諦を教えました。彼が悟りを開いた時に最初に教えたのは四聖諦についてでした。その後45、46年の教えの中でも彼は四聖諦について教えました。彼が教えた四聖諦のうちの最初の一つは苦しみがあるということです。今日は喪失の嘆き悲しみの存在を認めましょう。それは私たちの一人一人の心の中にあります。この世界中のすべての人の中に。私たちはグリーフを経験しています。おそらく皆さんがコブラー・ロスによって唱えられましたグリーフの5つのステージについて学んでいると思います。最初のステージは拒否です。適応するメカニズムとして私たちは拒否します、自分にそれは起こっていない心を麻痺させて何も感じず遠くにいるように感じます。それはまるで身体はここにあるけれど心はどこかにさまよっているようなものです。仏教では認識をします。それを私たちはシンプルな認識と呼んでいます。苦しみがそこにあるグリーフがそこにあると言います。絶望がある、希望を感じられず、無力感がある、それを認識する、それだけのことが私たちを助けてくれます。そこにあるもののためにそこにいることそれは深いプラクティスです。そこにグリーフがある、それを認識する。ブッダが教えてくれた2つ目の四聖諦はグリーフには原因があるということです。苦しみには原因があります。このパンデミックが始まってから多くの原因を見るようになりました。私たちが学んだのは、人生における最大のストレスは、愛する人を失うことです。病気になること、自分があるいは自分の愛する人が病気だと診断されること人生に大きなストレスを与えます。ストレスの最大の要因の3つ目は仕事を失うことです。自分の仕事を失い失業すること。そのことが今世界中で起こっています。急な死がたくさんあり、病気がある。どこにいても安全だと感じられず、脆い存在だと実感する。老人や慢性疾患のある人は特にですが、でも、若い人も私たちはみんな脆くて儚い存在なのです。失業率は非常に高くてブルーカラーの労働者もホワイトカラーの労働者も仕事を失っている人達が何百万人といます。そしてストレスになっているのが離婚です。もしくは上手くいっていない関係。多くの人が決まった仕事をしてた時には時間があれば愛する人と色んなことをやれるのにと思っていても、でも今は自分の場所にこもらねばならず多くの人が自分自身と向き合うことや愛する人と毎日顔を合わせることが難しいと感じています。お互いに、どのように関わりあったら良いのかが分かりません。それがすごくストレスになることもあります。ですから私たちはみんなそのような問題に直面しています。それらはグリーフの原因です。失ったものを嘆き悲しむこと。もう一つの要因は私たちの信念です。パンデミックが起こった時に、最初私は自信を持っていました。アメリカは大丈夫だと。上手く対処できると。我々から遠いところでその波は始まったので一番遠いところにいると思っていました。でもさらに重要なのは私たちは力があって強くて私は医学のトレーニングを受けてましたし、私には、大きな信念があったのです。でも、マスクが不足している、防護服が不足している、今アメリカでは死亡率が高くなっていると知って、さらに世界でもっと人が死んでいると知って私の考えは吹き飛ばされてしまいました。私の心は圧倒されてしまいました。何かが自分の中でぶつかっていました。私のあまりにもナイーブなヘルスケアシステムへの信頼。自分達は負けることがないのだという私のナイーブな信念。それもまたグリーフなのです。私たちは様々な形で失った悲しみを嘆いています。これが私たちが経験しているグリーフの原因です。思い出すのはシスターたちのミーティングの時のことです。私たちはプラクティスのための道を探してきました。コミュニティを守るために。一人のシスターが言いました。「私が読んできたことや見てきたことから分かったのは、できることは結局手を洗うことだけだ」と。私たちは笑いました。そしてその部屋の緊張が和らぎました。でもわたしが願うのは、私たちが手を洗う以上のことを学ぶことです。多くの本物の痛みを伴うけれど私たちに気づかせてくれるレッスンがそこにはあります。最近ジョージ・フロイドの死によって深い深いグリーフが起きています。深い悲しみの波が私を襲いました。なんて無分別な死なのでしょう。私がジョージの写真を見た時彼はフットボール選手のように大きな人でした。命があり、たくましさがありました。生命力にあふれています。でもわずか10分で彼の命は奪い去られてしまいました。それは私たちの多くを傷つけました。昨日10代の子たちとオンラインの活動がありました。その死は彼らを不穏な気持ちにさせました。そして抗議も彼らをまた不穏な気持ちにさせています。私はある子が牢屋にいると分かった時に動揺しました。落ち着くまでに何日かかかってしまいました。でも私は立ち止まり考えました。一人の命が奪われた。そして今若い警察官であるデレックに彼の人生に何が起こっているか。彼に何をしようとしているのだろうか我々は。終身刑でしょうか。人生をそこで浪費することでしょうか。死んだ方がましだと思うぐらい。彼を更生させる方法はあるでしょうか。彼のような人を癒すための更生です。もしくは私たちはただ憎しみと分断を生むのでしょうか。社会の中での不調和。それらはすべてグリーフの原因です。共に呼吸しましょう。呼吸をします。愛する人のために。友人のためそして見知らぬ人のために。私たちが知っている人と、私たちが顔や名前を知らない人々のために。私たちは同じ時に苦しんでいるのです。(鐘の音)ブッダが教えた四聖諦のうちの3つめは苦しみをなくすことは可能だということです。グリーフからの癒しは可能なのです。もしどのようにグリーフを抱きしめるか知らなければその経験はトラウマになります。それはPTSDになりえます。トラウマ後のストレス障害ということです。それは私たちの人生全般に及びます。その後の人生に関わります。それは兵士たちが戦争から帰ってきた後彼らの多くはずっと回復しません彼らの多くがもはや完全に生きるということができません。グリーフでも同じようなことが起こります。どうやって抱きしめるかということを知らなければ、残りの人生で、ケアや愛のために心を開くことができなくなります。若い僧侶としてプラムヴィレッジにいた時、ある女性に会いました。彼女も30代で、彼女が17歳の時に彼女の恋人が死にました。そして17、18年後になって彼女が私に話していた時彼女はまだそれがまるで昨日起こったことかのように泣いていました。その後付き合った人も何人もいました。でも、彼女は誰も愛することができないのだと言いました。彼らはただ通り過ぎていくだけだと。その後自分自身に問いかけました。私は年を取ってこの女性のようになりたいだろうかと。ただ喪失の嘆いているだけの人生、悲しんでいる人生です。私はプラクティスをしようと心に決めました。ブッダの教えは非常にポジティブです。苦しみを消すことは、グリーフを消すことは可能なんです。そしてプラクティスのための具体的な道があります。それが4つ目の四聖諦です。外へと抜け出る道がある。私たちを養っているもの、私たちを治めているもの、グリーフの癒しをもたらしてくれます。それが癒しと回復力を与えてくれます。より深い愛を、より深い強さをくれます。ブッダが教えてくれたのは八正道を通してグリーフから抜け出す方法です。それは正しい見方(正見)から始まります。心というのが基礎になります。心というのは画家のようなものです。見たものをすべて絵に描きます。それが心です。中国語ではこのような言葉になります。この「想」は、「認識」と翻訳されます。ご覧のように上の字はこの部分は木を表わしています。こちらが意味しているのは目です。そしてこれは意識または心です。認識の上の部分は木と目が一緒になっていて私が木を見ているというようになります。印ということを表わしています。目で木を見てそれは木だと分かる。人を見て、それは人だと分かる。それが木である印であり木である印です。でも、でもそこに意識と心を持ってくると認識になります。意識がそこにあって、はっきりしていて偏見がなく息を吸って息を吐く時木は木で、ある人はある人です。でもこれまで経験したことありませんか。ある人を見て、その人を見ているはずなのに、でも意識の働きでその人が色づけられてしまう。その人が信用できない人になる。その人を見ているけれど過去の経験が友好に感じたり敵意を感じたりさせてしまう。なぜなら私たちには認識があるからですポジティブなものであれば相手に惹かれて、でもネガティブなものだったら嫌悪感を持ちます。そういう経験ありますよね。この心が決めているのです。私たちの認識を。あるものをどう見るのか。それが同じ木でも、この1対の目がその木を見た時、幼少期を思い出してそれは安全で美しい時代だった素晴らしいと思うかもしれません。別の目がそれを見た時、苦悩を感じます。あるいは絶望を。何かがその木に関連して起こっていて、あるいはその人に関連していて。ですからこの心が自分の見方を決めるのです。世界をどう見るかということを。この心、心の質がそれが決めます。グリーフから癒されるか、もしくはトラウマを育むのか。そしてトラウマの後のストレス障害が起きるかどうか。私たちの人生を完全に生きることができるのか。質の高い人生を送れるのかどうか。それはこの心によっています。ブッダが最初に教えてくれたことは、四聖諦がその基礎に置いているのは正しい見方なのです。正見です。正見は全ての基礎になります。ですから今私たちはパンデミックに学びます。手を洗ってきれいにすることだけでなく私たちが学んでいるのはどうお互いに親密に関わっているのかということです。今この瞬間に非常に貧しくて水を得ることができない人々がいます。電気を得ることができない人々がいます。この国で今苦しんている人たちがいます。そして世界中にいます。紛争が起きている国からの難民がいます。彼らは尋ねます。どうやったら我々が4つの家族が1つのテントにいてソーシャルディスタンスを保てるというのでしょう?そしてそのテントはこの瞑想ホールの半分の大きさなのです。どうやったら距離を保てるのでしょうこんなに混雑したところにいたら。同じところ、こんな狭い場所にいたらどうやってソーシャルディスタンスを保てるのでしょう。頻繁に手を洗うということをどうやってプラクティスできるんでしょう?お風呂に入ったり飲み水が足りないような中で。どうやって自分たちのケアをできるんでしょう?普段から十分な医療へのアクセスがなかったら。我々の日々の中で、こういった人たちのことを考えませんよね。我々にとって存在しない人たちなんです。こういった人たちが世界中にいます。彼らが苦しんでいる時、彼らのヘルスケアができない時、その時病気は広がり続けます。特権を持っている人達は良いですよね、ソーシャルディスタンスを保つこともできるし、手を頻繁に洗うこともできますし、治療を受けることもできるでしょう。でもそれでも私たちも安全ではないのです。インタービーイング(相互存在)について学びます。これはモデルになったもので、すでに見たことがある人も多いかと思いますが、こちらが豆です、陰陽豆。そして豆の半分は白で半分は黒くなっています。白い側に黒い点があり、黒い側には白い点があります。インタービーン(豆)と私は呼んでいます。白の中に黒があり、黒の中に白があります。インタービーンが表しているのはブッダの深い教えです。相互存在であるということ。私たちが学ぶのは有色人種の人々の中に白人の人たちがいて、白人の人たちの中に有色人種の人たちがいます。私たちはお互いの中にいます。昨日10代の子どもたちと話していて彼らはとても不安に駆られていました。ジョージについてのニュースを聞いて不穏になっていました。そして私たちは差別について語りました。私が育っていく中で私と弟はアメラジアンのアメリカ人で父はヴェトナムにいたGIでした。私たちはたくさんの差別に直面してきました。子どもたちは私たちの悪口を言いました。特に弟はもっと白人みたいに見えましたので彼は毎日殴られていました。いつ遊ぶ時にも彼はアメリカ人の役をしなければなりませんでした。そして負けさせられるんです。でも成長する中で、アフリカ系アメリカ人の人々に対する差別も見ました。ベトナム人の子どもたちはそういった子たちをもっとひどい目に合わせました。人生の早い段階から分かっていましたアジア系アメリカ人にならなければいけないとしたら白人とのハーフである方が黒人とのハーフであるよりましだと思っていました。アメリカに来てまた学んだことがあります。アフリカ系アメリカ人とは距離を置くこと。彼らと一緒にいたら差別されるという恐れがあったからです。私の中で一匹狼的な行動がありましたし人と切り離して考えていましたが、でもそのように学びました。ですから正しい見方について言うと、見方は両親から学びます。社会から学びます。何が大事にされることなのか、何がそうでないのか。それらは全部相対的なものです。でもこのインタービーイングの教えは永遠に深い真実としてあります。我々はお互いの中にいます。また私がプラクティスから学んだことは私のお母さんは私の中にいるということです。私の人生の20年間。1980年から2000年まで私が尼僧として出家するまで毎年、何回かはお母さんの夢を見ていました。夢の中でお母さんは私を見ないのです。私たちはすれ違うのだけれど彼女は決して私を見ませんでした。私に話しかけることもありませんでした。そして私は目を覚まして心は乱れて、とても悲しい気持ちになっていました。私の中の鬱の引き金になっていました。20年間ずっとです。私のお母さんが私を見てくれない事。そして私のパートナーが亡くなりました。1999年のそして私は出家しました9月のことです。3か月後私はプラムヴィレッジに行きました。2000年の5月のことです。1年もしないうちに彼の夢を見ました。彼は木のベッドに座っていて、窓の外を見ていて、窓の外を見ていました。私は部屋に入っていくところで彼の背中だけが見えました。彼は静かに瞑想をしていました。でもやっぱり目が覚めた時には悲しい気持ちでした。なぜなら彼は私に背中を向けていたからです。その後まもなく別の夢を見ました。私はジョンを呼んで言ったんです。「私の誕生日なの、誕生日なのよ。私のところに来る?」と。彼は「愛しい人よ行けないよ」と言いました。私は泣いていました。私は夢の中でひどく泣いていました。その時私の中にある考えが浮かび上がりました。彼は死んでいたんだと。彼が私の誕生日にお祝いできないなんて、来れないのはその理由しかないと。お分かりになりますか?20年間の間私の心は私は母が死んだと知りませんでした。彼女の死を受け入れていなかったんです。でもプラクティスをして私が経験してきた痛みやグリーフを日々認識し、そして悲しみと共に呼吸することを学びました。ジョン、あなたはここにいるのを知っているよ。あなたは私の中にいる。私はあなたのためにプラクティスしているよ。あなたのために歩き、呼吸をしている。私はあなたのためにこの人生を生きている。そう言って四聖諦の1つ目のプラクティスを私はできました。それはグリーフがあると認める事。そして原因と条件を見る事。それを抱きしめる事。私の深くにある蔵識は認めることができました。彼は亡くなったのだと認識して受け入れることができました。グリーフをどう抱きしめたら良いか分からないこととグリーフを抱きしめることを学んだことは大きな違いでした。私は同じ人間でしたが同じ自分ではありませんでした。一緒に呼吸をしましょう。(鐘の音)私はあなたのために呼吸する。私はあなたのために自分のケアをする。私はあなたのためにここにいます。あなたが見えます私の心の中に。あなたの声が今も聞こえます。あなたの思い出がいっぱいあります。あなたの笑い声。あなたの話し方、歩き方、あなたの微笑み。あなたの叫び方、あなたの怒り方、私の中で今も生きています。私たちは湧き上がってくるもののためにそこにいることを学びます。シンプルな認識をしてありのままを抱きしめる。それらの思考や感情を押さえつける代わりに、またはそれを避けようとする代わりに。時として深いグリーフの中で、あるいは大きなストレスの中で私たちはトラウマを経験することがあります。何かが起こってすぐ後には手が震えて何も持てなかったり全身が震えたりします。そのようなことが起こった時自分の身体が震えていつもの声が出せなくなって何もできなくなってしまう。それにマスクをしようとしないでください。私は自分がマスクをつけた時を想像します。マスクは微笑んでいるかもしれませんが、でもそのマスクの下にいる人は泣いています。それは私たちのトラウマを深めます。それがもたらすのは多くの精神的、肉体的な病気です。震えている時には自分の手を抱きしめて下さい。大丈夫、大丈夫だよ、と言って呼吸します。呼吸して、私はここにいるよと話しかけて、私が癒されますようにと願います。名前を思い浮かべます。愛する人のイメージを。私たちが大切にする人を。お願い癒すことを助けて、と言います。あなたのために癒すことを助けて、と。私の中のあなたを抱きしめることを助けて、と。そうしたら私たちの痛み、グリーフ、喪失にマスクをつける必要がなくなります。私たちはそこに本当にいることができます。それが私たちの身体をリラックスさせてくれます。もっとアドレナリンを作り出さないようにします。感情ホルモンをそれ以上出さないようにします。それはさらなる緊張と病気を身体に引き起こすからです。今、そして時が来たら時間を取ってください。トイレに行って便器に座って、そこがどこでも静かに座ってください。大地に近づくほどに穏やかさが大きくなります。何日か前私は短いビデオを見ました小さな6歳の女の子のビデオです。お母さんはその子をビデオ撮影していました。彼女は両親が喧嘩しているのを見た後でスピーチをしました。お母さんはたまたまその瞬間を捉えました。誰か見たことある人いますか?とても可愛らしいんですよ。6歳の小さな子が彼女が両親に言ったのは「お互いに優しくしなきゃダメなの!微笑んで!意地悪しちゃダメ!意地悪しちゃダメなの!お父さんはこのあたりにいる、お母さんはこんなところにいる、下に降りて大地に降りてきて!穏やかになって、微笑んで、優しくして!お互いに意地悪をしていたら将来はモンスターになっちゃう。私は意地悪したいんじゃないの、いじめてるんじゃないよ。ただお互いに優しくしてほしいの。」ということでした。何てことでしょう。6歳の子どもです。なんて知恵を持っているんでしょう。ブッダは私たちの中にいます。でも年月がたって私たちはただ自分の仏性を忘れてしまうのです。私たちの神聖さを。私たちは痛みやグリーフや無力さに囚われてそして忘れてしまうのです。愛することができるということを。喪失の絶望と悲しみに直面しながらも愛があり、スペースがあります。愛だけが癒すことができます。暴力や絶望、拒否や否認によってではありません。インタービーイングが正しい見方です。インタービーイングが全てのものの真実の姿です。ここに戻ってくる必要があります。これによって私たちは理解します。ヘルスケアはそれを受ける特権を持った人だけのものではありません。ヘルスケアは全ての人のためにあります。私たちが安全であるためには母なる大地が守られる必要があることも学びました。なぜかというと母なる大地がダメージを受けた時彼女が作り出したものたちも消えてしまいます。人間が野生の生き物の住処を壊した時、人間は森を破壊し水を汚し、ウィルスやバクテリアは環境に適応するために毒性のあるものになりました。そしてそれらと我々は接触するようになりました。これか我々はこれからもこのような感染症に出会うでしょうらもまた出会うでしょう。コロナウィルスの原因について読んでいた時、明らかな原因についてで根本原因ではありませんが、それを運んできたのはコウモリからだということでした。彼らは何千種類ものコロナウィルスを持っていて人々は何百種類もをすでに発見しています。もしかしたらこう言うかもしれません。それは脅威だから我々を救い感染症にこれ以上直面しないように、それらを絶滅させてしまえば良いじゃないかと。それは仏教徒的な考えではありませんが、私の頭をよぎりました。でも、コウモリ自体は問題じゃないんです。それは人間が接触した時に起こる問題なんです。野生動物を取引することによって。そして近くに住んでいる人達によって。彼らが感染してそして伝播します。ご存じのように人々は世界中どこでも旅行しますから。中国のどこか分からない場所から一人の人に起こった感染が世界中に今では広がりました。それはなぜかというとこのインタービーイングという現実です。私たちはお互いに深く関わりあっています。一人の人間は全ての中にいて、一人の人間がすべてに影響します。私たちがこれを学べばグリーフを通して私たちは命を大切にすることができます。私たちは全ての人の苦しみを認識します。一人だけでなくたくさんの人たちが苦しんでいます。すべての人がこの苦しみはある時に終ることはありません。それは続いていくでしょう。自分のケアをすることができずお互いと母なる地球のケアができなければ。より良いケアがなければ苦しみは続いていくでしょう。鐘の音を共に楽しみましょう。(鐘の音)日本で津波があった時多くの人が亡くなりました。法話の一つでタイが話していました。愛する人が亡くなった時、私たちの一部は死にます。でも私たちはまだ生きていますからその人には生き続けるチャンスがあります。ルーミーという詩人がいます彼は「人は人の心の中で生き続ける」と書きました。私のパートナーは亡くなって20年がたちました。私の母がいなくなって40年です。でも彼らは私の中にいます。私は学びました。もし私たちがグリーフの経験から自分の人生を生きることができたら、意味のある人生を深く送ることができたら、私たちの人生を完全に生きることができたら、他の人を助けることができます。そうすれば愛する人が失われることはありません。私は彼らを道の脇にある紫色の花に見ます。私はパートナーを朝焼けと夕焼けに見ます。彼は自然を愛していましたから。私の微笑みの中に母を見ます。彼女は上手に話しましたから。でも、彼女の怒りも私の中にはっきりと見ることができます。私は愛する人の美しい面を育てることを学びました。彼らが私の中で咲き続けられるように。彼らが私を通して表れて私となるように。私の祖母は非常にスピリチュアルな人でした。ですから私がこの道に入ったのは祖母のお陰です。なので祖母は私の中に生きています。お分かりになりますか。でももしどうやって認めるのかを知らず、グリーフを抱きしめることを知らなければ。もし怒りと絶望と憎しみにそして心を閉ざすと人生を無駄にしてしまいます。愛する人について考える時、彼らについて過去のものとして考えます。彼らは過ぎ去ってしまったと。彼らについて考える時に悲しみや暗さと結び付けて考えていたら、それは私たちができる限り彼らを死んだままにしておこうということを確実にしているようなものです。彼らは過去にいて彼らは暗闇と苦しみに属している。私たちの人生は暗闇と苦しみの中にある。でももし私たちが癒すことができれば、私たちはまだ生きている人の助けになれます。覚えていて下さい。一人の人が亡くなったら、生きている人達を大切にする事を学ぶ必要があります。もしお祖母さんが亡くなったら、もしくはお母さんがなくなったら、あなたのお母さんやお祖母さんをあなたの兄弟姉妹の中に見て下さい。あなたの子どもの中に。あなた自身の中に。彼らがどのように生きているかを見て下さい。彼らを生かしてあげて下さい。彼らを死なせないでください。このように命を育むことができます。ある人が亡くなった時、私たちは一人の人を失いますが、その人はすべてを失うのです。それがもしお祖母さんだったら、その子どもたちを失います。孫たちを失います。配偶者、友人、人生のすべて。その人はすべてを失います。もし私たちの一人一人が、この経験から成長して、心を開いてその人を生かすことができたら、生き生きとすることができたら彼らはまた行きます。リメンバーミーという映画を見ましたか?彼は生きたいと思っていました。この地球上で誰かが彼を覚えていることを通して。なぜかというと彼の娘はすでに80代90代で彼女が彼を覚えている最後の人でした。彼女が彼の記憶を失うと彼は永遠にいなくなってしまう。私たちは愛する人の心の中で生き続ける。あるいは友人の心の中で。ブッダは2600年後も生き続けています。私たちを見て下さい。僧、尼僧、在家のプラクティショナーたち、私たちはブッダを生きています。私たちはブッダの子どもです。私たちがブッダなのです。私たちが気づいている時、注意している時ブッダがいます。愛する人を生かしています。呼吸しましょうお互いと一緒に。この微笑み。心臓の温かさ。癒すという決意。愛する人のために生きること。今となっては呼吸できない人のために。牢獄にいる人たちのために。狭い一角にいる人たちのために。(鐘の音)グリーフは避けることができません。先生が苦しみは避けることができないと教えたように。先生が苦しみは避けることができないと教えたように、グリーフもまた避けることができません。でもタイはこうも言いました。苦しむかどうかは選択することができるのだと。痛みを避けることはできないが、苦しむかどうかは選ぶことができる。ですからグリーフは、同じように避けることはできませんが、でもトラウマやPTSD、孤立や絶望、それは選択可能なのです。気づきがあれば我々はその内側に深く入って、私たちは助けに辿り着きます。癒しは可能なのです。ブッダが教えてくれた3つ目の聖絶望や不正義をなくすこと。なる真実です。グリーフや苦しみをなくすこと。それは可能なのです。もし私たちがお互いを助け合えば。癒すために分断ではなく力を合わせることができたら可能なのです。このパンデミックの間、看護師や医者は最前線にいました。彼らの多くが命を危険にさらして、患者の治療をしていました。彼らも多くのグリーフを経験しました。ご覧になったと思いますがある若い医者が彼女もコロナウィルスに感染して、彼女はそこから回復して彼女は仕事に戻り、そして自殺しました。孤立というのは非常に困難なものです。人々はこの期間シェルターの中に入って孤立と直面しました。老人ホームにいる老人たち、愛する人は彼らに会いに行けません。私はある写真を見ました。お祖母さんが孫をハグしているのですが、薄いプラスチックで覆われていて、その薄いフィルムを通してハグをしていました。または息子が白髪のお母さんに向かって歌っている。母の日に「あなたは私の太陽だ」と窓越しに歌ってました。孤立について言うと、医療従事者は大きなストレスを抱えています。家に帰った時には、愛する人と関わることをしません。病気を広めることを怖れるからです。彼らは深刻な孤立に苦しんでいます。仕事でのストレス、家での孤立。ある人たちは愛する人を守るためにホテルや別の場所に滞在している人もいます。毎日ストレスを経験していますから彼らは怖れも抱えています病気に感染するのではないかと、そして自分が病気を広めてしまうのではないかと。そして彼らは知らせなくてはなりません。人々に愛する人の死を。あるお医者さんはある女性を呼んで言いました。「お伝えしたいことがあります。あなたのお姉さんは亡くなりました」と。するとその女性が言ったのは「私は夫の葬儀に向かうところなのです。兄弟姉妹も最近コロナウィルスのため亡くなりました」ということでした。それは一人の人間が耐えるにはものすごく大きなグリーフです。お医者さんが、患者さんに伝え、ある家族、次の家族と伝えるのは辛いことです。私はある看護師がTシャツを着ているのを見ました。その背中には「一人の人を救えばあなたは英雄だ。100人の人を救えばあなたは看護師だ」書かれていました。私たちは多くのことを当たり前だと思います。我々のケアをして、この世界をケアするために外にいる人たちが何をしているのか。そして私たちは物事が普通に戻った時には忘れてしまうでしょう。それらの医療従事者たちの多くはトラウマとPTSDを経験しているのです。この先も長く、それらこれらのすべての苦しみはのケアがされなければ、今私たちそして未来へと深くに影響しています。ベトナムに戻ってきた帰還兵が、忘れられ、責められ、信頼されず、最後の一息まで彼らは苦しみました。これが私たちの高めようとしている気づきです。きちんと気がつくことの必要があるのだと。きちんと気がつくこと、抱きしめる事、それが現実のものだからです。この苦しみは個人的なものではありません。この苦しみは集合的なものなのです。一人一人がこのグリーフを抱きしめることによって、これを認めて共に呼吸することによって、身体をリラックスさせることができ、戻ってくることができます。インタービーイングという本当の現実に。そうしたら私たちは孤立に苦しむことはなくなります。物理的に自分を切り離しても、全ての人とつながっていると感じることができます。彼らがそこにいることを知っているからです。一人の人のケアをすることは、たくさんの人のケアをするということです。そうですよね。一緒に呼吸をしましょう。(鐘の音)ブッダが論じたことの一つに、5つの確認というのがあります。人生についての5つの事実です。私たちはみんな、振り返る必要があります。日々深く考えるのです。そして、5つの確認とはこのようなものです。最初は私は年を取る性質を持っている。年をとることを避けることはできない。2つ目、私は病になる性質を持っている。病気になることを避けることはできない。3つ目、私は死ぬ性質を持っている。死を逃れる方法はない。でも病気になるために、死ぬために年を取る必要はありません。そうですよね?ある日私は坐るために瞑想ホールに歩いていました。朝の坐る瞑想に向かうためです。私はキョウチクトウを見ました。一つの花の蕾が落ちました。枝から落ちたのです。私は多くの花が落ちるのを見ますが、でも私が平和に歩いていたその時、落ち着いていて気づいた状態でした。その落ちてゆく蕾は、私の心の深くに何かを残していきました。花は満開になってしおれなくても花の蕾は落ちていくことがある。ほとんど咲いていない花も強い風が吹くなどの条件が重なれば落ちることがあるのです。花は異なるステージで落ちることがあるのです。それはシンプルな事実ですが、でもその時、深い気づきがあったので、深い静けさと共にあったので、それに目を開かれました。命の見方が変わりました。そして自分自身について。それはあなたの反応を変化させます。その瞬間に、私ははっきりと見ました。それが私をこれまでの喪失から癒してくれました。もちろんその瞬間からプラクティスしました。マインドフルネスと集中を。愛を持って語るプラクティスをしました。八正道を。癒しを可能にするためのプラクティスのための8つの道です。正しい見方(正見)と、正しい考え(正思)が私を助けてくれました。私たちは年齢に関わらず病となる性質を持っています。肌の色に関わらず、経済的なステータスによらず、私たちは年を取る性質です。何者で何をやっているかに関係ありません。私たちはみんな年を取っていきます。私たちはみな死ぬ性質にあります。ダライ・ラマは人間について一番驚いたのは何かと聞かれました。彼はこう答えました。人々が自分の健康を犠牲にしてお金を得ることです。そしてお金を使って、健康を回復します。未来について非常に心配して、そして今を楽しむことをしません。その結果として今も未来も生きることができないのです。彼らはまるでずっと死なないかのように生きています。そして彼らは本当の意味で生きることをしないまま死にます。生きることがないまま死ぬのです。これがダライ・ラマが言ったことです。5つの確認は私たちの日々の中で歩く時に思い出せます。私たちは戻ってくることを思い出します。一歩一歩に。これは左足だと気がつきます。これは右足だと気がつきます。これは入ってくる息だと気がつく。これは出ていく息だと気がつく。その気づきが私たちに気がつかせてくれます。今も生きているのだと。私達は歩けない人のために歩きます。あるいは呼吸できない人のために呼吸します。そしてまた私たち自身の脆さ儚さにもふれます。この5つの確認のプラクティスをする時、これは悲観的になるためのものではありませんし、神経質になるためのものでもありません。それは実際に私たちが今まだ持っているものに対して鋭く気づいて感謝するための助けとなってくれるのです。癒すため、そして他の人々とのつながりを深めるためです。私は年を取る性質を持っている。でも私は今まだ若い。私の若さとエネルギーを大切にする。だから建設的なんです。私は病気になる性質を持っている。でも私は今まだ健康だ。ご飯をちゃんと食べて運動をします。愛する人のために時間を作ります。笑って、遊んで、良い仕事をする。もし病気があったら、私にはありますが、自分の身体をケアすることを学びます。もっと頻繁に休むようにして、自分のリミットを知って、自分が限度を超えるまで分からない時は、その手前で止めるようにする。そのように良いケアをできるように学びます。私は死ぬ性質である。歩く瞑想を日々の中で行う時に、私たち実際、母なる地球に優しくしています。母なる地球に一瞬一瞬戻っています。あなたが坐って安定と平和、軽やかさにふれる時、あなたは母なる地球に戻っています。そして脅威とはなっていません。座る時、歩く時、横になる時、母なる地球があなたを抱きしめているのだと、あなたを育んでくれているのだと気づきがあれば、母なる地球に戻っていくことができます。母なる地球に戻るのは、愛情のこもったことです。安心安全です。日々の中でこれをプラクティスします。私たちは戻ってくるプラクティスをします。それは、この身体を手放す時に、怖れなくて良いようにです。亡くなった人たちがいて、最近では10万人以上の人が亡くなりました。それに加えてジョージがいます。まだ健康だったにも関わらず、命を失わなければならなかった人々がいます。でもいつか、あなたも私も死にます。遅かれ早かれ。どのように生きたらいいでしょうか。私たちにあるこの場で。私たちの生は美しいです。でも、私たちの死もまた今ここで美しいのです。私たちがどうやって生きるかということが、人々をインスパイアします。でも私たちがどうやって死ぬかということも、人々をインスパイアするのです。もっと美しく生きるために。慈悲深く愛をもって生きるように。どうやって生きるかということは非常に大事なのです。そしてどう死ぬかということも。一瞬一瞬。そして最後の時に、それは影響します、全ての人に。4つ目の確認は、私の愛する人はすべて変化する性質にあるということです。私は彼らと別れることを逃れることはできません。私たちは席を空けます。まだ生きている人たちのことを忘れないでください。私たちの子どもたちのことを。私たちの友人たち。世界中の人々のことを。彼らのことを忘れないでください。彼らを忘れないでください、私たちはまだ生きています。私たちが自分のケアをすることができれば他の人々の呼吸が楽になるチャンスがあります。私たちの怒りや絶望などの自分の心の形成物のケアの仕方を知らないと、私たちは復讐をします。もっと暴力と絶望をこの世界にもたらします。それが私が10代の子どもたちに言ったことです。この世界の暴力と差別を目にした時、どう自分自身のケアをすることができるでしょうか。なぜならいつか、あなたが政策を作る人になるからです。あなたが意思決定をする立場の人間になります。何かいい方法はあるでしょうか。人々を守れるでしょうか。もしくは同じことをするのでしょうか。同じ場所で同じ過ちを繰り返すのでしょうか。今あなたは何をしているでしょうか。何人かの若者は有色人種の友達に電話して彼らを「大丈夫だよ、私が助けになるからね」と言って慰めていると言いました。または誰か一人で座っている人を見たらその人に近づいていって言うと言いました。私たちのグループに参加したらいいよ、私と友達になったらいいよ、と。それが若い人、そして全ての年代の人が日々の中でできることです。命を育み、命を大切にするということ。そして愛と癒しです。私たちは外にいる人を責めることもできます。このウィルスを広めたのは中国人だと責め、白人を責めて、黒人を責める。でもそれらの人たちはみんな私たちの中にいます。自分自身のケアをすることができない人。怒りと憎しみのケアをできない人。嫉妬のケアをできない人。そうすると私たちはみんな集合的に責任があります。この世界の苦しみに貢献しているのです。四聖諦を知っていることによって、苦しみやグリーフがあること、その原因があること、そのことが私たちの日常を深く見させてくれます。そして深い信念を持ちます。そこから抜け出る道はあるのだと。そして明確なプラクティスがあります。マインドフルな呼吸、歩く瞑想。坐る瞑想、愛を持って話すこと、深く聴くこと。それらのプラクティスで私たちは学ぶことができます。それを自分自身に適用することができます。そして周りの人のために使うことができます。近くにいる人にも遠くにいる人にも。ですからグリーフからの癒しは可能なのです。そして命は可能なのです。親愛なるブラザーたち、ありがとうございます。友人のみなさんありがとうございます。みなさんのプラクティスに感謝します。今日ここにいてくれる選択に感謝します。共に私たちはベストを尽くします。教えを広めること、そして愛と癒しのエネルギーを送ることを。では、共に呼吸をしましょう。美しく座ってください。まだ座れることができる身体に気がついて、それを楽しむことができることに気がついて下さい。5つ目の確認は、我々の行為が私たちが本当に残せるものだということです。我々の行為が、私たちの立ち位置の根拠となるものだということです。私たちは自分の思考、言葉、そして身体的な振る舞いによって生まれます。そして私たちは私たちの思考、言葉、振る舞いによって続いていきます。子どもがいてもいなくても、親戚がいてもいなくても、私たちの行動が、私たちを継続します。ブッダの選択と行動が私たちの人生に影響しました。今ここに影響しています。我々の思考を私たちは選ぶことができます。この瞬間に我々の思考を導きましょう。まず自分の身体に対するいくつしみです。私の身体が癒されますように。私がこのグリーフを癒すことを選択できますように。そしていつくしみの思いを他の人へ導いていきます。あなたが美しく継続されますように。暴力と怒りと復讐がこの世界にこれ以上起こりませんように。お互いを守る道を見つけられますように。母なる地球とその創造物をもっと守れますように。私たちはいつくしみの思いを私たちの言葉で送ります。とてもシンプルな愛の振る舞いと行動で自分自身に届け、近くと遠くの周りの人に届けます。それが私の継続です。そのようにして愛する人を継続します。彼らが私たちの内側で私たちを通して育ち、共に癒すための助けとなります。私たちのグリーフからその癒しを選択しましょう。癒しは可能なのです。そしてそれは、私たちのプラクティスを通してです。私たちの意図によってです。そして私たちの一瞬一瞬の行動によってです。(鐘の音) 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