2020年2月2日 アン・フーンさんの法話「5つのマインドフルネス・トレーニング『1.いのちを敬う』について」

これは2020年2月2日、アン・フーン・グエン(Anh-Huong Nguyen)さんが日本のサンガに向けてオンラインで語ってくださった法話を書き起こしたものです。

“先月から5つのマインドフルネス・トレーニングを学び始めました。先月は第一のトレーニング「いのちを敬う」をやりましたね。今月もその続きをして、来月から第2のトレーニングにいきましょう。5つのマインドフルネス・トレーニングは北極星のようなものです。平和で幸せな人生を送り、その実践を人々とシェアするための道しるべとなる北極星です。この道を歩くことができるのは幸せなことです。北極星にたどり着ける人は一人もいません。それと同じように、5つのマインドフルネス・トレーニングを完璧に実践できる人は一人もいません。でも、実践があることによって、自分の心と身体はより軽くなっていきます。

人によってはマインドフルネスのプラクティスをしていれば十分だから5つのマインドフルネス・トレーニングは必要ないという人もいます。でも、マインドフルネスのプラクティスをしていてもそれが正しいマインドフルネスではなく間違ったマインドフルネスであることもあります。例えば、マインドフルにタバコを吸っている人がいるとします。20年間マインドフルにタバコを吸っている人です。もし、その人が本当に正しいマインドフルネスを実践していたらタバコを吸うことをやめているはずです。タバコを吸うことから生まれる苦しみに気づくはずです。

タバコを吸うことは犯罪ではありません。タバコを吸う人はタバコを吸うのがただ好きだから吸うのです。それは、タバコを吸っている間、自分の心の底から出てくる痛みと向き合う必要がないからです。それは習慣なのです。さみしさを紛らわせるための習慣です。自分の感情をコントロールするために身につけたことです。自分を忙しくして働きすぎるのも同じような習慣です。自分の心の奥底にあるものを感じなくていいようにするのです。

マインドフルネスのプラクティスは苦しみに気づくところから始まります。苦しみとは、感情をコントロールするための習慣から生まれる苦しみ、例えばタバコを何年も吸っていると肺や自分の身体そのものを弱くしていくこと、食べ過ぎたり、アルコールを飲みすぎることも私たちを不健康にして頭をはっきりとさせなくします。映画を見すぎると不健康なエネルギーに私たちをさらすことになります。だから、それらの習慣によって生まれる苦しみに気づいたとき、私たちは正しいマインドフルネスをはじめるチャンスなのです。

5つのマインドフルネス・トレーニングの中心にあるのは「苦しみに対する気づき」です。苦しみへの気づきがなければマインドフルネスの成果を得ることはできません。気づきが私たちの心や人生に慈悲の心が浮かんでくるのを可能にしてくれます。慈悲があるところに幸せもあります。マインドフルネスのプラクティスは私たちの人生で慈悲のエネルギーを養うことを可能にしてくれます。1つ目のマインドフルネス・トレーニングを学ぶのに1年間を費やすこともできますが、今回は1つのトレーニングに対して2か月のペースで進んでいきましょう。5つのマインドフルネス・トレーニングについて語ることは、幸せの方向について語ることです。どのトレーニングを実践しても、幸せの方向に一歩進めていくような感覚です。5つのマインドフルネス・トレーニングは大学の授業とは違います。我々は自分たちの幸せや苦しみについて学びます。それは楽しく、喜びがあり、あきることがなく、いつまでも話し続けることができます。

では、1つ目のトレーニングについてどなたか読んでください。そこに書かれている最初の一文について言及したいと思います。「いのちを破壊することから生まれる苦しみに気づき、相互存在を洞察する眼と慈悲とを養い、人間、動物、植物、鉱物のいのちを守る方法を学ぶことを誓います。」という部分です。命の破壊はどの瞬間にも起こっています。私たちの身体の中では今も無数の細胞が死に、そして生まれています。この瞬間に生まれてくる赤ちゃんがいて、死んでいく人がいます。生まれてくる木があり、死んでいく木があります。生まれてくる動物がいて、死んでいく動物がいます。これは単に生と死についての話ではなく、苦しみについての話です。生命を破壊することから生まれる苦しみです。例えば、戦争によって殺されること、学校や教会で銃が撃たれて殺されること、動物が残虐に扱われることそのことによって生まれる苦しみについてです。

命について、と言った時にそれは人間だけではなく、動物や植物、鉱物を含めています。命はすべて尊いものだからです。切り倒されていく木や、戦争や交通事故で人が亡くなるのを見た時苦しみますよね。木々の破壊や自然災害で死傷者が出た時、私たちは苦しみ、命を守りたいと思うのです。だから相互存在を洞察する眼と慈悲の智慧を養うことを誓うのです。それは観念ではなく、洞察です。相互存在の洞察とは、すべてが関連しているということに気づくことです。植物がなければ動物は生きることができず、人間もまた生きることができません。海も川もすべて私たちとつながっていて関りあっています。人や植物、動物、鉱物がつながっていることは頭でも分かります。でもそれを単に知っているだけでは慈悲の心を養うことはできません。生命を助けるためには慈悲が必要で、その力によって海の魚が死んだら人間も死ぬことが分かるのです。

マインドフルネスの実践のためには集中と洞察が必要です。集中とは安定していて、継続的なマインドフルネスの実践です。マインドフルネスを議論で学ぶことはできるのか?と問う人がいますが、これは討論のためのものではありません。命を破壊することから生まれる苦しみに気づいて抱きしめるための招待状なのです。マインドフルネスと集中と共にその苦しみを抱きしめた時に、洞察と慈悲もともにやってきます。動物、海、植物に起こっていることは私たちに起こっていることなのだ、というのは理論ではなく洞察です。そのようなエネルギーがあればどうしたらいいのかが分かります。

私たちの家族について考えてみると、私たちにはそれぞれ父と母、兄弟・姉妹がいます。自分と父、母、兄弟、姉妹は違う人間で、同じ家に生まれたけれど別の個人だと思っている人がいます。では、母親が苦しんでいる時に、自分は全く関係ないと言えるでしょうか?お姉さんが幸せで、自分が不幸だと感じているとしたら、二人は関係していないといえるでしょうか?

自分の中には自分を幸せにしてくれるものと、不幸にするものがあります。自分を幸せにしれくれるものだけを受け入れて、不幸にするもの、自分が悲しくなることを避けるのは差別であり分離です。私たちのマインドは多くの場合2つの対立するものに条件づけられています。正しい/間違っている、苦しみ/喜び、好き/嫌いなどです。マインドフルネスの実践はそこにあるものをジャッジや分類なしに共にあることです。

私たちのプラクティスは幸せな感情が湧き上がってきたら「こんにちは」と話しかけてその感情と共にいて、悲しい感情が湧き上がってきたときにも友達のように「こんにちは」と語りかけて共にいるプラクティスです。

私たちの習慣を立ち止まって、深く観ることをします。「好き」「嫌い」に分けてしまうこと、好きなものを追いかけて、嫌なものから逃げる習慣を省察します。マインドフルな呼吸をして、何かから逃げることを止めます。立ち止まって、すべてを受け入れます。立ち止まることが、相互存在の洞察を養うことを助けてくれます。立ち止まることがなければ、相互存在の洞察を培うことはできません。相互存在の洞察が最初のマインドフルネス・トレーニングの核です。

想像してみてください。あなたのお父さんと自分が共に苦しんでいて、話せば話すほどお互いの怒りが湧くような状態だとします。それは、相手の苦しみが自分の苦しみだと理解していないからです。お父さんは「自分は息子のせいで苦しんでいる」あなたは「お父さんのせいで苦しんでいる」と両方が思っている限り、ずっと苦しみ続けることになります。お互いが苦しんでいて、どちらの方がより苦しんでいるか、苦しみが大きいのはどちらかということではないのです。そうではなく、どちらも苦しんでいることが分かれば洞察をえることができるチャンスがあります。そうすれば慈悲が湧いてきます。

そこにあるのは苦しみだけです。ただ、苦しみだけがそこにあるのです。相手を非難する必要はありません。相手を非難する必要がないことが分かれば、苦しみから抜けられる道があります。

「あなたは私ではない」と思っている限り、苦しみは永遠に続いていきます。あなたの幸せはあなたのもの、私の幸せは私のものと思っていれば苦しみは繰り返し、自分たち両方が同じように苦しんでいると気づかない限り変わりません。

自分を苦しめている人が家族の中にいたとします。あなたはその人の犠牲者のように感じて、自分がその人のせいで苦しみの檻に閉じ込められていると感じるかもしれません。そして苦しみによってがんじがらめにされていると感じているかもしれません。

それはあなたはその人とは違うんだと差別の心に根差しているからです。あなたも苦しんでいるけれど、相手も苦しんでいるのだと思い至ることができれば、救いの道はあります。マインドフルネスと集中とプラクティスすることによって生まれる洞察から、差別的な意識を徐々に変容させることができます。

自分が苦しみの中に閉じ込められていると感じていたらサンガでプラクティスをしてください。呼吸や、座る瞑想、歩く瞑想、食べる瞑想などをすることによってマインドフルネスと慈悲が養われてだんだんと色々なものが見えてきます。

「いのちを敬う」の後半部分には「有害な行為は、差別や二元的思考から生まれ、怒り、恐れ、むさぼり、不寛容から生じることを見抜きます。」とあります。「差別的な考え」とは自分と相手を違ったものとして見ることです。それによって多くの苦しみが生まれます。私たちは基本的なマインドフルネスのプラクティスに戻る必要があります。私たちの中のマインドフルネスのエネルギーを養うために、マインドフルな呼吸、歩く瞑想や、身体への気づきなど、サンガといる時だけでなくいない時にもプラクティスをすることによってゆっくるゆっくり、私たちの中の差別の心に変容がうまれます。

怒りや緊張は私たちの心のスペースを多く奪ってしまいます。例えば2人の人が富士山を見ていたとします、一人の人は穏やかな心でみていて、もう一人は怒りながら見ていたとすると、怒っている人の心の中は怒りでいっぱいで、もう一人の人が見ている目の前にある富士山の美しさに出会うことができなくなってしまいます。差別の習慣的なエネルギーは生命の素晴らしさやこの瞬間を幸せに生きることを奪っていってしまいます。

相互存在の洞察が育まれれば、怒りや不安が減っていきます。そのことによってこの瞬間にある命を楽しむことができます。そして、人生に対する喜びや幸せが深まり、感謝や敬意が自然と湧いてくるのです。命が破壊される苦しみに気づくということは、生きる喜びに気づくということなのです。

苦しみに気がつけばもっと苦しくなると考える人もいます。でもそれは違うのです。苦しみに気づくということによって、もともとある命の喜びに気がつくこともできるのです。

もし、マインドフルネスのプラクティスをしているのに自分が幸せになっていかないとしたらそれは正しい方向でやっていないのかもしれません。正しいマインドフルネスのプラクティスは苦しみへの気づきを必要とします。そのことによって、喜び、平和、幸せ、慈悲の心が生まれてきます。そのことを覚えておいてください。”

(翻訳・書き起こし:Kumiko Jin)
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ティク・ナット・ハン「マインドフルネスの教え」
HP: https://www.tnhjapan.org/
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