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2018年4月19日 ブラザーファップフー 「Be free where you are」
2018年4月19日にあった若者向けプラムビレジ来日イベントWake up!でのブラザーファップフーのお話「Be Free Where You Are(あなたがいる場所で自由になる)」をシェアしたいと思います。以下ブラザーファップフーのお話です。
最初はプラムビレッジの歌を歌いたいと思います。私たちは色々な歌を歌います。歌は子供にマインドフルネスを伝えるのにとてもいい手段でもあります。彼らの中の良い種に水を与えることができるからです。
[私は雲]
私は雲 私は空 私は鳥 つばさ広げ
私は花 私は光 私は大地 種を受け
私は自由 胸を開き 私は 自由 心は澄んで
おお ディア ブラザー!おお ディア シスター!
ともに歩こう マインドフルに
私は自由 胸を開き 私は自由 心は澄んで
おお ディア ブラザー!おお ディア シスター!
ともに歩こう 楽しく
(英語での歌はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=SHxZV9HEUKo)
この歌には「私は雲、私は青空、羽を広げる鳥」と歌詞がありますが、人間は人間であるだけではありません。自分が生きているためにはたくさんの条件が必要です。例えば呼吸をします。その空気は自然が作り出しているものです。歌の中に羽を広げるというところがありましたが、プラムビレッジの教えの中にも二つの羽があります。一つは「止まること」もう一つは「深く観ること」です。羽ばたいて空を飛ぶためにはその二つの羽が必要です。羽を広げて自分が開かれている時、新しいものを受け入れて自分自身を広げていくこと、愛することができるのです。
私たちのプラクティスは心を身体に連れ戻すプラクティスです。そしてそれを実践する友人が周りにいればいるほど豊かになります。
私たちは瞑想をしますが、「何か」の瞑想です。何か対象が必要です。一番の瞑想の対象となるのは呼吸です。「自由になる」というのも何かから自由になることです。何から自由になるのか?呼吸に集中することで考え続けることから自由になります。また大切なことは、日常の中で実践をどのようにいかすのかということです。それを「応用仏教」(Apllied Buddhism)「行動する仏教」(Engaged Buddhism)と言います。
自分の身体で何が起こっているかに気づくことができれば、自分の感情にも対応できるようになります。マインドフルネスとは今ここで何が起こっているのかに気づくということです。自分の中と外で何か起こっているか気づくことです。マインドフルネスとは自分の中にある種のうちの一つです。それを芽生えさせて日常の中で応用させることが大切です。
たとえば家に帰った時に毎日呼吸に帰るようにします。そうすると自分の身体の緊張に気づくことができます。そうすればそれを変えることもできます。呼吸に気づけば心が身体という我が家に帰ってくることができます。年を取ると自分の夢や願望も忘れてしまいがちです。でも、自分の人生の意味は何なんだろうということに答えることがマインドフルネスです。呼吸はいつもあなたと共にあります。だから実践をできないという理由はどこにもありません。息をしない人などいないのだから。
マインドフルネスのプラクティスをするのに仏教徒である必要はありません。ただ呼吸に帰ればいいのです。プラムビレッジには毎年、クリスチャンもイスラム教徒もユダヤ教徒も来ます。呼吸に帰ればだれでも「今ここで自由になる」プラクティスができるのです。
自由とは何か?それは自分を休められるようになる、ということです。長い休みが取れている時だけが休める時ではありません。また休暇中だから「休んでいる」というわけでもありません。stopすることはどこでもできることです。
止まるということはどういうことか、それは身体が止まることだけではなく、思考が止まること、怒りなどの感情に囚われることことをやめることです。手放す、ということです。今やらなければいつできるというのでしょう?呼吸があなたがストップできるチャンスです。あなたは休みの日に「何もしない」ということができますか?何かをしないではいられない人がほとんどです。予定を何かで埋めようとしてしまう。外にあるエネルギーが私たちを教えています。それは個人のせいではなく社会全体としてそうなっているのです。でも、休みがあることでたくさんのエネルギーをえることができます。自分が「休む」ということをできるのは自分だけです。周りからサポートすることはできます。でも自分自身が取り組む必要があります。
マインドフルネスは自分勝手はモノなのでしょうか?自分の幸せを考え、自分が幸せになろうとすることは。そんなことはありません。自分自身が幸せになることは世界に平和を与えます。安らぎはどこかにあるのではありません。どこか外にある戦争を止める前に自分の内側にある戦争を止める必要があります。
そうすればあなたの愛する人に提供することができます。私たちが愛する人にできる一番の贈り物はなんでしょうか?お金ですか?高価な物ですか?いいえ、なによりの贈り物はわたしたちのプレゼンス(存在)です。
とても成功したビジネスマンで6歳の息子のいる人がいました。彼はとてもお金持ちで息子が望むものはなんでも買ってあげました。息子に「誕生日のプレゼントに何がほしい?」と聞いたところ、息子は「僕がほしいのはお父さんだよ」と言いました。彼が必要としていたのはモノではなく、お父さんがそこにいることだったのです。お父さんはどうしていいかわかりませんでした。そのことをリトリートに来てシェアしてくれました。そしてプラクティスをしました。その人と一緒にいるということを。
人は恋をしたときにはその人がそこにいるだけで幸せです。でもそれは長く続きません。だんだん、一緒にいることが労働のようになってきて、直接話すよりもメールの方が楽になります。現代美術家の作品で若者がハグをしながら相手を見ないで携帯電話を見ている絵がありました。強いインパクトのある作品です。相手と本当の意味で一緒にいるということがますます難しくなり、マインドフルネスや禅が必要とされています。
タイの言葉でthe way out is in(出口は内側にあり)という言葉があります。内側にあるものを見つめるということはとても怖いことでもあります。なぜならそこには苦しみがあるからです。でも、苦しみがまた智慧を与えてくれます。
ある時タイに「地球の上で一番良いところはどこですか?」と質問した人がいました。その人は浄土を探し求めていました。タイは「ここが最高の場所です」と言いました。苦しみがなければ喜びもありません。おなかがすかなければ食べる喜びもないように。
花が花になるためにはたくさんの条件が必要です。雲があり、空があり、土が必要です。蓮の花が咲くためには泥が必要です。大理石の上には花が咲かないのです。肥料が必要です。私たちの場合だと、苦しみが泥になります。プラクティスをする人は庭師のようなものです。私たちの苦しみと幸せは分かれたものではありません。自分の苦しみや喜びをケアする方法を知るということがプラクティスをするということです。そこにある泥は長くあるものもあります。泥の扱い方を知らなければそれを次の世代に引き渡すことになります。苦しみの変容が必要です。それは自分のためだけでなく、祖先のため、次の世代のための変容になります。
全てのものはinter-being(相互的な存在)です。泥がなければ蓮の花も咲きません。苦しみを恐れる必要はありません。ただし、急には変化しません。変容には時間が必要です。
最初はサンガがあるということが大きな助けになります。でも日常生活の中で一人一人がマインドフルネスのプラクティスを取り入れることができます。5分間の呼吸に帰る時間、毎日食べたり歯を磨くみたいに毎日呼吸をしています。ちょっとエネルギーを使って呼吸に意識を向けることを習慣化すれば自分に帰ってくる習慣ができます。
そうすれば自分の中が澄んできます。静かになる瞬間はとても貴重なものです。朝早く自然の中を歩くとそこには静けさがあります。ではその静けさは他の時間にはなくなってしまうのでしょうか?いいえ、そこには静けさが常にあります。ただ私たちには見えなくなってしまうのです。呼吸に帰ればそこにある静けさを思い出すことができます。呼吸は心をおだやかにするためのテクニックなのです。
最近のハフィントンポストで新しい世代「Z世代」について特集していました。その記事によると新しい世代はとにかく素早くて、いろいろな仕事を同時に行うことができます。でも、静かに座っていることができません。そこには新しい苦しみが見えます。心が散乱してしまうのです。ただ静かに座っていることが難しくなりました。
大人がその新しい世代に対して見本を示すことができます。良いお手本になれます。日常生活が私たちの表現となります。子どもに何かを教えたいなら生き方というのが一番子どもに教えられることです。
マインドフルネスはツールではありません。生き方なのです。自分の心がさまよっていたら止まって静かになることができます。そうすれば自分の状況を変えることができます。
たとえば怒っている時に、強い態度をとってしまいます。破壊的になりひどいことを言ってしまいます。でもプラクティスをしていれば起こった時にマインドフルネスのエネルギーを呼ぶことができます。
赤ちゃんが泣いていたらお母さんはまず赤ちゃんを抱きしめてケアをしますね。それから何が問題なのかをみますね。私たちの中に不快な感情が起こった時も同じです。不快な感情が来た時にその扱い方をしらないとその感情に支配されてしまいます。泣いている赤ちゃんをほっておくともっとひど泣くように。それを見つめるだけでおさまることもありますが、強い怒りはケアしないともっと怒りが強くなります。だから私たちはマインドフルネスのおふろに入れてあげるのです。その感情をケアします。
安定している人は感情に囚われないでいることができます。ブッダは神ではなく人間でした。でも、彼は静けさを持っていました。彼は実践を続けたので深く理解することができました。私たち一人一人のなかにある仏性(Buddha nature)とは今ここにあるものに気づく力です。
恐れに囚われないためにはライフジャケットが必要になります。それが呼吸です。深くてゆっくりな呼吸があれば恐れにとらわれません。プラクティスをすれば気づきが深まります。光のようなエネルギーに気づきます。今ここで起こっていることに気づくレンズを手に入れることができるのです。深く見つめて集中することができると命がそこにあることが見えます。それが智慧です。小さな智慧が集まり大きな智慧になります。小さな平和の積み重ねが大きな平和を作るのです。一日5分の実践でも変わっていきます。
日本ではお茶を飲むのが習慣ですね。それもマインドフルネスの実践になります。私たちはお茶を飲んでいる時もニュースを見たりSNSを見たりしていますが、お茶と一緒にいるという風に習慣を変えるといいのではないでしょうか。茶道までフォーマルにしなくても、ティーバッグのお茶でもできます。日々の中でマインドフルに生きるということは可能なのです。
<Q&Aセッション>
Q.またプラクティスを最近始めたばかりです。自分は最初リトリートに参加してとてもいいものだと思いましたが日常生活の中だとなかなか続けられません。どのようにしたらいいでしょうか?
A.日常の中で戻れないのは自然なことです。自分の習慣のエネルギーはとても強いものです。日々の中で積み重ねていく必要があります。インスタントラーメンのようにインスタントに悟りが身に付くわけではありません。簡単に結果を手に入れることはできません。お湯が沸騰するまで水に火をかけてから時間がかかるように、自分の身につくようになるまでには時間がかかるものです。
小さなことを積み重ねていくことが大切です。たとえば歯を磨く瞑想。自分は歯を磨くときはいつもマインドフルであることを意識します。自分の好きな瞑想です。「みがくための歯があるなんてなんて幸せなんだろう」と思います。
自分の環境を変える、というのも一つの手です。日本には仏壇がありますが、タイが言ったのは家の中にリビングやキッチンがあるように一つは「呼吸の部屋」があるべきだということです。自分がプラクティスをするための部屋を作って環境を整えるということも有効です。自分の周りの環境は自分の心の表れになります。車の運転をするときに、信号との関係を変えることもできます。ふつうは青信号だと嬉しくて、赤信号だとイライラしたりしますね。私たちも車を運転します。お客さんを空港まで迎えに行ったりするのです。タイは「赤信号はマインドフルネスの鐘だ」と言いました。赤信号を見たら立ち止まる合図なのです。呼吸に帰って立ち止まることができます。
Q.小さな子どもが二人いて、子どもに瞑想を紹介したいのだけれど、じっとしていることがまだ難しいです。私が瞑想をしようとしている時も子どもたちが来て中々立ち止まる時間を持つことができません。そのような年齢の子にマインドフルネスを伝えるのにどのようにしたらいいでしょうか?
A.親御さんがプラクティスをするということもとても大切なことです。親が幸せであれば子供もまた幸せになります。Happy parents change the worldとタイは言いました。子どもと一緒に過ごす時間そのものが瞑想になります。今は親としての務めを重荷のように思っても、子どもはあっという間に成長してしまうものです。そしてすぐに独立してしまいます。子どもがあなたと遊びたがっていたら遊んであげてください。一緒に遊ぶこともまたプラクティスの一部です。また「ダルマママ」というグループもあります。お母さんたちの集まりです。お母さんだからこそ抱える苦しみがあるので、お母さん同士で話を聞くことも大切なことです。
プラムビレッジの願いとして、子どもたちのための学校を作りたいなと考えています。プラムビレッジには毎年何百人という子どもたちがきます。彼らはいつも幸せそうです。それはプラムビレッジにいると大人が幸せそうだからです。子どもにとっては幸せな人と一緒にいることそのものがダルマとなるのです。子どものプログラムもあって、大人は自分の時間をとることもできます。 私たちがみなさんの子どもたちのためにお世話をして、親御さんは自分の時間を持つことができるのです。だからぜひプラムビレッジのリトリートに参加してください。
プラムビレッジでは電子機器を使った遊びはしません。僧侶も子どもたちと一緒になって遊びます。「一緒に遊ぶ」ということが未来への投資となります。いつも子どもと一緒に時間をすごす、ということは簡単ではありませんが、一緒にいるということが愛なのです。それがプラクティスになります。子どもが寝静まって静かだったら座る瞑想をしてプラクティスをすることができます。でも、もし泣いていたらそれは子どもと一緒にすごすべき時間なのです。
子どもにとっては自分の感情の扱い方を知っているということがとても大切なことになります。自分は小さな子どものころからプラムビレッジに来ていた子が成長して大人になる姿も見ました。彼らは小さなときはプラムビレッジで遊び、15・16歳になると「プラムビレッジになんて行きたくない」というように言うようになります。でも、社会に出て苦しみに出会った時に再びプラムビレッジを求めるようになるのです。子どもに伝えるということは長いプロセスで時間のかかることです。すぐには結果がでないこともあります。
Q.昨年末のリトリートでのQ&Aで「ニュースを見ると落ち込んでしまうのだけどどうしたらいいか?」という質問に対して「ニュースを見ないようにしたら良い。遠くで起こっていることをすぐに変えることはできないのだから。」という話がありました。私は社会科の教員で子どもに対して「ニュースを見ることは大切だよ」と教えています。なぜなら世界で起こっていることを見ないということがひどい状況をそのままにしてしまう、と思うからです。どのようにしたらいいでしょうか?
A.それはマインドフルな消費、についての話です。私たちが日常の中で何を吸収するのかということです。毎日、テレビや会話などいろんなものに出会って外のものを取り入れています。マインドフルネスとは私たちが何を取り入れるのかを選択できるということです。知っているということは大事なことです。タイも外の世界で起こっていることを知ることは大事だと教えています。知ることは大切です。でも、どう見るのか、ということも大切なのです。でも、もし自分がニュースを見て絶望的な気持ちになって、ニュースを見るたびに絶望的な気持ちが増しているのなら、それはニュースを見るのをやめた方がいいということなのです。
私たちが話しているのは「ニュースを見るべきだ/ニュースを見るべきではない」という話ではありません。大切なのは、自分が何を消費しているのか、何が自分の中でそれによって作り出されているのかということなのです。何をどれくらい入れることが自分にとって適切なのかということが問題なのです。マインドフルな消費が人を変えます。そして何を消費するかということによって何が作られるのかということが変わってくるのです。何を消費するのかを選ぶことはとても大切なことです。有害なものを消費するということは有害なものが作られ続けることになるからです。マインドフルな消費が世界を変えます。
(翻訳・書き起こし:Kumiko Jin)
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ティク・ナット・ハン「マインドフルネスの教え」
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