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「幸せを育む」2021年5月2日ブラザーファップニェムの話

2021年5月2日にあった、タイランド・プラムヴィレッジのオンラインリトリート「自分を癒し、世界を癒す」でのブラザーファップニェムの法話です。

今日はこのような状況の中でもテクノロジーの発達やテック・チームのブラザーシスターなどの働きにより、物理的には離れていても皆さんと一緒にいられることをとても感謝しています。

今コロナウィルスの感染が拡大していく中で、私たちはどのように生きていったらよいのでしょうか?今必要なこととは何でしょうか?

私が今いるベトナムでもコロナウィルスの感染が再拡大しています。プラムヴィレッジのあるタイでも、自宅に留まるように要請されています。今一番必要なことは「自分自身に帰る」ことです。自分に帰り、自分自身のケアをすることが今必要なことです。

たくさんの心配事があると、私たちはマインドフルではなくなってしまいforgetful(忘却した状態)になってしまいます。幸せの要素や喜びの要素を思い出すことが今とても大切です。自分の身体の感覚や知覚、自分の身体で起こっていることを意識して幸せを感じるんです。

自分自身に帰ることができた時、動揺がおさまり、パニック状態だったものが静かになります。タイの言葉で「あなたがいる場所でくつろぎなさい(At home where you are)」という言葉があります。それは今ここにいる、ということです。今ここという我が家に辿り着くということです。でも、心配事があって色々なことを考えていると今ここからいなくなってしまいます。

私達はすぐに今ここからいなくなってしまいます。どうしたら自分に帰ることができるのでしょうか?

それはマインドフルな呼吸です。マインドフルな呼吸が自分に帰る手助けになってくれます。怒りや苛立ちが来ると、それは私たちを今ここから連れ去ってしまいます。

起こっていることは起こっていることとして見ることが大切です。自分の中の心配や怖れなどの感情があったらそれに気がついてケアをします。そして、山や花などの自然の美しさを味わうこともしまう。子どもを抱っこするのも良いですね。子どもはいつも「今ここ」を生きていてあまり心配したりしませんから、今ここに生きることを思い出させてくれます。

100%命を生きるということが大切です。自分が生きていることに気がつくということです。それは息をしていることに気がつくということです。それが私達のプラクティスです。

でも、プラクティスを知っているということと、プラクティスを実践するということは同じではありません。実践するためには、呼吸を通して自分の習慣のエネルギーから自由になる必要があります。自由がプラクティスから得られる果実なのです。

一杯のお茶や庭の植物に気がついて思い切り呼吸をできたらそれだけで幸せになります。今ここに辿り着いて、息に気づくことができれば、座っているだけで、横たわっているだけで幸せになります。それはただ「これが命である」と気がつくことです。今生きている自分に気がつくということです。ただ、気がつくだけ。でも、それが全ての人のための呼吸にもなります。

タイは「Be free where you are(あなたがいるその場所で自由になりなさい)」と言いました。私たちはどこででも自由になれるのです。

私達が呼吸に気づくことができた時、幸せがそこにあります。マインドフルな呼吸のエクササイズをすると、呼吸の喜びが今ここにあることに気づきます。そしてそれを見つめます。気づきを持って一杯のお茶を飲むことができれば、美味しさと幸せを感じることができます。

たくさんの奇跡が私たちを取り囲んでいることを思い出してください。扉を開けることができたら喜びと幸せの王国があります。扉を自分が閉めていることに気がつくことが大切です。お茶を飲めること、シャワーを浴びること、大事な人と一緒にいること、それは幸せなことです。

コロナの前と比べたら今までと同じように働きたいと思っても働けないかもしれません。でも、「今ここ」に出会うことができれば一瞬一瞬を深く体験して幸せになれます。

瞑想とは「ストップする」ということです。「今ここ」に立ち止まります。

あるビジネスマンに子どもと一緒に「小石の瞑想」を教えたら彼は涙を流していました。それまで子どものように美しさを味わうことがなかったのです。これまで忙しい日々を送っていて今ここにいませんでした。でも、今ここに戻ってこれたことで癒しがもたらされたのです。

今はコロナウィルスが世界中に蔓延しています。でも、問題はコロナウィルスそのものではないのです。問題は、コロナウィルスの感染拡大する状況の中でストレスを感じて心の病気などを起こしてしまうことです。どう受け取るかということは自分達次第です。

キリスト教徒の言葉で「God is available(神はそこにいる)」という言葉がありますが、それを可能にするのは私達自身なのです。私達自身が一杯のお茶を本当に可能にするのです。一歩一歩、足の感覚に気がつきながら歩いた時、一つの吸う息で一歩、吐く息で一歩歩いた時、喜びを感じることができます。ブッダと共に歩くんです。そのためには忍耐力も必要になります。

何をしていても楽しむことはできます。歩くことを楽しんだ時、浄土も仏国土も神の御国も「今ここ」にあります。どの瞬間にもそれはあるんです。

マインドフルに歩くということは、自分の中の「自由」にタッチするということです。息を吸って自分の揺るぎなさを感じて、息を吐いて自由を感じることができれば、不安や苛立ちを手放すことができます。このプラクティスが不安を取り除き、自由になることを助けてくれます。坐っている時にも自分と言う我が家に帰ってくることができます。

現代の社会では「忙しい」という刑務所に入っているかのように、ゆっくりと呼吸をする時間も、お茶をゆっくりと飲んだり、座って微笑むための時間もない人が多くいます。今は自分自身のために時間を取るのに相応しいときです。家にいる人も多く、その分時間も取りやすいのではないでしょうか。

でも、家にいて時間があったとしても、怖れがあればそれによってストレスを受けてしまいます。プレッシャーがかかって、まっすぐに物事を見ることができなくなってしまいます。ですから、息を吸って身体に気がついて、息を吐いて身体に感謝することが大切なんです。命の奇跡に出会って、身体に感謝する。心臓や肺に気がついて、今も身体が上手く機能していることに気がつく。そして身体の部分部分に気がついて微笑みを送っていくんです。どこにいてもできます。

身体に深く入っていくことによって気づきが生まれます。気づくことができると、そこに起こっていることを受け入れることが可能になります。そうすると平和を感じることができるんです。自分の中で起こっていることを抱きしめます。自分自身の痛みに気がついて、抱きしめ、平和を感じます。

そして、受け入れることができた時に現実が変わっていきます。変わる命を「変わらない」と思うことで苦しみが生まれるんです。すべてのものは無常です。無常だから命は生まれてくることができます。命とは無常なのです。コロナウィルスもまた無常です。いつか終わります。

今社会で起こっている問題の原因はコロナウィルスのせいではありません。それは色々な要素の一つに過ぎません。コロナの不安が拡大してそれだけが原因のように見えます。でも、コロナウィルスも自然の内の一部です。コロナウィルスに罹って死んでしまう前に、不安と怖れによって死なないでください。

そのためには、自分の身体を抱きしめて苦しみや病に微笑むことが大切です。余命が三か月でも、その三か月を幸せと喜びで生きることもできます。そして、幸せと喜びで生きることができた時に三か月を超えて生きられた人の話がいくつもあります。

大事な要素は「自分を癒す」ということです。食べ物を食べている時には食べ物を100%味わってください。マインドフルに食べれば楽になります。あなたはその時自由なのです。思考というのは毒を含んでいることも多くあります。心配やフラストレーションが大きくなっていくことがあります。そういったことを考えながら食事をしたら身体の中に毒を取り入れてしまいます。ですから思考を止めて食べることを100%味わうことが大切なんです。

自分自身の苦しみに気がついた時、その苦しみを認めることができれば幸せへ道を歩んでいくことができます。マインドフルネスであれば、苦しみに気づくことによって苦しみを和らげることができます。ジャッジをしていれば、苦しみを産みます。それは孤独や分離を作り出し、自分を他と「切り離された存在」だと思い込んでしまいます。

孤独がある時に多くの人は、ケータイやネットやSNSを通して孤独から目をそらそうとします。誰の中にも傷ついた子どもと苦しみの根があります。それによって社会の問題や家庭内暴力、自殺などの問題を産みます。苦しみの扱い方を知らない人が多くいます。

意識深くに根差している苦しみにマインドフルに気がつくことによって受け入れることができます。平和に苦しみを抱きしめることができた時に、苦しみの根っこが見えます。そうすれば苦しみは軽減されていきます。自分が死ぬことへの怖れがその根にあることも多くあります。でも、いつか死んでいくものであることを受け入れて、不安や苦しみを受け入れていくことができます。

息を吸って、孤独に気がつき、息を吐いて、孤独を受け入れます。そうすると、本当は孤独ではないことも見えてきます。日々自分の周りにある命と出会っているからです。太陽の光や、自然の中にある命やお茶と深く出会えた時、孤独ではありません。

孤独というのは個人の感覚であり、現実ではないのです。苦しみの原因、怖れや不安を見る必要があります。深く見つめると自分が苦しみへの偏った見方をしていたことに気がつきます。苦しみの扱い方を知っていれば苦しみを上手に扱うことができます。

私も以前はタイが亡くなることをとても怖れていました。それを抱きしめることが昔はできませんでした。でも、タイが倒れてから6年になります。プラクティスをして、6年間の間に強くなりました。亡くなるというのはある現象なだけです。タイはブラザーシスターたちの中にもいます。

いつタイがどのようになるかは分かりません。でも、サンガも成長してきて、弟子たちも法話をできるようになりました。若い僧侶や尼僧たちを育てていく方法も学びました。財政的にプラクティスを続けられるための道も見つけてきました。困難な状況こそが助けになってくれることもあります。困難が私たちを強くしてくれるのです。私の中の怖れは小さくなっていきました。サンガが私の中にあります。すべてのものはつながりあっています。真の幸福は外的な条件でなく、正しい見方、考え方によって生まれます。正しい見方とはインタービーイングの智慧なんです。それが切り離して考える私の誤った見方を直してくれました。それまで不幸と幸せは別のものだと思っていました。誤った見方や考え方が苦しみを生み出していました。それが心と身体の健やかさしと幸せを損なってしまいます。

自分の中の幸せを育むためには、自分の呼吸に気がついて、自分の身体に帰ることが大切です。そのことにより内部への気づきが生まれます。

ブッダは幸せへの道を示してくれました。それは癒しと苦しみの変容のための道です。それが八正道です。このリトリートの中で法話をしてくれるブラザーシスターがまたこの話を続けてくれることと思います。ブッダの教えとは真の幸福と、変容の道なのです。それが真の幸福へと導いてくれます。

正しい見方(正見)についてお話すると、ブッダはどのように止まるかということを教えてくれました。そして2つ目の側面は深く観るということです。現実の中にある深い智慧に出会うことができるように。今ここに止まることを学び、命の奇跡が身近にあることに出会うことができれば、喜びと幸せに日々の中で出会うことができ、深く瞑想のプラクティスをするための力を得ることができます。

マインドフルに座ったり歩いたりする時、呼吸をする時、自分を静めて平和を感じることができます。深くものごとを見つめて理解することができるようになります。そうすると正しい見方ができるようになります。

あなたの怖れの性質を深く見つめてみると、正見、インタービーイングの光で見ることができます。深く見つめると怖れはただ外から来たのではないことが分かります。あなたの阿頼耶識に深い根を下ろしていることがあります。それはあなたの祖先から何世代にも渡って引き継がれてきた種なんです。それがあなたの話し方、考え方、行動に影響しています。

あなたの怖れの性質を見出すためには、まず自分の中の怖れの種を見つめます。そして抱きしめて、そのあなたの怖れの中の真実に触れます。それはあなたの両親から来たかもしれない、社会から来ているかもしれない、両親が生きていた社会からきているかもしれない、あなたの両親や祖先の歴史からかもしれません。怖れの条件があなたの中にたくさんあり、何かが起こるとそれが引きがねとなって怖れがとても強くなります。

あなたが感じている怖れの原因は単にあなただけから来ているのではありません。あなたの祖先が持っていた怖れと深いつながりがあります。ですから大地に触れる瞑想をする時には、祖先が抱えてきた怖れとつながり、抱きしめるのです。そしてそれを変容させます。

コロナウィルスの感染拡大で人々の中に怖れが広がって、それがまたあなたの中の怖れの種に水やりをしています。あなたの中に怖れが起こっているのにはたくさんの理由がありますから、それを深く見つめる必要があります。

そして怖れを深く見つめてみると、怖れは無畏(怖れがないこと)から成り立っていることも分かります。どうやって手放したら良いか、受け入れたら良いか、個人的なものとして受け取らないかを学んでいきます。個人的なものとして受け取れば非常に苦しみます。

あなたはこのように言うことができます。「親愛なる祖先様、私の中に怖れの種があること、それが様々な条件から来ていることを知っています。」そして、自分自身の個人的なものとして怖れを受け止めるのではなく、祖先にその怖れのケアをしてもらいましょう。あなたの中の愛と慈悲と理解の種にふれてください。そして、怖れもまた無常です。無我でもあります。ですから、怖れは他の何ともつながらずに自分の中にあるという考え方は誤った考え方なのです。ですからその考えを手放します。そしてあなたの考え方はポジティブな考え方になります。

私の中には心配の種があります。それは私の母から受け継がれたものです。ですから何かに心配し始めた時、私は「やあ、お母さん」と言います。怖れや心配が母から受け継がれたものであることを知っているからです。彼女は戦争の時代を生きていましたから。

母は沢山の不安や心配を抱えていました。眠っている時に母が泣いている姿も何度か見ました。何か悪い夢を見て、泣いているということがよくありました。怖れと不安と悲嘆がそこにはありました。ですから私は自分の身体や心にある種にふれます。座って、「やあお母さん、あなたの心配や不安が私の中にいるのを知っているよ。私の中の怖れや不安はあなたから一部は来ているね。」と語りかけます。

彼女が生きている間に私は母とプラクティスを分かち合う機会が持てました。そしてだんだんと変容していく方法について学びました。死ぬ前には心配と不安を手放せるようになっていました。

母に「お母さん、死ぬことが怖いですか?」と聞くと「いいえ。怖くないわ。」と言いました。「何かについて後悔している?」「いいえ」「何かを心配している?」「いいえ」と言いました。彼女は怖れと心配を手放すことができたのです。そして安らかに眠ることができました。そして私の中に今も心配と不安の種も大きく変容したことを感じます。

正しい見方、正しい考え方ができて、母が苦しまないのを見ると、私自身も変容ができるのです。お母さんが心配していない時、息子や娘もまたそこから与えられているものがあります。正しい見方、正しい考え方は、正しい言葉へと続いていきます。これが癒しへとつながっていく道です。

そしてマインドフルネスと集中がプラクティスの核となります。正しいマインドフルネスが正しい集中をもたらします。怖れや心配や苛立ちに出会ったら、あるいは不快なものやあなたを苦しめるものに出会ったら、まずはそれを認識して抱きしめることです。どのように自分を静めて集中していくのか学びます。

深く見つめると、ものごとの本当の性質が見えてきます。その根は内側にあることもありますし、外側から影響を受けていることもあります。内側と外側はいつも相互作用をしています。苦しみに栄養を与えているものがなんであるかを見つめることができれば、それを変えていく方法も見出すことができます。

それはあなたが物事をどのように見るかというところから始まります。苦しみを減らすということは、私たちの物の見方を変えるということなのです。苦しみを何か嫌なものとして見るのではなく、苦しみをポジティブなものとしてみなします。苦しみがなければ、愛する方法や理解する方法を知ることもありません。苦しみがなければ自分が今何をしているのかを理解することもできません。

コロナの感染拡大について考えてみると、その原因は私達にもあります。このパンデミックの本当の性質を深く見つめてみると、どうやってもっとマインドフルに生きていったら良いかが見えてきます。生き方、何を生業に選ぶのか、どんなふるまいをするのか、どんな風に食べるのか、あなたの消費の仕方、そういったことです。どう生き方を変えたら良いかがわかります。状況を変えるためにどういう生き方をしたら良いかが見えてきます。

癒しはまず自分から始まります。穏やかになって、リラックスして、自分に優しくします。自分自身を深く理解する方法を学びます。慈悲と平和と愛をまず自分自身がどうやったら生きることができるかを学んだら、世界を癒すことができます。

この後法話をしてくれるシスターやブラザーがこの話を続けてくれると思いますが、ブッダは私たちに素晴らしい癒しのための道を示してくれました。それが四聖諦と八正道です。その道を歩くことができれば、幸せと喜びと変容が今ここで日々の中に起こります。20年後まで待つ必要はありません。一瞬一瞬の中で癒しは起こります。

(翻訳・書き起こし:Kumiko Jin)


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