猫の看取り日記#3 6 るり 2023年8月1日 16:59 こちらの記事の続きになります。Z 日家の中で移動するたび、骨壷も一緒に持っていくことにした。骨壷を撫で、語りかけることにも少し慣れてきた。骨壷を包んでいる布はシルクで手触りがいいのがよかった。昔の元気な頃の動画を見たら少し笑えた。おやすみなさい。A 日毛鋤きをするたびに取っておいていた毛で猫毛フェルト細工なるものを作った。可愛くできて母は喜んでくれたけれど、私はなんだか虚しくなってしまった。ここに魂はないのに。マヨ照り焼きという油ぎったものをなんとか食べて、元気を出そうと思ったけれど、やはり虚無感に襲われるだけ。別の方法も試みたけれど、どれも失敗に終わった。結局時間が癒してくれるのを待つしかないのか。ただ、あの子が亡くなる前、頑張って強く生きるね、と約束してしまったからしょうがない。今から大学選びを始める。とてもそんな気分じゃないけれど。F 日初七日が終わってしまった。学校が始まったらいつも通りの日常を過ごし、日記を書く暇などなくなってしまっていたことがなんだか寂しい。友達と一緒にワイワイできる私はもう立ち直ったのだろうか?泣くことも無くなった。洪水は引いた。夜が明けた。その代わり、少しずつ残り水が侵入してくる。ひたひたと足を湿らせ、動く気力を奪う。日の光で少し乾いても、また夜には濡れている。この水はどうやっても拭えない。H 日死とは能動的なものだろうか、受動的なものだろうか、とずっと考えている。死ぬとは、生を全うするということだろうか、それとも心臓が動けなくなるということだろうか。死ぬ前のかわいそうな姿ばかりが蘇ってきて、いやそれじゃあ本人、いや本猫が報われないと思って、あの子は本来自然の中で生きていたから、定められたままに懸命に生きて死んでゆく、そういう生き方をしたんだ、と考える。今までお疲れ様。ありがとうね。I 日失って初めて気がつく。陳腐な言葉。散々言われてきたこと。正確には、その存在には失うずっと前から気がついていた。私が猫を愛しているということは生前から自分でわかっていた。失ったら、などと考えることすらしたくないくらい、大切な存在だと知っていた。けれど、このどこまでも続く空虚感は想像できなかった。最大限愛していると思っていたけれど、それよりもっと、私が生きるのに必要不可欠な存在だった。常にそこにいるのが、いてくれるのが当たり前で、実際にそこにいないこの世界というのは想像できなかった。帰宅した時。夕飯を食べ終わった後。風呂から上がった時。寝る前。起きた瞬間。家を出る時。あらゆるタイミングで、ああいない、と気づく。探すことはしない。母はすぐそこに隠れていてなんてことなしに出てくるんじゃないかしら、なんていうけれど、私はそうは思わない。私が生きている限り、あの子にはもう会えないということは、やけに腑に落ちている。だから、動けない。いない。会えない。触れられない。声を聞けない。話せない。寂しい。死というのは、本当に悲しいものですね。次回で一旦日記は終わりかな。それではまた。るり ダウンロード copy この記事が参加している募集 #猫のいるしあわせ 26,925件 #日記 #猫のいるしあわせ #ペットロス #大切な人の死 6 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート