水沢江刺
去る昭和54年から昭和55年にかけて、当時のキネマ旬報社(戦後再興)が、映画雑誌『キネマ旬報』の臨時増刊号として刊行された俳優名鑑『日本映画俳優全集』(全2冊)を、大幅に訂正ないし補正すると云う目的で制作したデータベースです。新しい項目が完成次第、他のnoteでの投稿作品との混在を防止する為、下記の目次にリンクの埋め込みを行います。また、我々のX(旧Twitter)にて随時お知らせを致します。
ご挨拶初めて投稿します。 皆様、はじめまして。こんにちは。 私、水沢江刺(ミズサワ・エサシ)と申します。 岩手県奥州市に実在する東北新幹線の駅名を名乗って活動しています。 映画好きが昂じて、主に明治~昭和期にかけて活躍された日本の俳優の経歴とフィルモグラフィについて、趣味で調査研究をしている者でございます。 X(旧Twitter)やInstagram、Amebaブログの各フォロワー様に就きましては、いつも大変お世話になっております。ただ、初めての方もいらっしゃると思
金子春吉[カネコ ハルキチ]経歴 本名金子弘。明治37年3月27日、東京府東京市下谷区下谷龍泉寺町(現在の東京都台東区竜泉)生まれ。本名については、金子鐵郎の説が有る。 大正4年、旧制小学校を早期卒業後、養父にあたる新派俳優・若月一郎(詳細不明)によって組織された某歌舞劇一座に急遽加入する。本名金子弘を名乗り、東京某座で初舞台を踏む。大正5年解散後、旧制正則中学校に進学。学業の傍ら、新派俳優・西野薰一座に加入し、引き続き青年俳優として関東各座に出演した。大正11年、旧制正則
葛木香一[カツラギ コウイチ]経歴 本名根石次郎(出生名中澤次良)。明治23年3月12日、北海道函館市地蔵町(現在の北海道函館市豊川町)生まれ、北海道亀田郡大野村(現在の北海道北斗市大野地区)育ち。本名については、根石次良の説が有る。また、生年月日についても、明治26年の説が有る。弟も同じく映画俳優・光岡龍三郎。父・中澤喜三郎、母・中澤マツは実家で仕立屋を経営していたという。 明治38年、旧制函館小学校、旧制北海道庁立函館中学校をそれぞれ卒業後、俳優を志し、函館新派革新劇
小島洋々[コジマ ヨウヨウ]経歴 本名小島正次。明治24年12月16日、東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区台東・東上野辺り)生まれ。生年月日については、明治21・22・25年11月の説が有る。また、本名を小島正治とする説も有るが、誤植と思われる。 明治42年、旧制埼玉県立浦和中学校を卒業後、旧制東京音楽学校に進学。学業の傍ら、この頃から既に旅芸人として地方各座を巡業していたという。明治45年卒業後、帝國劇塲歌劇部(洋劇部)の第1期生として入部。小島洋々を名乗り、
小栗武雄[オグリ タケオ]経歴 本名島根武二郎。明治30年4月15日、東京府東京市芝区南佐久間町(現在の東京都港区西新橋)生まれ。本名については、上記の他に島根武次郎、島根武雄、島根武夫とする説が有り、定かではない。 明治45年、元文部大臣・長谷塲純孝邸の学僕を経て、某少年新派劇団に加入する。小栗武雄を名乗り、赤坂演伎座で初舞台を踏む。その後、自ら俳優研究会たらん新興劇一座を組織し、地方巡業の旅に出たとされる。大正3年、新派俳優・井上正夫の一座に加入し、新冨座、本郷座など
宇田川寒待[ウダガワ カンタイ]経歴 本名宇田川寒待。明治33年1月7日、東京府東京市日本橋区本石町(現在の東京都中央区日本橋本石町)生まれ。生年月日については、明治37年の説が有る。妹は元女優・江川なほみである。 大正6年、旧制東洋商業学校を卒業後、新劇俳優を志し、加藤精一、森英治郎、横川唯治(山田隆也)、佐々木積らによって組織された新劇団・舞臺協會に加入。本名宇田川寒待を名乗り、東京某座で初舞台を踏む。大正7年、招聘により、東京シネマ商會の専属俳優に急遽転向。同社製
川上吾郎[カワカミ ゴロウ]経歴 本名波々伯部百外[ホオカベ モモト]。明治16年6月26日、福井県福井市生まれ。生家は元福井藩の士族であったという。学歴等不詳。 明治34年、俳優を志し、新派俳優・川上薰一座に加入。大川普一を名乗り、現在の京都府京都市中京区にあった大黑座(京極座とも)で初舞台を踏む。明治40年、一座を脱退し、広島県広島市の某座にて自ら一座を組織。独立にあたり、師匠・川上薰によって芸名を川上吾郎と改名する。近畿・中国地方を中心に巡業の旅に出たほか、新派・
五月 操[サツキ ミサオ]経歴 本名田中兼松。明治15年1月、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)生まれ。生年月日については、明治16年の説が有る。父は岩井茂之助という歌舞伎役者であったというが、詳細は不明。学歴等不詳。 明治27年、俳優を志し、歌舞伎役者・四代目市川染五郎の門弟となる。市川桃枝を名乗り、東京某座で初舞台を踏む。明治44年、四代目市川染五郎改め八代目市川高麗藏が七代目松本幸四郎を襲名するにあたり、桃枝も芸名を松本錦之助と改名したとされ、引き続き帝国劇
藤川三之祐[フジカワ サンノスケ]経歴 本名平田三彌。明治17年3月21日、神奈川県横浜区尾上町(現在の神奈川県横浜市中区尾上町)生まれ。 藤川の経歴には複数の説が有る。生年月日については、明治22年1・3月22日の説が有る。出生地については、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)の説が有る。なお、本名を藤川三之祐とするのは誤植と思われる。 明治32年、旧制中学校に進学するも中退。三井物産會社に勤務したのち、各職業を転々とする。明治34年、俳優を志し、新派俳優・初代
三桝萬豐[ミマス マンホウ]経歴 本名三桝豐三郎。明治25年3月2日、愛知県名古屋市中区生まれ。 三桝の経歴には複数の説が有る。本名については、三桝豐二郎、三桝豐次郎とする説が有る。生年月日については、明治26年の説が有る。また、出生地についても、大阪府大阪市の説が有る。何れも判然としないが、学歴・職歴等から判断した。 明治30年、旧制愛知中学校に進学するが、後に下阪し、旧制私立明星商業学校に転校。明治40年、在学中に新派俳優・高田實の門弟となる。三桝豐を名乗り、東京座で当
荒木 忍[アラキ シノブ]経歴 本名荒木武雄。明治24年4月26日、新潟県刈羽郡田尻村(現在の新潟県柏崎市)生まれ。生年月日については、明治34年の説が有る。また、出生地についても、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区)の説も有るが、誤植と思われる。父は元長岡藩士であったという。 明治39年、旧制新潟県中頸城郡立高田農学校を中退後、しばらくは家庭にあったが上京して、東京瓦斯(東京ガス)株式会社に入社。配管工などに従事していたが、人に騙されてタコ部屋に送還されるなど過重
新井 淳[アライ ジュン]経歴 本名新井淳一。明治23年1月10日、埼玉県児玉郡本庄町(現在の埼玉県本庄市)生まれ。 新井の経歴には複数の説が有る。本名については、新井淳[アライ アツシ]とする説が有る。生年月日については、明治21・22・24年1月10日とする説が有る。また、出生地についても、東京府東京市区部(現在の東京都区部)の説が有る。何れも判然としないが、学歴・職歴等から判断した。 明治36年、上京して旧制麻布中学校に進学。明治40年卒業後、商業を志して某簿記学校
東 猛夫[アズマ タケオ]経歴 本名金網正之助。明治11年9月15日、兵庫県八部郡兵庫村(現在の兵庫県神戸市兵庫区東出町)生まれ。生年月日については、明治14年1月1日の説が有る。 明治33年、旧制高等小学校を卒業後、しばらくは家庭にあったが、俳優を志し、新派俳優・福井茂兵衞一座に加入する。東猛夫(吾妻猛夫)を名乗り、神戸歌舞伎座で初舞台を踏み、約2年間の女形修業に励む。明治35年、木村猛夫一座に加入し、関西各座を巡業。明治37年、熱海孤舟一座に移り、神戸相生座など引き続
東 二郎[アズマ ジロウ]経歴 本名澁谷常吉。明治22年11月、神奈川県横浜市生まれ。 明治33年、旧制小学校卒業後、上京して新派俳優・鳥居梧樓一座に加入する。東二郎(東次郎)を名乗り、横浜某座で初舞台を踏む。その後、関東地方の巡業に出たのち、中野信近、後藤良介など新派の一座を転々とする。デビュー当初は立役・三枚目役として活動していたが、後に女形俳優に転向した。明治41年、当時第一共盛館(浅草公園)の専属だった中村鶴之助、中村歌扇ら率いる少女歌舞伎・娘美團一座(娘美園一
大村正雄[オオムラ マサオ]経歴 本名早坂正巳。明治11年10月1日、秋田県北秋田郡大館町(現在の秋田県大館市)生まれ。生年月日については、明治12・17年10月2日の説が有る。 明治27年、旧制中学校を中退後、上京して旧制專修学校に進学するが、後に旧制東京專門学校に転学。一部資料では、旧制東京簿記学校に転学したという説も有る。明治29年、やはり中退して、新派俳優・佐藤歳三一座に加入。大村正雄を名乗り、東京某座で初舞台を踏む。以後、川上音二郎が設立した新劇場・川上座(改良座
秋月邦武[アキヅキ クニタケ]人物情報 本名:岩城邦一 生年:1884年5月16日 没年:? 出身地:島根県松江市 経歴 本名岩城邦一。明治17年5月16日、島根県松江市生まれ。生年月日については、明治16・20・21年の説も有る。父・岩城重藏は元松江藩士の勘定奉行であり、明治維新後は三井銀行松江支店長を務めていたという。 明治30年、旧制小学校を卒業後、旧制私立明治義會中学校(旧制私立明治議會中学校の表記も見られる)に進学するも中退。明治33年、俳優を志し、初