感性的所与を生み出せる場の創造を
―他力本願から自力本願へ―
啓蟄(けいちつ)
私の研究所は山の中腹にあり、秋の終わりが近づくと越冬する虫たちが集まってくる。カメムシ、サシカメムシ、テントウムシの仲間やムラサキシタバという蛾の仲間が主な来客である。10月頃から翌年4月の終わり頃まで冬籠りしているが、3月の啓蟄を超える頃になるとどこからか分からないが雲霞のごとく湧き出してくる。越冬している間の5,6カ月間、虫たちは絶食状態。動かないからエネルギーの消耗は少ないであろうが、この間呼吸しなければならないことを考えると、恐るべき耐力である。彼等の忍耐力に敬意を表して、外に逃がしてやる手伝いをしているが、毎日大変な作業になる。彼等が身に付けた恒常性を研究することで私達が飢餓状態に陥っても耐えられるような仕掛けが見つかるかもしれないと思いながら一匹一匹丁寧に外に出してやるのであるが、中には驚いてガスを発射するカメムシのおかげで、あの独特の刺激臭が手のひらに沁みついてしまう。これもいのちとの共生。
他力本願から自力本願へ
さて、類人猿であるチンパンジーの群れの行動を調べている研究者によると、彼等は基本的には草食であるが、動物の肉も大好きらしい。たまに手に入れることがあると、群れのボス猿が独占し、その次にボスが気に入っている雌やこびへつらっている取り巻きの雄に配るということが観察されたという。まさに、人間の行動そのものであるが、人間の場合は、小さな群れから部族、国家へと群れが拡大、複雑化する中でボス人間とそれの取り巻き達によるごく少数の支配者層と大多数の被支配者層に分かれてしまうのでしょう。弱者の立場に立たされた被支配者層は生存本能が支配層に頼る他力本願へと向かわされるのでしょう。
国家が乱立していた時代ならば、国家という名の下での支配者層が己の利権維持のために国民である非支配者層を生かさず殺さずで守ってくれるたでしょう。しかし、現代のように物質文明という一元化した世界になると、国家という名の下にあった支配者層はこの物質文明の利権を一手に握っている多国籍企業(コングラマリット)というモーロックに権力の座を奪われ、コングラマリットに媚びることで仮想の権力の座についているに過ぎない単なる取り巻きになってしまいました。それゆえ、私達被支配者層は自愛のために他力本願によって自己保存を図るという従来の方式が崩壊していることに一日も早く気付くべきでしょう。
多くの人々は、己が弱者であることに気付いているため、自愛(自己愛)に走る結果他力本願になるようですが、己を強者と認識出来た者は自力本願を基にした自己愛を既に確立できていますから、他をおもんばかる他愛主義者になれるのです。これからの時代は他力本願から脱却して、自力本願の道を開くことしか人類は生き残れないでしょう。その基本になるのは、人類が発祥から19万8000年かけて育ててきた感性をもう一度呼び起こし、感性的所与を生み出せる場の創生、再生を図ることに尽きるのではないでしょうか。
終わりに当って、現代人が現世的欲望を得るための極めて幼稚な事例を挙げておきましょう。私の息子は、幸か不幸か東大に入ったのですが、帰京した折、私に次のような話をしてくれました。「親父、法学部に入った連中は、一回生の時から一日3時間以上公務員試験のための勉強をしとるで。」とあきれ顔で話していました。「勧善懲悪」の四文字で事が済むことを、法学という重厚長大で中身のない浅薄な学問に仕上げ、これを学んだ連中が国家権力の中枢を担って来たという事実を他力本願に頼ってきた人々に知って頂き、感性的所与をベースとした自律、自尊、自力本願の道を開くことに力を合わせて頂ければと願望する次第です。これを具体化するささやかな試みとして、「オータンの森」プロジェクトについて次回から発信させて頂きたいと思っています。乞うご期待。(終わり)