見出し画像

休むからこそ見えるものがある

「やっと休めた。」
休もうと決心して、ふと出た言葉だった。
涙が出るほど休めたことが嬉しかった。
体の力が奥底から抜けていく感覚。力みがほとんどなく何か重いものを手放し、体重までもが軽くなったような感覚になった。


なぜこのようなことが起こったのか?
それは先週いつもお話している方々から伝えてもらった言葉があったから。
いつものようにお話をする中で、ふと自分の話にスポットライトが当たった。
その中で頂いた言葉の中で印象に残っている言葉がある。
「ともやん(僕)がすごいことも少年のように楽しそうにしている姿も知ってる。だからこそダメな部分を見たとしてもそれも1つだから、頼っていいよ。」
この言葉を頂いた時、心がグラッと動いた。

「あ、俺誰かに頼ってもいいんだ。」

初めてちゃんとそう思えたからだと思う。やっと腰を下ろして休むことの大事さを知った瞬間だった。


最近までずっと休むにも休むことができなかった。
「休んだらまた周りに置いて行かれてしまう。」
「休んでいる暇があったら、1つでも何かしないとダメだ。」
そんな比較と焦りが心の大部分を占めていて、心がずっと気を張っている状態だった。だから本当に頑張りたい時にも頑張れないし、休んでいる時も心身共に休めている感覚はほぼなかったように思う。自分の限界を突破して、体調が悪くなって休む時が自分の休める時だった気がする。
そんな張り詰めた状態の中で、自分のことを理解してくれる人がいると、その人に依存してしまうこともあった。拠り所を見つけると、緊張が一気に解けて、自分の本能が急に顔を出し、男女関わらず不快な思いにさせてしまったこともあった。そして人を傷つけたくもないのに傷つけてしまう自分が嫌いになったし、泣いて責めることもあった。そんな悪循環。

しかし、今思う。
自分の全ての問題を引き起こしていた根本の原因は、
"自分の苦しい声を無視して、休まなかったこと"だった。


優しくいたいという自分の在り方もあったので、とにかく人に親切にしようと思っていた。
でも、"優しくいたい"が"優しくしないといけない"という風に変化し、余裕がなくてもとにかく自分の声を無視して、振る舞うことも多かった。それが行き過ぎると、本当は人が好きなのに、人に対して違和感を持つようになり、数回か人と本当に関わりたくないと思うこともあった。

ずっと優しくいれる人間なんていない。
いつも笑顔でニコニコしている人でも、裏では人間関係に悩んでいるかもしれない。いつも気配りが得意な人でも、行き過ぎた気遣いで人が嫌いになりそうな人がいるかもしれない。
優しくしないといけない。という決まりはない。
もっと人に優しくしたいなら、まずは自分に余裕を作るために休む。
人の役に立ちたい人ほど、自分に余裕を作ることが大事だし、
人に寄り添いたい人ほど、自分に寄り添って良いも悪いも自分の内側の声を聞いてあげてほしい。
休むからこそ分かることもあるし、聞ける声もあるから。

もしここまで読んで下さった方の中で、
・今まで立ち止まる時間がなかった
・周りに目線が行ってなかなか休めなかった
そんな方は是非立ち止まって、自分の心の声を聞いてほしい。
今まで頑張ってきたんだから、苦しかったら泣いたっていい。
休むことで自分の心に余裕を持たせる時間を本当に作ってほしい。

そう思って、色々書かせて頂きました。
自分の備忘録として残すとともに、心に少しでも余裕を持つきっかけになると嬉しく思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?