書くことは私を独りにしない
いつか自分がどうにもこうにも何者かもわからなくなって、それでも字が読めるとしたら、私は私の言葉で書いた日々を読んで死にたい。
自分が書いたはずなのに、それさえも忘れて書いたのも誰かわからない、そんな日々のことを読み続けたい。
あの日々の続きはどうなったのだろうと思いながら走馬灯を見て、ああ、これは私の人生だったのだなぁと思い出しながら死にたい。
生まれてから死ぬまでの毎日毎日をどうにか忘れずに、生きていたい。
きっと人生を左右しただろう不恰好な日々を何度だって思い出しながら、生きていたい。
こんなことがあった、
あんなことがあった、
初めて飼ったハムスターの名前、飼っている犬の好きな食べ物、UFOキャッチャーでとったぬいぐるみのこと。
心を揺るがす歌に出会ったこと、初めてのひとり暮らしではしゃいで散財したこと、指摘された方言のこと、大きく地面が揺れた日のこと。
早朝の東京で見つけた木星、異国で見た月の形、七夕ではない日に見た天の川、友だちと見た海に沈む夕日。
掃除ボックスの匂い、乾いた絵の具、木でできた下駄箱、お弁当を開けたときの香り。
古いピアノを開ける音、遠いはずのカエルの合唱、当たり前だと思ってた水の沸く音、家を揺らすほどの風の音。
雪の積もる渡り廊下、2階から眺める傘の色、目に収まらないほどの花火。
大好きな犬が死んだ日、桃が好きな祖母が死んだ日、太陽のように眩しい姪が生まれた日。
目に映った景色や、気持ちをくすぐる匂いを忘れたくない。
話したことを忘れたくない。
私に話してくれたことを忘れたくない。
いま感じたことをどうにか言葉に残したい。
好きだと思ったことを忘れなくない。
あとになって大切だと思った日を忘れたくない。
今日だから書けること、
今日じゃないと書けないこと。
忘れたいから書かなかったことの方が、頭の中を走ることもある。
そういったことは、たまに思い出して、思い出した日に書いてみるのもいい。
今日、今、私が私を生きたことを私の細胞に書き留めておきたい。
私が私のために書いた言葉たちが、何年も経った後に私の灯火になることを私は知っている。
その灯火になりうる言葉たちに火を焚べながら生きていく。
そして私の明かりに誰かが気づいて、手を振りながら笑ってくれたなら、それはとてつもない幸せだろう。
だから私は書く。
書くことを選んで、生きていく。
書くことを選んで、死んでいく。
書くことは私を独りにしない。
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