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目黒区で坂を巡る

前に投稿した港区に続き、今回は目黒区で坂巡りした時のレポです。

港区の坂レポ↓

権之助坂(ごんのすけざか)

江戸中期、村人のために行った行為で罪に問われた菅沼権之助が、刑に処される前この坂の上から生家を一目見たいと望み、未来を案じながらも落ち着いた様子を見せていた。この態度や村に尽くした功績を称え、最後に村を振り返ったこの坂を権之助坂と呼ぶようになり、名が付いたとされています。

目黒区役所HP
行人坂(ぎょうにんざか)
目黒川を渡ります。目黒新橋
!?
私ホイホイすぎる…
ここを大森海岸とする…のか
たこ薬師
目黒不動尊
三折坂(みおりざか)三つに折れ曲った形状から三折坂とよばれるようになった。また、目黒不動尊への参詣者がこの坂を降りていくので「御降坂」(みおりざか)とよんだともいわれる。
十七が坂(じゅうしちがざか)
「十七」とは若者をさし、元気な若者たちは回り道をせずにこの急坂を利用したことから名が付いたという説や、坂の途中にある板碑型庚申塔に十七人の名が刻まれていることに関連するという説など、由来についてはいくつか説がある。
魅惑のドーナツ路面と10%看板
馬喰坂(ばくろざか)
馬の鑑定や売買を行う馬喰(博労・伯楽)を関連させる説と、風雨にさらされて地面に穴のあいた状態を目黒の古い方言で「ばくろ」といったという説がある。
目黒川を渡ります。田道橋
結構古そうで良いなと思った建物
左側へ進むと茶屋坂があります
茶屋坂の清水の碑
落語で有名な「目黒のサンマ」の話の元となったといわれる爺々ヶ茶屋は、この茶屋坂の途中にありました。爺々ヶ茶屋では、徳川歴代の将軍、三代家光公、八代吉宗公が鷹狩りの際、富士の絶景を楽しみながら、湧き出る清水でたてた茶で喉を潤したと言われています(碑の隣にある説明板より抜粋)
茶屋坂(ちゃやざか)
江戸時代、将軍が鷹狩の際に立ち寄った「爺々ヶ茶屋」と呼ばれた一軒茶屋がこの近くにあったのが由来といわれている。
20%!!素晴らしい!!
茶屋坂隧道跡
昭和5年、新茶屋坂通りを開通させるにあたり、ここを横切っていた三田用水の下をトンネルにして道路を通したようです。三田用水は昭和50年に廃止。平成15年には新茶屋坂通りの道路拡幅により、トンネルは撤去されました。
ここにトンネルがあったんですねえ
中里橋
なべころ坂
昔は鍋が転がるほどの急坂であったので、なべころ坂とよぶようになったといわれる。また、道に粘土が露出した状態を方言で「なべころ」といったことから、坂名になったともいわれる。
別所坂(べっしょざか)
この辺りの地名であった「別所」が由来をいわれる。別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所であった。
カーブの辺りが一番急でした。体感ですが、この日巡った中ではトップレベルのキツさでした
最終的に階段になるのたまらんですね
「新富士」についての説明
目黒川船入場
川の資料館だった。
左は中目黒八幡神社
可愛いおみくじがあったので引いてみました。幸運のクローバー!
中目黒駅付近の高架下がオシャレ。チャイ専門のカフェがあったので入ってみました
店内はお香の匂いで満たされ、アジアン雑貨屋のようなエキゾチックだけど落ち着くような感じです。カウンター席も含めると最大10組は入れるのかな?

で、すぐ近くにもう1つ気になるカフェがあったので梯子しました😊

店内には可愛い茶器がたくさん
ぜんざいと昆布茶のセット。餡子は京都から取り寄せたものを使用されています。
ドリンクをコーヒーにすれば好きな器を選べるそうです。それと休日は単品での注文になりますがパスタ等のランチもあります。
稲荷坂(いなりざか)
この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一般に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。
祐天寺駅が近いです
街角に突然現れる動輪と腕木式信号機
「日本最後の国鉄蒸気機関車牽引のお召し列車」の主動輪とのことです。所有者のカレーステーション ナイアガラは、この近くにある鉄道古物だらけの飲食店のことです。以前行った事ありますが鉄道好きにはめちゃくちゃたまらん場所です。
動輪から数メートル行った所にまた良さげなカフェがありますね!でもさっき食べてしまったので、パンをテイクアウトして後で食べることにしました
キャロット&チーズ
謡坂(うたいざか)

諸説あるが、「ウタイ」の語源がアイヌ語のウタ(出崎)を意味し、昔は大きな川だった蛇崩川に出崎があり、そこをこの坂がう回していたことから、謡坂と名がつけられたとされています。
謡坂という坂は、近畿以東に40余りもあるといわれています。

目黒区役所HP
こういう小さな遊歩道にホイホイされがち
昔ながらですね~
蛇崩川が暗渠化した緑道を横切りました。この緑道も気になるので近いうちに歩きたいです
半兵衛坂(はんべえざか)
江戸時代、この辺りに清水半兵衛を代々名乗る旧家があったため半兵衛坂と呼ぶようになった。尚、この道路は昭和十五年の幻の東京オリンピックの際に整備されたので、通称「オリンピック道路」とも呼ばれる。
ナイス階段
高低差を感じる分かれ道…そして神社!良きですね
烏森稲荷神社
坂を下っていってまた目黒川を渡りました。何回渡るねんっていう。
これは渡った先に見つけた良い感じのお店。
次の坂へ行く途中、角打ちの文字に足を止めてしまいました
一杯ひっかけていきます。オススメしていただいたこれ、美味しかったです。口に含んだ瞬間にピリッと来るんですが、後味は甘くて華やか。擬人化するとツンデレお嬢さんになりそう。
目切坂(めきりざか)
江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の上目黒村の項には「メキリ坂」という坂名がみえ、渋谷との境にあり石臼の目を切る職人が住んでいたため目切坂となったと記されています。
登り切った所にある旧朝倉家住宅。入館料100円。実は代官山駅が近いんですよね。だからなのか訪問者のほとんどがアジア系外国人だった印象。
和室に洋風の照明があるの好き
こういう襖のデザインって個性があって好きです。右側は花器ですかね。日用品が描かれてるのあんまり見ないので面白いです。
この家を建てた朝倉虎治郎が最も気に入った部屋とのこと。上の天袋に描かれてるのは林檎の花。
洋間もあります
外観、素敵ですね。こういう木の壁の家に住みたい
ここへ来るまでに坂を登りましたが、この家の敷地内にも高低差があります。一番高い所に家があり、庭は崖線という地形を生かした回遊式庭園となってます。
さすがのオシャレタウン。建築デザイン的に楽しい場所ですね
ガラス張りの現代的オシャレ店舗の前に土蔵みたいなお店あるのずるいですね
全体的にアート空間すぎる~
上村坂(かみむらざか)
名称の由来は、明治時代の軍人で海軍大将・男爵にまですすんだ上村彦乃丞の邸宅が、この坂の上にあったためといわれている。なお、歌手・美空ひばりの邸宅もこの坂に面していたことから「ひばり坂」という名称でも親しまれている。
17%!
これは名もなき坂。代官山と目黒川の間にある崖線なかなかですね~!
西郷山公園
富士山見えませんね
ナイス高低差!!!!
ドーナツ
相ノ坂(あいのさか)
坂の上の旧大山道(現、玉川通り)と坂下の旧日向道の間の道だからとする説や、人々が落ち合う坂(合の坂・逢の坂)だからとする説もある。
ドーナツ坂と階段。良いですね~!
左にカーブした先もだらだらと続く…
松見坂(まつみざか)
由来の碑があるのを失念してこれしか撮ってなかった…
京王井の頭線沿いに来ました。階段の先に踏切、良いですね

また気になるカフェを見つけたので休憩。

熊笹のお茶いただきました。
熊笹ってあれですね、山登るとよく見る…。普通に美味しかったです

この後は駒場公園内にある旧前田家本邸へ行き、散策終了としました。
旧前田家本邸、めちゃくちゃ良かったです。ここに写真を載せると長くなりすぎるので別記事にしました。宜しければご覧ください。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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