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港区で坂を巡る

港区といえばどんなイメージでしょう。
高級タワマン、オフィス街、ハイソ、オシャレでセンスの良いお店、夜景スポット…等、キラキラした都会のイメージが多いかと思います。「坂」のイメージをお持ちの方は殆どいないでしょう。しかし港区には、いや、東京23区は結構そうなんですが、坂が多い。それも、名前の付いた坂が。名もなきただの坂も良いですが、巡るとなれば名前のある坂の方が、コレクター感があって楽しいです。
というわけで今回は、去年の正月に人気のない港区で坂を巡った時のことを書こうと思います。

こちらの駅からスタートします
さくらざか 明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名が付いた。
新榎坂
しおみざか 江戸時代中期以前には海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった
えどみざか 江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたために名づけられた坂である。
高低差に富んでます
正月でしたが紅葉が見られましたね
港区立みなと科学館の脇の小道
六本木通りからスペイン大使館につながることから「スペイン坂」と名付けられ、多くの人々に親しまれています。
どうげんじざか 江戸時代のはじめから、坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいた。
道源寺坂
おくみざか 幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった。
ジャヌ東京と東京タワー
うえきざか この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。
ねずみざか 細長く狭い道を、江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあったといわれる。一名鼬(いたち)坂で、上は植木坂につながる。
素晴らしい高低差
まみあなざか まみとは雌ダヌキ・ムササビなたはアナグマの類で、昔その穴(まぶ)が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。
狸穴坂
タワマンを背景にして昔ながらの建物…!良いですね
飯倉熊野神社
東京タワーのお膝元
麻布いーすと通り
営団が生き残ってますね!
しんめいざか 天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引坂との混同があるらしい。
つなのてびきざか 平安時代の勇士 源頼光の四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称である。姥坂とも呼んだが馬場坂の説もある。
綱町三井倶楽部
つなざか 羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。
あんぜんじざか 坂の西に、江戸時代のはじめ安全寺があった。誤って安珍坂・安楽寺坂・安泉寺坂などと書かれたことがある。
しおみざか 坂上から芝浦の海辺一体を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられた。
ひじりざか 古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。
へびざか 付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている。
ゆうれいざか 坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名がついたらしいが有礼坂の説もある。幽霊坂は東京中に多く七ヵ所ほどもある。
幽霊坂。先でグッと急勾配になるの良いですね
三田台公園
ここで貝塚が発見されたそうです
縄文時代の住居が再現されています
説明書き
ぎょらんざか 坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名づけられた。
魚籃寺

溜池山王から白金高輪辺りまで歩きました。坂一つ一つに名前が付いているのが、さすが江戸・東京だなあと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました!

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