「理想」から「真理」へ。頭にねじをぶち込んで哲学する漫画『ねじの人々』
皆さんいかがお過ごしでしょうか。アクティブに出かける人もいれば、私のように家でゴロゴロしている人もいるかと思います。今回はそんなゴロゴロ族にコーラとポテートを片手に楽しんで欲しい漫画のご紹介です。
今回ご紹介する漫画は哲学入門の漫画です。
この漫画は『聖結晶アルバトロス』『神のみぞ知るセカイ』の作者である若木民喜先生の作品になります。前作の『神のみぞ知るセカイ』はギャルゲーマーの自分として読んでいて本当に楽しかったです。ただ今回は哲学漫画ということで…また、楽しさしかなかったです。若木先生は哲学科のご出身で、今回の漫画もそのときの経験がベースになっているのかもしれません。
この漫画のポイントは2つ、「考える」という行為の表現方法の秀逸さと、考えるきっかけをシンプルに伝えてくれることです。
「考える」という行為の表現方法が秀逸すぎる
主人公は考えることに取り憑かれてしまった学生、根地大和です。根地はあるとき自分の名前を呼ばれる度になんとも言えない違和感を覚えるようになりました。
こんな経験したことある人も多いのではないでしょうか?
「あれーなんか今日は変だな、あれっ?なんで俺ここにいるの?」って考えると気持ち悪い感じ。
最近は厨二病っていうワードで何でもかんでも丸め込まれてしまっていますが、こういった感覚を持つ人は少なくないかと思います。『ファニーゲーム』というオーストリア映画を見たときは主人公たちのあまりのおかしさに、なんか自分の考えている常識が常識なのかわからなくなって、本当に吐き気を催したことを覚えています。『ハングオーバー!』シリーズのような二日酔いよりも気持ち悪くなりました。
気持ち悪くなった根地は考え始めます。あれなんで気持ち悪いんだろう、気持ち悪い自分はどこに、なんでこんなこと考えているんだろう…すると頭にねじが生えてきます。
なんだよこのねじって感じですが、これがこの漫画のわかりやすさを際立たせていると思うのですが、このねじが刺さっている人間は考えている人を表しているのだと思います。さらに、考えるとこのねじが回るのもかわいいですね。
そして根地は答えをもとめて考え始めるのですが、次第になぜ答えを求めて考えているのかを考え始めるようになって…という形になっていきます。ここらへんの話は私が書くよりも、漫画を買って読んで、あとがきも読んで考えてみるとすごくワクワクしますよ?
考えるきっかけをシンプルに伝えてくれる
2つめについてはやはり、独白のような形ではなく『国家』や『生の短さについて』のように対話形式で考えが進んでいき、また、漫画ゆえイラストとセリフとシナリオですっと議論が頭に入ってきます。(何回も読んで考えてしまうものも多いです…)
せっかくなので、問の例を紹介しましょう。
「パンツ(知)を積み上げることで絶対知に辿りつけるのか(すべてのパンツの価値は等価であるのか)」いや、「漫画家にとって売れた漫画と売れなかった漫画どちらが重要なのか」。
主観的に大切なものと客観的に大切なものの違いはどこにあるのだろうか。といった類の問です。
特に、作者自身の疑問を作品にすることで自分自身を再度客観的に把握しようと試みている点に、この話の面白さを感じました。
最後のあとがきで若木先生は「自分を知ること」についての興味を語られています。そのあとがきを読んでから漫画を読むとさらに、わかりやすくなるかもしれません。(まあ、他者のことなんて理解するのは…)
このように『神のみぞ知るセカイ』とはまた違った印象を与えてくれる作品になっています。前作にハマった人もそうでない人もぜひ一度読んでみてください。
考えるヒントを与えてくれる本だと『100の思考実験』という本がおすすめです。100個の中で一番おもしろかったのは「仮想空間での浮気は浮気?」ような質問がありますが、興味がある人はぜひこちらも合わせてみてみてください。
WRITTEN by 荒井 健太郎
※「マンガ新聞」に掲載されていたレビューを転載
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