悪意に苦しむ人への処方箋。心をつなぐバレーボール漫画『少女ファイト』
日本橋ヨヲコさんのバレーボール漫画『少女ファイト』(講談社)。見知らぬもの同士が高校でチームを組み優勝を目指すスポーツ漫画でありながら、描かれているのは、人からの悪意に苦しみ絶望した人がもう一度他人とつながり、頼り頼られながら自分の可能性を信じて前に進んでいく姿。
今まさに他人からの悪意に苦しむ人への処方箋が詰まっています。
他人の気持ちではなく、自分の気持ちを変える
『少女ファイト』の中心となるキャラクターのひとりは大石練(おおいし・ねり)。姉の影響を受けて小学生でバレーボールを始め、力をつけていきますが、中学進学のときに当時のチームメイトと想定していなかった別れを経験し、友達や仲間を信じることができなくなります。コートで思い切ったプレーができなくなり中学時代はずっと控えの選手に。その後、小田切学(おだぎり・まなぶ)と出会い、黒曜谷高校で新しいメンバーと再びバレーボールの道を進むことを決心します。
大石練や小田切学をはじめとする登場キャラクターは「いくら漫画とはいえ、濃い考えと過去を持ったキャラクター集まりすぎですよね」というぐらい個性的。そして多くのキャラが、みなどこか人付き合いや人との関わりに対して、ぎくしゃくした何かを抱えています。それは思い込みからだったり、過去の経験からだったり。または周りの人の声を気にしてだったり。みな「周りが自分をどう思うか」を気にしながら生きています。
さらに黒曜谷の女子バレーボール部は、部員のひとりが賭けバレーに参加したことから、高校女子バレーの中でも「悪役」のような扱いをされ、陰口や悪口を面と向かって言われるなど、誹謗中傷にもさらされます。
自分とは無関係なところでささやかれる陰口や悪評に、どう対処すればいいのか。ほかの人が自分に対して思っていることをどうすればいいのか。
リアルの社会でも悩ましい問題ですが、日本橋先生はキャラクターの口を借りて貴重な意見を伝えてくれます。人とのかかわり合いや考え方を楽にする名言は多いのですが、お気に入りをひとつだけ。
曰く「どうにもならない他人の気持ちはあきらめて どうにかなる自分の気持ちだけ変えませんか」とのこと。
図らずも元チームメイトと対戦することになり、本気を出しきれない大石練への小田切からの言葉ですが、「ほかの人はどう思っているのか」を気にしすぎてしまう人への最良の考え方だと思います。
一方で、周りから悪意を向けられている側でも、発言する言葉が凶器となり、「加害者」になることもありえます。そして残念なことに、たとえ誰かを傷つけてしまっても、そのあと傷つけた側である自分ができることは少ない。なぜなら、誰もが自分の感情は自分で処理するしかないからです。自分の行動や発言で相手が抱いた感情に対し、全部責任を取ることはできないからこそ、発信や行動はよく考える必要があります。
そして『少女ファイト』には、そんな感情に揺らぎのある私たちへの助言も込められています。黒曜谷の女子バレー部のコーチになった由良木政子(ゆらぎ・まさこ)曰く「感情が揺らいだらすぐに呼吸を整えリラックスして姿勢を正し常に体を動かせ」「この戦場で負の連鎖に巻き込まれるな」とのこと。これはスポーツの試合に出るわけではない私たちにも当てはまり、活かすことができると思います。
「分かり合えなくていい」という割り切りと許し
少しずつ自分の弱さや思い込みを解消した先にあるのは何か。
普通の物語であれば「より理解を深めよう」となるところを、『少女ファイト』は「分かり合えないこともある」という現実を突きつけてきます。どんなに気を許し分かり合っても、あくまで別の人間が完全に同じ存在になれるわけではない。「心が通じ合えたらすごいけれどもわからないことがわかるのもすごい」という言葉が身に沁みます。
こういった物語の下地があった上で、実はこれまで登場してきたキャラクターたちが集められた理由は、三國家という財閥のトップによる「世界で勝つための日本チーム」の育成計画であったことが明らかになります。このことにはかなり驚かされますが、こうした黒幕の思惑や陰謀とかかわりなく、物語を読んできた私たちには、キャラクターがぞれぞれ自分の人生を生きていくことを確信できます。
私は初めて読んだときに、大石練の課題さえ解決すれば、あとはみんなで部活に専念するのかと思っていました。しかし物語が進むにつれて、大石に心を開かせたほかのキャラクターも同じように不完全な存在で、同じようにつまづき再び立ち上がる姿が描かれます。そのことに驚き、そこにリアリティーを感じました。多くのキャラクターの感情がぐらぐら揺れていますが、同じ世代の中でも、何人かのキャラは健全な考え方を持ってほぼ自律し、周りの悩む友人の背中を押すというバランスも面白いです。
なぜバレーボールでなければ成立しないのか
『少女ファイト』のキャラクターたちが取り組むのは、なぜバレーボールでなければならなかったのでしょうか。男女がいずれも活躍する舞台のあるスポーツなら、題材はほかにもいろいろあるはず。単行本などに描かれたおまけから考えると、作者がバレーボール好きということもあると思います。
バレーボールというスポーツは、同じくバレーが題材の漫画『ハイキュー!!』で徹底して描かれていたように、「ひとりでは得点できず、攻撃や守備のために必ずチーム内での連携が必要」という性質上、信頼してボールをつなぐために相互理解が不可欠となるのです。
つなぐスポーツだからこそ、キャラクター同士は、つながるためにチームメイトを知ろうとし、自分を知ってほしいと思い、そこで物語が生まれる。
心が苦しく、周りに誰も味方がいないと思ったときこそ、振り返りたい「やりとり」がそこにはあります。
WRITTEN by bookish
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