吉岡秀人さんへの憧れと恩返し
チェムリアップスォー!!こんにちわ!
前の記事で綴った、活動への想いの2つ目
・吉岡秀人さんへの憧れと恩返し
を今回はお話ししますね。
秀人さんとの出会いと、そのきっかけになった人達の話なども絡めていきます。
吉岡秀人は小児外科医で自分が活動している特定非営利活動法人ジャパンハートの最高顧問/ファウンダー/創設者です
団体HPに書いてある創設者メッセージが大好きなので読んでみてください。秀人さんは情熱大陸には3回も出てますし、この前はあいのりも出てました、最近メディア露出も増えていますが、本当に意味のある活動をしているので、みんなにもっともっと知ってもらいたいですね。
秀人さんが口にする言葉や、僕たちと関わる姿勢はいつも自分を奮い立たせてくれるので、医療系の方じゃなくても、一度はこの人の価値観や発する言葉を耳にすると、何か湧き上がるものがあると思いますよ。Youtubeはこちら
まず、出会った経緯は、ご縁あって秀人さんの奥さん、春菜さん(小児科医/弊団体理事長)と研修先で同期として、14ヶ月の研修を共にしたんですよね。実は家も近くてチャリンコで15分くらいで行けちゃいます。たまに、近くにある父親のケーキ屋のカフェでお茶しながらミーティングしましたね。
なんの研修かというと、会社から企業派遣で行かせるようなところで、人間力を高め、志を持った青年を排出する。青年塾というところでした。
(実際は青年の方が少なく、中年かそれ以上の方が多いんですけどね。笑)
ここのルーツはPanasonicの創業者、松下幸之助氏が晩年に、21世紀を担う指導者の育成を目的に設立した”松下政経塾”です。
幸之助さんは政経塾を設立した時、想いは強かったですが、年齢が84歳だったので、実質塾生を指導するリーダーは、それまでPanaconicで電子レンジを販売していた、上甲晃さんという方でした。
※左が上甲晃塾長 右がご婦人の美代子先生
その方が青年塾の塾長として、全国5クラス、現在21期生として排出し、
現在も22期生が14ヶ月の研修の真っ只中です。(脇役にしたら恐れ多いほど偉大な方で、自分の恩師の一人です。)
思い返せば、上甲先生に出会って、当時前職の影響でPTSDだった自分が新しい志を持つことができ、そこからたくさんのご縁が、カンボジアに自分を引き寄せました。前職であの料理屋に入ったことは、誰がなんと言おうと、人生での汚点です。間違いでした。
ですが、終わったことをマイナスな感情のまま置いておいてもしょうがないですから、それを活力に変えて、自分の中でいい経験だったと言い換えられるようになる為に、いろんな意味で見返すために、いま活動しています。
当初は、青年塾に入塾したのはいいものの、症状がひどかったですから、活動に参加するのが、正直怖かったんですね。そこで心の支えになってくれたのが春菜さんでした。
春菜さんは東日本大震災の時に現地へ災害支援に行って、子供の心のケアもされていたので、自分もカウンセリングやケアをしてくれていました。
家の近くの病院へは通っていましたが、薬ばかりに頼ってはいけない。という意識があったので、新しい病院を春菜さんに紹介してもらったんですね。そこで後に長い治療を経て、一応自分をコントロールできるまでは回復することができました。
青年塾に入らなければ…春菜さんに出会わなければ…
あんなに前向きに治療に向き合うことはできなかったと思います。
その中でも一番自分に光をくれたのが、吉岡秀人さんでした。
たまたま秀人さんが日本に帰ってこられている時に自分と吉岡ご夫妻(秀人さん春菜さん)が父のケーキ屋のカフェでばったりお会いして、
そこから2時間ぐらい僕の為に話してくれたんですね。
その話で自分はすごく勇気をもらえました。曇り切っていた日常が、話を聞きながら次第に晴れて行くのを感じました。
実はその直前に、ある事件から両親の前で、それまで隠していた症状が出てしまって、映画エクソシストの1カットかと思うくらい、悪魔に取り憑かれたほど、長時間暴れたり泣き叫んだりした後だったんですね。
事件翌日、床の上で目が覚めて、直後は記憶がなかったですが、その後思い出してきて、ショックでたまりませんでした。両親の気持ちを考えてもいたたまれないですね。
そんな時でしたから、秀人さんの話は、もう今から思えば高低差ありすぎて耳キーンなるわ!って往年の例え突っ込みも現実に僕の体で起こってましたよね。耳以外もキーンなってました。
タイミングもあり、秀人さんの想いと春菜さんの優しさに救われた。と本当に心から思っています。吉岡ご夫妻大好きです。
その為、秀人さんには
『自分もこんな風に、人の心を救う人になりたい』という憧れと
シンプルかつ強い想いの恩返しの念から活動に参加しよう。と心に決めました。
最初は秀人さんが手術でカンボジア、ミャンマー、ラオスを回る時に自分も同行する専属料理人。という形だったんですが、
一度下見にミャンマーとカンボジアに行った時に
『がんの子供達に給食出したいねんけど、やってみーへんか?』と言われて
よくわからず、『やりますっ!』って言ったのを覚えてます。
(こんなに全て自分がやるとは思いも見なかったですが。笑)
団体の根幹の秀人さんの想いに惹かれてこの団体に入ったので、活動はしやすいですね。その分不満になるところもあったりしますが。
ですがその不満さえも活動の原動力になってます。理念に共感していますからね
以上、原動力の二つ目でした。
※自分は敢えて経験した事全てをありのままに書きますが、書いていくことで整理できることもあるので。もし、自分の言葉を見てしんどくなったりしちゃった人がいたら、連絡ください。
自分の心を保つ勉強を人よりはしているので、何か一緒に考えましょう。
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