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#42 言葉レシピ

先日、友人と食事に行った。
その友人は高校時代からの親友であり、今は共に「書くこと」を仕事にしているライター仲間だ。
オフラインで本や言葉や好きな著者さんの話ができる唯一の友人と、それはそれは素敵な時間を過ごした。
推しの著者さんが一緒なので、「この前おすすめしていたあの本、読んだ?」とか「あのコラムのこの部分、すっごく素敵だよね!」とか。
お互い家庭がなければ、深夜まで語れてしまうんじゃないかと思うくらい、楽しくて愛おしい時間だ。

そんな至福の時間を過ごしていたときに「高尚な文章」の話になった。


私の中で高尚な文章とは、ざっくり言うと「知見と表現力が詰まった、賢い方が書く文章」を指す。
世にいう「エモい」だけでなく、上品で広辞苑を片手に読むこともあるような、見慣れない表現もちりばめられている……みたいな。

目の前でタピオカミルクティーを飲んでいる友人も、私にとってはエモい文章を書く人だ。
そんな彼女の習慣を聞くと、昔から欠かさず読書をしているとのこと。

ああ、やはり積み上げられてきたものが違うから、こんなに言葉のバリエーションが豊富で、繊細な気持ちを表現できるんだろうなあなどと、感心しながら、私はタピオカをもきゅもきゅ噛んでいた。

とそこで思い出したことが。

最近私の文章を読んでくださった方々に「読みやすいです」と仰っていただくことが増えた。
私は「ありがとうございます!」なんて浮かれていたけれど、これって私の読書歴の浅さが出てしまっているのではないだろうか。
何を隠そう、私は13歳から38歳まで本を読むことをやめていた。
副業ライターを志した38歳のときからやっと、浴びるように本を読みだしたのだ。

このたった2年しか積みあがっていない本格的な読書歴が生み出したのが、調味料の少ない大味の文章=読みやすい文章なのかもしれない。
醤油、砂糖、酒の3つほどしか入っていない、そんな料理。
まあ食べられないことはないよね、単純な味だよね、という感想しか出てこない。それが私の書く文章。
ちなみに背景にストックされている調味料は塩・砂糖・酢・しょうゆ・みそ・酒・トマトケチャップ・ウスターソース・マヨネーズくらいのものである。

対して村上春樹さんなど有名な著者さんの文章は、ブイヨンや赤ワインやコリアンダーシードなどを使った料理。いや、体に優しい薬膳料理にも感じる。複雑な味わいもあり、食べるたびに感動し、食べた人の身体に染み入るような料理。

そのことを友人に伝えると「村上春樹が薬膳て!!」と笑っていたが、私はけっこう本気でそう思っていた。

しかし、どう背伸びしてもあがいても読書歴は変えられない。
きっと私が「匠だ!」と認定した文字を羅列したところで、すぐに化けの皮が剝がれるだろうし、そもそも言葉を匠認定する知見さえも持ち合わせていない。

1ページ1ページ、今日も積み上げるしかないのだ。


(でも、もしかすると私が目指すべきなのは、大味が好みな読者さんのお目に適う文章を調理することかも……なんて、えらく自分に甘い考えも浮かんだが、それは最終手段にしておこう。)


ということで、本日も近藤康太郎先生の『三行で撃つ』を(辞書片手に)読もうっと。


「いただきます」







(「調味料は醤油、以上!」くらい大味の卵かけご飯な文章を読んでいただき、ありがとうございました)




















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