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【Vol.19】成田誠治郎 帝国海軍従軍記
この記事、連載は...
私の母方の祖父である故・成田誠治郎が、帝国海軍軍人として従軍していた際の記録を元に再編集したものである。
なお、表現などはなるべく原文のまま表記しているが、読みやすくするため、一部を省略、追記、改変している部分があることを予め了承願いたい。
霊魂海を渡る
思い起こせば、昭和17年12月14日、キスカ島特潜隊機関科兵舎での出来事である。
当日は朝から風雲が強かったが、夕方には止んで小雪に変わった。
今日の日課は相変わらずのモグラで大分疲れた。
予定の夕食を2時に済ませ、5時に床につき隣の塚本君に「今夜は寒くなりそうだから早く寝るか」と言っていると、誰かがストーブをガタガタしているのを聞きながら、いつとはなしに寝ついた。
私は今まで夜中に小用に起きることは滅多になかったが、なんとなく私の毛布を足の方へ引っ張られる。
元へ戻そうと私は頭の方へまた引っ張る…そのようなことをしているうちに、足が毛布から出て寒くなり、ふと目をさますとストーブの横にブラ下がっている石油ランプの横に父の顔がある。
じっと私を見つめている。
おやっと思いながら、小声で「お父さん」と呼んだが返事はなく、見えた部分は顔だけで眼鏡をかけていた。
私は夢を見ているのではないかと毛布の中で左手をつまんでみた。確かに痛い。
変だなあと思って体を起こしてみるともう父の顔はなかった。
そのすぐあとで兵舎入口の扉がバターンと音がした。
何気なく時計を見ると夜の7時40分、今の音は確かに木戸の閉まった音だ。
銀狐の奴がまた残飯をあさりに来たのだろうと思いながら、念のため戸を開いて外を見ると、小雪が降っているが狐の足跡はなかった。
それこそ狐につままれたようだ。
そして右側の便所で小用を済ませ舎内に戻りストーブのロストルをつついてからまた寝た。
今までこんなことは一度もなかった。
急に父のことが案じられ、何事もなければよいがと思いながら、いつの間にか眠った。
翌朝に食事をすませてからまたモグラ掘りを始めたが、昨夜のことはすっかり忘れていた。
しばらく経ってから塚本君に昨晩のことを話したら、
「そんな馬鹿なことがあるはずないよ」
と前置きして、
「昔から言うじゃないか、霊魂海を渡らずってね。成田、しかもここはキスカだよ、こんな遠い所まで来るわけがないよ」
と信じない。
「私は本当に父親の顔を見たんだよ、本当に」と云ったが、水掛け論に終わった。
それから新しい年を迎えた一月の下旬、私が中隊に帰ったら、本間先任下士官が私を呼び
「ほらお前に手紙が来てるぞ」
といって、その手紙を渡してくれた。
ワクワクしながら裏を見ると、差出人は父の兄の池田栄吉となっていた。
早速開封してみると、昨年(昭和17年)12月14日午後7時40分、父は脳溢血で倒れ丼一杯くらいの血を取ったが、何も言わずアクビをしながら永眠したとの知らせだった。
ああ、やはりあの夜、父は会いに来てくれたのだと急に胸がこみ上げ、合掌した。
横須賀より出航前、偶然にも父と姉が来て、特に外出許可を貰い、市内の旅館でゆっくり話をした。
父は、私に
「今度はどこへ行くのだ」
と聞いたが、私にも知る由もなく、
「なんでも噂によると防寒服を持って行くらしいので、北の方かも知れないよ」
と答えるしかなかった。
それから父達と3人で町を歩いていたら鉄カブトが売っていたので、私の小遣いで弟たちの土産に買い、持ち帰ってもらった。
これが父との最後の別れとなった。
厳寒の前線基地でお国の為に軍務についている我が子を思う父の心情が常識を超え、霊魂が海を渡ってはるばるキスカまで別れを告げに来てくれたものと私は信じている。
奇跡的に生還して今日があるのもご先祖様のご加護といつも感謝している次第である。
〔五警特潜基地隊 海軍二等兵曹 成田誠治郎記〕