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【DAY.11】新潟発着!2ヶ月で、公務員がバイクで全国周る旅日記
この記事、連載は...
民間から中途で新潟県庁に入った公務員が、4年で退職するその前に、有休消化で全国をバイクで回る、という、ノープランな企画です。予約なし、フィーリングファースト。
7:00、熊本県 天草の南端、牛深の古民家ゲストハウスにて起床。
牛深の楽しい夜を満喫したので、少し遅めの起床。
今日はランチにウニ丼を食べてから、フェリーで鹿児島への移動の予定だから、午前中はちょっとゆっくりできる。
朝の牛深を散歩。
これは泊まった古民家の外観。
花がきれい。
街には、いたるところに「牛深ハイヤ祭り」の看板が。
この"ハイヤ"という言葉だが、ここ、熊本県 天草市の牛深という漁師町は、「ハイヤ」と呼ばれる民謡発祥の地らしい。
これが北前船によって全国に広まり、阿波おどりや佐渡おけさをはじめとした全国40ヶ所以上の踊りの源流になったそうだ。
詳しくはこちらから↓
http://ushibuka-haiya.com/history/
めっちゃ新潟に伝わってて、縁を感じた。
再来週の牛深ハイヤ祭りでは、約3,000人がハイヤを踊る総踊りや、漁船による船団パレードもあるらしい。
また、ハイヤという言葉は、北前船に不可欠な南風=はえから来ているそうだ。
漁師町である牛深では、海がシケて漁に出れない時、酒盛りをしながらこのハイヤ節をうたったとか。
また、当時の舵取りは一晩中唄うことが義務付けられており、その唄を仕入れるには格好の機会とも。
各地の踊りのルーツになっているので、元ハイヤとも呼ばれるそうだ。
さて、そんなことを調べつつ宿に戻り、風呂に入り、洗濯機を回しつつ、この日記をしたためる。
毎朝やるのが日課になってきた。
洗濯も終わり、noteも書けたので、洗い物を持って外へ。
コインランドリーがハイヤ大橋の近くにあるようで、乾燥機にかけにいく。
ハイヤ大橋は海外の建築家が設計したそうで、このレトロな漁師町の中で異彩を放っている。
このループ部分、バイクで走ったら気持ちいいだろうな、なんて思いながら乾燥を待っていると、昨日のゲストハウスのお父さんがやってきた。
名刺を見ると、本業のガソリンスタンド経営の他に、このコインランドリーのオーナーでもあるということで、多角経営者だなーと思いつつ、地方はできる人が1人何役もやらないと、という、新潟でもよくある話だな。
売上金の回収ついでに、地域の話を色々伺う。
この地域、旧牛深市の時代は日本でNo.1の過疎地だったそうだ。たしかに、道路はつながっているが下天草はほぼ離島のようなものだし、牛深はその最南端にある。
10年前の市町村合併で、過疎化にさらに拍車がかかったとか。
色々ディープな話をしたが、一番盛り上がったのが、役所は頼りにしたらいかん、ということ。
まだ籍は役所にある私としては耳の痛い話でもあるし、個人として頼りになる役人がいるのはもちろん知っている。
が、"役所"という、よくわからないものについて言えば、全く同感。
この旅の終わりが、私の短い役人生活の終わり。
今後、"役所"とどういう関わりをしていくかは、この旅の思索のテーマでもある。
なんてことを話しつつ、牛深のシンボル、ハイヤ大橋とともに記念写真を一枚。
さて、いよいよ橋を渡るぞー!
橋は途中分岐があり、分岐ルートがループになっている。
これ、ワクワクしない単車乗りはいないっしょ。
橋を越え、朝メシを買いに漁港近くの商店へ。
朝からダベる3人のおじさんが、なんだか妙に海の男って感じがしてカッコいい。
たった一晩の滞在ではあるが、この風光明媚で、あたたかい人ばかりで、どこか懐かしく、ちょっと魚臭い漁師町、牛深を、私はすっかり好きになってしまった。
また遊びに来たいな。
お父さんの経営するガソリンスタンドに宿のキーを返し、ウニ丼情報を仕入れる。
4月から解禁になっているが、ここ最近海がシケていて漁に出れず、まだ地元の人も食べていないそうだ。
親切にも色々電話してくれて、運良く、近くの割烹に今年の初物が今朝入ったばかりとのこと。
これはもう、運命でしょ。
店が開くまでの時間は、再びお父さんと雑談。
地域の抱える問題はどこもいっしょ。
そういえば、昨日の居酒屋のママさんも、牛深は新しいことをやる人間はやっかまれると言っていたな。
で、11:30、いよいよオープン!
目の前に置かれたのは、黄金のごとく光り輝くウニ!!
ウニウニ!ムラサキウニ!
ウニと言えば北海道や三陸などの寒いところのイメージだが、このムラサキウニは日本各地にいる。
そして、このあたりの海産物が美味いのは、昨日のカキで証明済!
一口食べると...
ああ...脳みそがとろけるくらいの香りと甘み...。
柔らかくてふわふわのウニを舌で潰すと、鼻からウニの香りが抜けて、直接脳みそに入るような、そんな感覚。
ウニというとツブツブ感や独特のえぐみを想像する方もいると思うが、あれは保存するためミョウバンに漬けるせい。
朝獲れのウニをそのまま食べると、一切クセがなく、ただただ濃厚でとろけるような、もう合法麻薬として認定した方がよいのではないかというくらいの威力。
ちなみに、天草市では、3月21日〜5月31日まで、このムラサキウニを存分に楽しめる、天草ウニ三昧というイベントを開催している。
ウニ好きな方はぜひ。
というわけで、サクサク食べてしまい、時間は11:45、これは、12:00のフェリーに間に合いそう。
本当は、13:20のに乗るつもりで、空いた時間で映画「武蔵 -MUSASHI-」の巌流島の決闘シーンのロケ地となった茂串海岸でも見ようと思ったが、また来た時の楽しみに取っておこう。
というわけで、さらば牛深。
そして、鹿児島県上陸。
航海時間は30分ほど。
鹿児島は、最南端の与論島には何度も行っているが、本土側は初。
なんか、港からすでに南国な感じ。
しばらく走ると、道路の両サイドにきれいな花が植えられている。
それも、南国っぽい色が鮮やかな花。
と、走ってたら、左側から制服姿の女子高校がスクーターに乗って出てくるところだった。
なんかカッコいいなー。
で、あとはひた走る。
途中道の駅によるも閉まってたりして、ずんずん走る。
行く場所は決めていなかったが、走りながら考える。
屋久島を推す声が多く、たしかに屋久島ってのもありだな、という気がしてきた。
与論に続きまた離島だけど、今回の旅の最南端が離島ってのは、なんかいいかも。
調べると、18:00に鹿児島港を出るフェリーがあって、途中種子島を経由して翌朝屋久島に着く。
ということは...一泊浮くわけだ。
ここで、屋久島行きを決めた。
あとは、島根の道の駅で偶然会った長野の元市役所職員の方が、知覧を目指すと言っていたので、それも気になる。
調べると、知覧を回ってフェリー乗り場まで行くと、ちょうどよさげ。
というわけで、一路知覧へ。
知覧は太平洋戦争で特攻隊の訓練基地となっており、今は、知覧特攻平和会館でその歴史が学べるそうだ。
私の祖父は潜水艦乗りで、先日その従軍記をnoteにまとめたばかり。
港から走ること4時間余り、15:45、知覧に到着。
何となく、乗っているのはバイクだが、ヘルメットを被っているので、自分も飛行機乗りの気分になってくる。
途中、おそろいのジャージを着てスクーターに乗った高校生たちとすれ違った。
このあたりはバイク通学なのだろうか。
さて、いよいよ知覧特攻平和会館へ。
桜は既に見頃を終え、散り始めていた。
頭の中に、同期の桜が流れる。
正直、そこまで強い思いがあって立ち寄った場所ではない。
どうせ行くなら、山口県にある特攻隊の海軍版、回天の記念館だろう。
最初は、写真を撮る余裕もあった。
これは銅像。
んで、まずはお参りを済ます。
横には、特攻隊で亡くなった方の名前が。
このあたりからちょっと心に刺さるものが...
これは三角宿舎。半地下になっていて、屋根だけをかけた簡素な建物だ。
訓練を終えた兵士は、特攻の指令が下るまでの短い時間を過ごしたそうだ。
そして、いよいよ館の中へ。
館内は撮影禁止で写真は残っていないのだが...
中には、特攻隊の方々一人ひとりの写真と、家族に送った最期の手紙が展示されていた。
特攻の前夜に書いた直筆の手記を見ていたら、どんどん、喉元あたりから何かが込み上げてくる。
隊員は、だいたいが20代前半、若い人は10代。
さっきすれ違った、高校生のスクーター軍団の顔がダブる。
歳も変わらずヘルメット被ってるのもいっしょなのに、時代が違うだけで、死地への片道切符を持たされていたなんて、どう考えればいいのか。
祖父の若い頃の顔と、特攻隊の方々の顔も、またダブる。
都道府県別の特攻隊の人数一覧が目に入った。
新潟県は17人。
そこで、ある手記が目に留まった。
のっけから、こう始まっていた。
※撮禁なのでうろ覚えです。間違ってたらすみません
「隊で、新発田の人と会いましたよ」
ここで、私の涙腺はぶっ壊れてしまった。
涙が溢れるとかじゃなく、喉元になんか熱くてデカい塊が上がってきて、鼻から目に来て、水として出てきて、そのせいで顔が歪む、みたいな、強制的なやつだ。
なぜ、せっかく同郷の人と会ったのに、それを伝える手紙を書いた翌日に死なねばならなかったんだ?
私がもしこの旅で新潟のやつに出会ったら、ハグするくらいに嬉しいのに、なぜ、それを両親に伝えた後に、最後は、
「お国のために奉公するのですから、泣かないでください、笑ってください」
で終わらなけりゃならないんだ?
他にも、小千谷市宛の手紙があったり、目に入るのは新潟ゆかりのものばかりだったが、もう、そうしないと、他県の人の分まで受け止めきれない。
分からない。なぜこんなことになったのか。
1mmでも効果があると思っていた中間管理職はいたのか?
どこかで止められなかったのか?
「デカいの沈めてきます」
みたいなのもあって、そんなんマジかよって。
"お国"への忖度が、本当にハンパじゃない。
今、日本はそういった方々の犠牲の上に成り立っていることを再度痛感した。
そして、日本は今、人口減少問題、少子高齢化問題という、真綿で首を締められるような、でもあるところでクリティカルな破綻が見えているこの時代に、どうなろうとしているのだろうか。
個人の意思を超えた、役所の意思みたいなものはたしかにあることを、役所に入って痛感した。
役人個人の問題ではない。
が、その問題が波及する先が個人であることは、決して忘れてはいけないと思う。
まだ、頭の中は整理しきれていない。
ひとまず次へ。
屋久島へのフェリー乗り場までは小一時間くらいで、17:00過ぎに到着。
貨物船のおまけで人を乗せている感じで、中にはカップ麺とソフトドリンクの自販機しかないそうで、近くのコンビニに買い出し。
18:00出航。
はいびすかす号という可愛らしい名前とは裏腹に、黒煙をもうもうと上げて航行する男らしい船だ。
船内で鹿児島気分を味わうべく、最強の晩酌セットを購入してきた。
というわけで、Facebook投稿や日記を整理しつつ、黒霧島を空ける。
旅行者と地元の方が酒盛りしていたが、どうも先ほどの知覧での出来事が頭をよぎり、混じる気にはならず、黙々と作業。
だんだんと黒霧島が効いてきた頃、外からものすごい風の音がして、船も激しく揺れ出す。
もう、嵐かってレベル。
22:00前には種子島の西之表港に到着したが、屋久島行きの人は外には出れない。
いや、全然出たくないほどの荒れっぷり。
これ、屋久島にたどり着けるのか...?
黒霧島も半分空いて、ひとまず眠りにつく...。
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