AICT主催《思考の種まき講座35》を聴講して
こちらを聴講。以下に主観的なメモを残す。
たった二度しかお会いしていないけれど直接お話を伺えた市川さんと、お会いできなかったもののご著書は何冊も拝読している谷川さん。たったそれだけの関係でも驚くほどに喪失感があり、思い出すと何度も泣きそうになった。いや、先日プラッソン指揮のレクイエムを聴いた時は、実際に涙が溢れてしまった。聴講中も泣いてしまいそうな瞬間が何度もあった。
訃報を聞いた時、両氏にまつわる様々な記憶が呼び起こされ、言葉にしておきたいと思った。しかし、直接的な関わりのほとんどない自分が何か文字にしたところで、目障りなのではないか?などと余計な考えがよぎった。今回講座に参加し、近しい方々のお話を伺うことで、ほんの短い会話や著書などの形で残された言葉の影響力について、むしろわたしも語っておくべきなのではないか、と思った。思い出語り。記憶と記録。これがつまり、〈追悼する〉という行為なのだろう。わたしも哀しみと感謝の気持ちを表明したい。
『ポストドラマ演劇』(2002, 同学社)は院生時代に教授から勧められて精読し、今も大切に持っている。(会場内に共訳者さんがほぼお揃いだったのでは?)
当時自分が思ったことを振り返ると……「日本語で読めるのは心底ありがたいが、すでに十年前の著作であり、内容といえば当然もっとずっと昔の演劇シーンについて書かれているわけで、え、じゃあ数十年経っている〈今〉のドイツの演劇ってどうなってるの?」と怖くなり、ドイツ語学習と渡独を決意するに至る。
労働し貯金しては語学学習ついでに観劇のためベルリンを訪ねること、2011, 2012, 2015-16, 2017, 2018, 2019, 2024と続いている。フェスティバルが苦手ゆえ、1~数ヶ月単位で居候しながら劇場へ通う日々を思い切れたのは、ほぼ『ポストドラマ演劇』読後の焦燥感のおかげだ。谷川道子さんを筆頭に共訳の皆様、本当にありがとうございます。ついでと言ってはなんですが、ドイツ演劇に傾倒するきっかけとなった、2005年のシャウビューネ来日公演を実現してくださった方々もありがとうございます。演出専攻一年目でオスターマイアー演出『火の顔』と『ノラ』の二作を観劇できたのは、大変な幸運でした。
谷川道子さんは拙訳で上演された2022年の『ブリキの太鼓』を観劇してくださり、アフタートークの質問コーナーでは、「観客席からすっごい語って」いらしたと聞いている。わたしはバイトの為その日のみ劇場にいられず、お会いできなかったことが悔やまれる。事前に知っていれば有休を追加したのに。
市川明さんは拙訳で上演された2021年の『ドン・カルロス』と2022年の『オルレアンの少女』を観劇してくださり、終演後にお話を伺うことができた。特に『オルレアンの少女』を面白がって下さったご様子で、「いずれ僕の『屠殺場のヨハンナ』とあなたの『オルレアンの少女』でジャンヌ・ダルク東西演劇祭をやりましょう」なんて言葉をいただいた。その時は、突拍子もないな??とびっくりしたのだが、今回岡田蕗子さんのお話を伺い、大変腑に落ちた。わたしが翻訳とドラマトゥルクを務め、深作健太さんが演出する深作組のドイツ演劇公演では、〈今〉起こっていることを考える為に、誠心誠意原作に向き合いながら自由で直接的な言葉選びと翻案や読み替えをしている。「ブレヒト生誕没後周年のタイミングでやれたらいいですね!」とお答えしたのだが、叶わなくなってしまった。
お二人はハイナー・ミュラーが生きていた時代の人で、しかも会っているんだな……この前後の世代の演劇人がよく自慢げに話してくださる、壁崩壊前後の東西ドイツベルリン体験。今回聴講して初めて、市川さんが相当な実践家でアクティビストだったことを知った。市川さんの企画に参加したことのある俳優の知人が、「市川先生、ほんまに大好きでした!!!!!またご一緒したかったなあ、、、」と話してくれたことをここで紹介する。
両氏それぞれの論集が出版されたりしませんか?最近研究書の値上がりが著しく厳しいですけれども、必ず買いますので何卒ご検討くださいませ。
自分はあと何年生きられるだろう、何年翻訳ができるだろう、と想像する。できる限り健康翻訳寿命を伸ばしたい。糖質脂質などに気をつけて食べ飲み、肩こり腰痛予防の運動を継続しよう。今回のような場も得意ではないけれど学べることが沢山ある、怖がらずにもう少し足を運ぼうと思った。前も横も、学生時代からご著書拝読しております!な研究者ばかりの空間、海のものとも山のものとも何処の馬の骨ともわかられていない身ゆえ、妙に緊張してしまったが。
自分の中で両氏のお葬式を行うことができ、一区切りつけられたような気がします。主催運営の皆さま、貴重な機会をありがとうございました。