見出し画像

2024ベルリン観劇記録(18)Nora oder Wie man das Herrenhaus kompostiert

 3月4日、ドイツ座のKammerspiele で『人形の家』の改作『Nora oder Wie man das Herrenhaus kompostiert』。タイトルはドイツ語定訳のNora oder ein Puppenheim をもじったもの。Herrenhausの訳が難しいのだが、辞書的な意味では「領主の館」、Herren-Hausで男性の家、つまり家父長制も象徴しているだろう。(上演テキストにもpatriarchalischという言葉が出てきた)あるいは単に「大邸宅」「高級住宅」、飛んで「億ション」と理解してもいいかもしれない。タイトルとしてふさわしい訳を生むには時間を要するためここでは割愛するが、『ノラ、あるいは億ションを堆肥にする方法』と軽い雰囲気で紹介しておく。


 ヘンリック・イプセンが1879年に執筆した『ノラあるいは人形の家』は解放の物語であり、作品名にもなっている主人公・ノラが、幸な生活状況から抜け出して自由になるため夫と子どもを捨てる決断をする。この物語は数えきれないほど何度も検討され、新たに書き直され、改作されてきた。
 しかしながら、『Nora oder Wie man das Herrenhaus kompostiert』は、単に近代古典を改作したものではない。初めてノラではなく、家の歴史に、――そしてその住人たち、つまり家政婦のヘレーネ、一度切りの出番を待つ配達員、ノラの為に働きノラの子どもたちを世話するために自分の人生を諦めた乳母のアンネ-マリーに焦点が当てられている。(…)

https://www.deutschestheater.de/programm/produktionen/nora-oder-wie-man-das-herrenhaus-kompostiert

 ドイツでは『人形の家』を学校の授業で扱うようだ。また、上演回数もかなり多い(オスターマイアーのインタビューをぜひ)ので、原作を知っていることが前提の上演だ。 
 原文を引用しつつ、『人形の家』の登場人物たちが自分達の境遇について語り出すメタ構造。例えばオスターマイアーの『ハムレット』などにもそういった場面があるのだが、本作は最初から最後まで『人形の家』をこの家で働く者たちの視点から問い直し、階級や貧富の差を掘り出すものだ。
 たった二言しか発さない配達人は「名前も苗字もない俺は最初に出てきたきりなのに、カーテンコールまでいなきゃいけないのはおかしくないか?」(大体の内容を意訳)と毒づく。配達人を演じるのが若者でなく高齢男性なのは風刺が効いている。乳母のアンネ-マリーは「ドイツ初演の際、ノラを演じる女優が、子どもを捨てる母親はいない、と結末を変えさせた。ノラの結末については140年間ずっと検討されてきた。でもわたしは? (貧困を抜け出す為)小さいノラの世話をするには自分の子どもを諦めなければならなかったし、彼女は今わたしの上司で、その子どもたちのお世話をしているのはわたしだ。子どもを捨てる母親はいない、だって? ふざけるな。この140年間、乳母の人生は問題にさえならなかった」(大体の内容を意訳)と怒りをあらわにする。また、この〈家〉を運営するには必須の、原作には登場しない使用人たちが登場し、自己紹介する。ランクとクログスタは名前さえ出てこない。
 自分が原作をよく知っているということもあり、非常に興味深く、楽しく観た。


ドイツで観られるお芝居の本数が増えたり、資料を購入し易くなったり、作業をしに行くカフェでコーヒーをお代わりできたりします!