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【ココロの旅#41 】「ナ-悩み」-ワタクシの人生「イロハ帳」

 こんにちは、いかがお過ごしですか。ようやく衣替えに着手しているのですが、夏服をしまいながら、あの夏の、オーブンで焼かれるような感覚を思い出そうとしている自分に気づき苦笑してしまいました。よく耐えたな...

悩み
~半年前の自分のお悩みへの回答~

1)一般的意味:

📖思いわずらうこと、心の苦しみ。

🐐そもそもこのココロの旅に出たのもコレが起源でした。「今」のワタクシからの精一杯の回答です。

2)ワタクシの旅:

😥お悩み・・・「怒り」のせいでやらかしちゃいました、どうしましょう?

もう相当いい年の女性🐐と申します。生来の癇癪持ち(「怒り」をコントロールできない)と他者理解が不得手な(というかできない)ことから職場でトラブルを起こし、それなり積んできた実績も人望も自らの手で破壊してしまいました。仕事のプレッシャーからは解放されましたが、その分、「要らん子」扱いされているような宙ぶらりんな状態で、気楽な反面、情けない気持ちもします。それに、自らが「やらかした」ことではありますが、当時の状況や条件・環境からはやむを得ない部分も多いにあったと思っていますが、公に申し開きをする場も与えられず、断罪された感が強くあり、正直、悔しいです。この、暗く苦しい気持ちを払拭し、新たな一歩を踏み出すにはどうしたら良いでしょうか。
(以前、この悩みを公認心理師に相談しましたが、的外れなことを言われただけで、更に気が滅入り不愉快になっただけでした...)

🧡お答え・・・大丈夫、大丈夫!

こんにちは、相当いい年というのは…おいくつぐらいなんでしょうねぇ?
恐らく「分別があり、感情もコントロールでき、対人関係も何もかもそつなくこなし、社会的にも立派な振る舞いができる」とされる年齢でしょうか。
うーん。とすると、たぶん、この世では無理ですね、仏になってからでしょうね(笑)。

のっけから茶化しているようでスミマセン。
とても真面目でしっかり者のあなたのようなので、まずはユーモアで気を楽にして欲しいと思ったのと、それと、実際、そんな「世間に都合のいい人」はこの世にはいないからです。いないからこそ、自己啓発セミナーやら某アンガーマネジメント講座やらが盛況だし、関連書籍やら商品がやたらと出てくるわけです(あとは筋の怪しい団体とか...)。
それに、「公認心理師が的外れ」と捉えられるほど、🐐さんは自分の悩みから透けて見える「何か」を、もう、悩みの渦中にいながら薄っすら認識しているのでしょうね。このご相談も、その「何か」をはっきりさせ、整理して、第三者的に一緒に眺めて欲しいと願っているのだと思います。
なぜなら、(プライバシー保護の観点からもしれませんが)「やらかした」ことそのものや状況、自分の感情を要約して表現しているあたり、いち早く問題の本質の「何か」に到達して、すっきりしたいのだろうな、と思いましたので。

でも、その「何か」をはっきりさせる前に、一つだけ、🐐さんとじっくり考えたいことがあります。それは「怒り」についてです。
「怒り」=「悪、諸悪の根源」とされています。「健全な怒り」というものもありますが、これは「怒り」というよりも義憤、道理に反することに対する強く積極的な反対/異論という方が近いと思います(でも、そも「道理」の定義も曖昧ではありますねぇ、ブツブツ…)。
とにかく、「怒り」は悪い。なんで「怒り」があるんですかね、この知的生命体の我々に。なんだって、信条や形はどうであれ、より良く幸せになりたい我々が、わざわざ、幸せの足を引っ張る「要らん子」の「怒り」を抱えることになっちゃうんでしょうか。「喜怒哀楽」の中にも入っているし(「哀」は「喜楽」を輝かせるために必要、お汁粉に添える塩昆布みたいなもの)、「怒」の存在意義って何なんでしょう???

「怒り」は、ある児童心理の専門家は「寂しさ」を押し殺して生まれる感情だと言っていました。そうかもしれませんですねぇ。
🐐さんは寂しさを自覚できなかったから、吐露できなかったから、「怒り」ましたか?「寂しさ」って、理解されない、共感されない、傍に助っ人がいない時に起こる無力感を指すようですが、ご自身で「他者理解が不得手」認定してしまっている🐐さんには、この説は響かないかしらん。

「怒り」は、ある高名な仏教僧は「無知の極み」とおっしゃっていました。これはかなりキツイ、「無知」ですから。それこそ、断罪(笑)。何の申し開きもできません。でも、その後に続くのは、であるがゆえ、精進し何事にも捉われない自分を作れとのこと。ただ、いくら正論でも、今の🐐さんには「的外れ」ですよねぇ。

別の高名な僧は「『怒り』は、あなたの大事な『こども』です。大切にギュッと抱きしめてあげなさい」とおっしゃっていました。
このお話を読んだ時、「うおぉぉぉ!」と思わず雄叫びを上げてしまったのですが(笑)。
きっと、これを今読んでいる🐐さんにも同じ症状が出ていませんか、ついでに涙をこぼしていませんか・・・ハイ、それ正解😊

その高僧によれば「『怒り』は決してコントロールしようとしてはいけない。コントロールすることで、更に闘いを生み大変なことになる」とも。
まずは、深呼吸して「『怒り』ちゃん、大丈夫だよ」とその声に耳を傾け、何を望み、願い、思っているのかをゆっくりじっくりと訊き出すように、とのことでした。
ここで重要なのは「怒り」は「望み・願い・思い」をその起源としていること。「怒り」の実態は、あくまでも自分にとって、良い、幸せをもたらすものであった。しかしながら、何等かの都合でそれが叶わず、その悲しみが無力感になり寂しさになり・・・袋小路に入って戸惑った「こども」が泣き叫ぶ=「怒り」という現象として現れる。

💔⇒「ここにいるよー、見つけてよー」⇒💢⚡👊

今度「怒り」を覚えたら、取り敢えず深呼吸して、気持ちを一旦、逸らしましょう。その場で、怒りを抱きしめることができれば、それに越したことはないですが、一旦、その"火事場"を離れて、「あなたが安全な場所」に「あなたを避難」させましょう。そして、一息ついたら、ゆっくりじっくり声を訊いてあげてください。
我々は、とかく「世間に都合のいい人」になりがちですが、その前に、思いやりの心であなたの一番大切なあなたに接すること。
解決法は、どうやら、これに尽きるようです。

では、そろそろ、問題の本質「何か」について書いて終わりましょうか。
でも、コレ、コノ一文に尽きるんですが・・・

「🐐さん、あなたのエネルギーやスキル、才能を他の場所で使いなさい」という、心の声というか強い意思が現実を動かしたのですよ。

だから、申し開きする機会もなかったし、その必要もさらさらないのです。
もしも、その機会があったとして、自己の立場とその当時の劣勢的な状況や条件、悲惨な環境が「やらかした」原因だと主張して、(まずあり得ないことでしょうが)🐐さんの"正当性"が通り、喧嘩両成敗として、そのまま元の職場で同じ環境に居ることになったとしたら・・・
遅かれ早かれ、同じような問題が起きるか、🐐さんが力尽きて心身を病むと思います、間違いなく。

これは、単に、一時期流行ったポジティブ思考の類ではなく、人の進化の話です。

「宙ぶらりん」のあなたは、きっと、宙から世界を自分をもう一度眺め直したことでしょう。実績や人望は、ある位置からは見えても、他の場所からは見えなかったり、見えても自身の認識とは真逆に見えることでしょう(例:自身の実績が実は他者の功績だった、人望を"取り入り族"と勘違いしていた)。
でも、たった一つ、不変なものがある。それは、どこからどう眺めてもそこにある「自分」でしたよね。
その「自分」を望遠鏡で更によく観てみると、🐐さんが見聞・経験してきたものによって、「自分」が変化=進化していることも同時に見えたことでしょう。
その進化を再発見というか再認識するため、🐐さんの心がアラームを発して、まぁ、その「やらかしちゃった」件が起きたのですよ。

確かに、「やらかした」ことは決して褒められたことではありませんが、残りの日々を単に贖罪のみで過ごしますか(これ、暗いトンネルをずーっと行くか剃髪して尼僧になる図しか浮かばないんですが)。

そこから学んだことや持ち前の個性を活かして、より良い世界の創造に貢献することこそ、🐐さん、あなたの使命と思います。
・・・これ、教科書にありがちなうすら寒いお題目のように聞こえますかね。

では、これとは別の使命があるとしたら、🐐さんは、そも、このような回答をするような者へ相談を持ち掛けないことでしょう。
公認心理師の話を「的外れ」とは思わずに、彼らのセッションをそのまま素直に(笑)受けて、別の使命に沿った生き方をしているかもしれませんよね。
うっかり、こんな回答を授かってしまった以上、当面はこの生き方で行きましょう。

大丈夫、大丈夫。「合わないなぁ、違うなぁ」と思ったら、別のガイドを探せば良いだけの話です。その時は、きっと、また進化しているのでしょうから😊

3)おまけ(じゃない、哲学者の言葉):

“人生というものは驚きに満ちていてすばらしいものである。それは捨てることによって得られるのだ”
ラルフ・ウォルドー・エマソン


<今日の美-Prost!>

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