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3. ひとつぶ、ころり
はちみつの飴を舐めながらぶらぶら散歩をしていたら、大聖堂前の広場の一角で、焼き栗を売っているのを見つけた。
毎年この時期になると現れる屋台だ。だいたい、焼き栗なんて廃ドラム缶の中でガラガラかき回して焼くだけの、誰が作っても大差がないものだと思うだろうが、この屋台のそれは「料理」だ。何がどう違うのか、老人が焼くと普通の栗が、絶品に仕上がる。
まず皮が違う。
皮が平たい栗だから剥きにくい、ということが全然ない。ほとんど真っ黒に焦げた鬼皮は指で押すとぱりぱりと崩れ、簡単に身を取り出すことができる。それなのに、中身は香ばしい程度の焼き色になっていて、ほくほくなのだ。
学生にはいささか高価な買い物だが、しょうがあるまい。なんせ、今秋の初物だ。
屋台に近づいてみると、栗を混ぜているのはあの厳つい老人ではなく、まだ幼い顔立ちの青年だった。戸惑う僕に気が付くと、年若い店主は日に焼けた顔をふにゃっと愛想よく崩す。
話してみると、あの老人の孫であるという。祖父は腰を痛めて屋台はやめてしまったが、時々顔を見せにはくるのだそうだ。
「ただ、今日は寒いからだめなんすよ、すみませんねえ」
苦虫を嚙み潰したような顔で一言も口を利かなかった老人とは対照的に、青年は楽しそうにおしゃべりを止めない。それはそれで、気分が良かった。
高く青い空から降ってくるような風の日に、たき火の側での軽い会話が、肌寒さを心の内側から和らげてくれる。
「それじゃあ、袋一つください」
小さい方、と言った時、青年の顔が少し曇ったので、僕はしまった、と思った。ここは大きい方を買うべきだったか?
青年は困ったようにドラム缶にかけられた大鍋の中を混ぜ続けていたが、意を決したように顔を上げる。どことなく恥ずかしそうでもあった。
「あの、まだおれ、じいちゃんほど上手く焼けないんで。あの味を知っているお客さんにはこの栗はイマイチだと思うんすよね」
僕はその言葉に驚いたが、しばらくすると微笑ましい気分になった。
青年の軍手は指先の切り口がまだ新しく、指先はやけど跡で真っ黒だ。これから幾星霜、彼は栗の混ぜ方に心を砕いていくのだろう。
いいよ、と僕は言った。しかし、青年は不可解な表情を浮かべたまま、動かない。僕はどんな言い訳をしたものか、少し困った。
「その、おなかが減っているから」
青年はそれを聞いて、不味い栗をわざわざ買う理由が、腑に落ちたようだった。ころころと表情が変わるのは商売人としてどうかと思うが、それも愛嬌と思えば、この仕事に向いているのかもしれない。
「じゃあトウモロコシ、どうすか? じいちゃんはやってなかったけど、食べやすいし、皮も柔らかいから歯に挟まらないし」
栗の傍らで皮ごと放り込んであるトウモロコシの山を指して、青年は鼻にしわを寄せて笑う。
「今なら当たり付き」
「当たり付き?」
聞くと、エルドラド産のそれは焼きトウモロコシにするには最高の品種で、直火で焼くとものすごく甘くなるのだそうだ。そして、かつての黄金郷で育った穀物の中には、粒の中に金が混じっていることもあると言う。
青年は一本取り上げると、荒っぽく皮を剥いて火にくべた。受け取った紙袋は手に熱く、驚くほど強く香ばしいにおいが立ち上がる。値段は栗よりも安かった。
「ありがとう」
「こちらこそ! 良い一日を! またどうぞ!」
青年は広場に通る良い声で、そう叫ぶ。何人かが振り返り、僕はなんだか照れくさかった。でも、こんなに気分のいい買い物も久しぶりな気がする。
手の中の紙袋の、しばらくその熱を感じて楽しんだ。裏道に入ってから、トウモロコシの頭だけ袋から取り出して、かじってみた。歯にしびれるような熱さをまず感じ、粒がはじけてやさしい甘みが口に広がる。確かにうまい。
その後はもう、外であることを忘れて、夢中でかじりついた。ひときわ大きくかじりついたとき、がちん、と何か固いものが歯に当たり、慌てて口を抑える。
トウモロコシが売れたのだろう。
遠くで青年の声が聞こえた。
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