12.鼓打ち叩き行く偽の姫
人間が何かと対して争うとき、旗印に好まれるは乙女である。
『民衆を導く自由の女神』、そして北欧にて戦乙女を祀るに明らかだ。あるいは頼りなさに庇護欲を唆り、勝利への意欲を可視化する役割を担う。自らの敗北はつまり、掲げる少女が永遠に失われることを意味し、それに抗って鼓舞されるのである。
ある国では陣取りにて、自軍を表す旗を持つのは、古くは乙女の役割であった。
王族、少なくとも高位の子女がそれを任された。旗は前線近くに配置され、大きく重く、故に実際に柄を支える姫は少ない。侍女に指示しこれを持たせ、自身は章の傍らに控えるのだ。
その華やかな衣装は更に人目を引くため、鮮やかな色に染められた。聴覚からの接近に、楽器を手にする場合もあったという。
旗乙女の存在は、相手を挑発する目的があった。
目と鼻の先に目立つ標的を連れてきて、これに何もできなかろうとする嘲笑、自国の財政を誇示し、単純に不可触の美貌へ唇を噛ませる。
建前はともかく歴史上、そうした乙女たちは割と頻繁に殺されていたようである。
自国の勝敗は関係がない。派手で目障りな存在はそれだけで狙われやすく、むしろ自身の安全のため、少女を囮とさせる指揮官さえあった。そしてまた、士気を上げるべくわざと旗乙女を殺させる場合もあり、味方の手による殺害は多かったという。しかしながら、これは正規の戦略として史記に記載が残っており、暗黙の了解であった。
このため後年、印乙女の代役が黙認されるようになった。卑しい身分の娘を贖い、体裁を整える。必要である限りは奉り崇め、終戦になればこれを打ち捨てた。連戦を強いる国なれば使い捨てにはならずも、恐怖と苦痛が長引くだけであったろう。
このような話がある。
隣国との長く続く争いで兵が疲弊したある国が、士気の回復に仮の旗姫とする乙女を探していた。山深き村であれば攫うのも易かろうと、森を分け入り彷徨うところ、ある集落にたどり着く。荒れた様子はないが男が一人も居らぬところで、聞くと徴兵されたわけではなく、外界に隔たれ戦争を知らぬまま、女たちだけで暮らしいるとのことだった。
兵に誘われるままに、ひとりの乙女が村を出て、かりそめの姫となった。
この少女、他人とは滅多に口を利かぬ。だが特別に集合体で浮いていた事実はなく、日毎に手伝いを見つけ定職になかったのが、都に出る気になったらしい。容姿に関しては資料が残っていない。知恵に少しばかりの遅れが見え、それ故にいっそう瞳の澄んだ娘であったと言われる。
無垢なこの仮の姫には、黒の着物が与えられた。これは後年残る不可思議のひとつで、誰が打ち合わせたわけでもなく、服と靴と装飾、全く別の方向から、同じ色の衣装が集まったということだ。
与えられた太鼓だけが、金色をしていた。楽器というものを解せぬ娘がむやみに打つため、太鼓皮に代わり板を張り、箔で固めてあった。
出征の折、謁見した黒の旗乙女は、戦に出るに当たって自ら成すべきことを王に問うた。都において初めて発したその声は、玻璃を銀で打つような響きであった。自然、全兵がそれに注目した。老獪な王はたった一言、国を害する敵を殲滅せよ、と命令した。
乙女はそれで、全軍が前で鳴らぬ太鼓を高らかに打ち、己が敵を打てと叫んだ。
軍は前へ、各々が手にする槍に剣、弓を引いて出陣した。都を燃やし、王座を砕き、討ち取った首を串刺しにせんと、撥が歌った。夜には鼓が満月となって浮かび、乙女は闇に溶けて見えなくなったが、心に響くその演奏だけは、どんな激しい戦場でも、耳のすぐ傍での演奏が如く聞こえたと言われる。
やがて争うものはなくなったが、のぼりを掲げる仮の姫を、要するものも残らなかった。均して平になった地にひとり、太鼓演奏に飽きて、娘は都を去った。彼女のその後は、誰も知らない。
今は昔ある島国にて、終結に失われたのが旗乙女ではなかった物語。