1. 8分19秒の声
僕がビルから飛び降りたのは、高校二年生の時だった。
若い時の僕は、相当の死にたがりで、勉強がうまく進まず苦悩し、本の主人公が報われないことに失望し、人とうまく会話ができなくて死を願った――
と、いうことは全然なくて、普通に学校に行き、それなりに仲の良い友人もいた。特別長所は持っていなかったが、さりとて目立つ短所もない。一般に想像できる学生生活を過ごし、そこそこ青春を謳歌していたと思う。
そんなとき、夕日の声を聴いたのだ。
クラブミーティングでいつもよりも帰宅時間が遅くなった日のことで、僕は少し疲れていた。週の後半のこと、足には何かがまとわりつくような重さがある。そういう日に限ってエレベーターは故障中で、否応なしに階段を、一歩ずつ踏みしめるように上がらなければならなかった。
打ちっぱなしのコンクリート壁の隅にはクモの巣が張っている。足元に目を向ければ、長方形の灰色タイルが連続していた。通路を行く家々の換気扇から、ジャガイモをゆでるにおい、油のはねる音、または白い湯気が漏れ出ている。
もう年末だな、と思った。
今年もあっという間に過ぎていった気がする。計画して、やりきれなかったこともある。まだ時間はあるので、できることは終わらせなくては……
と、そこまで考えて気が付いた。なぜかどこにも、人の気配がない。いつもなら団地の中を走り回っている子どもの姿も、帰宅する大人の姿も。猫の子一匹すら、歩いていなかった。音と気配はするのだ。だが、どこにも誰の姿もない。
いや、そもそも僕は学校を出てから、人に会っただろうか。電車の駅の自動改札、コンビニの自販機、自転車置き場、団地の入り口の商店街……。疲れていたから気が付かなかったのか? それとも、気が付かないようにされていたのだろうか?
家の玄関を目前にして、僕は弾かれるようにそちらを振り返った。背筋を、しなびた老人の指が、滑るような感覚に襲われる。
団地の味気ない手すりの向こう、夕日が赤く燃えていた。
それは空から身を乗り出して、町を飲み込んで進んでいく。赤く、時に青く、ふちは黒く焦がしながら。それが視界いっぱいに広がっては、大きくゆらゆらと揺れている。それと、目が合ったのだ。
そしてその声を聴いた。
反射的に、そこから飛び降りた。
だが下に大きなとちの木が植わっていたので、大事には至らなかった。僕は枝を上からへし折りながら、成っている実を道連れに落下した。それらがクッションになってくれたおかげで、大きなけがはしなかった。地面に叩きつけられた僕へ、サッカーボールを抱えた少年が、怯えた目を向けていたのを覚えている。
家が四階だったら死んでいたな。
それ以上の言葉を、今でも見つけられないでいる。