個人的仕事観①
■みんながわかる言葉でみんなのわからないことを伝えられるのが、本物の言語能力
感じていること、考えていることを誰かに伝えることは楽しいのは言うまでもない。が、それが独りよがりになってはいないか?もはやマスターベーションというべきか。
例えば、「一体化」「欠乏」「充足」よく使う言葉たちだが、平気で使っていることに違和感を感じていないことこそ危うい。他人捨象。傲慢もいいところ。自分自身、本物の言語能力をつけていく。
■突き抜けろ
集団でも、恋愛でも、突き抜けたもん勝ち。二人で試行錯誤、その集団だけで追求・・・
問題はいつでもどんな時でも起こる。止まない雨もなければ、沈まない陽もない。いいことも悪いこともいつかは終わり、始まる。悪いとき、そんな時突き抜けるのは誰?
悪いことをどうにかしよう、は「マシ」にしかならない。-1.0でホッとしているようじゃいつまでもそこからぬけだせない。自分こそが突き抜ける存在でありたい。
「悪いこと」以前にそもそもどうしたいのか?以前に何ができる?それに捕らわれず、新たな可能性を見つけ出し示し仮説までもっていく。
突き抜ける。
■追求は「なんで」ではなく、「なんでだろう」
単に「なんで」をぶつけることが追求だとするならば、その追求に意味はないと思う。この時の「なんで」は好奇心というより思考停止。
仕事場面において、すり合わせの時、不整合や不明点を質問することより、なんでこういう言い方をしたのか、「こうですよね?」「じゃあこういうことですか?」と聞き返すように最近は意識している。まさに意識のすり合わせ。
「なんで」はもはや思考停止。自分で考えてすり合わせる。自発性を高める。思考を回し巡らせ、伝える。言葉にし伝播させ共認形成の形を盗む。そして主体になる。
次の段階は先読みして、「こう思うだろうな」を思考し追求を加速させる。
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