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あめとつちとラナンキュラス

あめとつち

 里山の古民家に到着すると、小さく「あめとつち」と刺繍された真っ白な刺し子の暖簾が目に入った。玄関で靴を脱いで上がると、廊下の手前にはちゃぶ台が、その奥にはテーブルが一つあり、ふた部屋続きの和室にはゆったりとテーブルが配置されていた。畳の上で好きに寛げるのは昭和の頃を思わせてくれてなんだか懐かしい。「お茶はご自由にどうぞ」と書いてある。 客人は10人くらいだろうか。若い女性店主が一人で切り盛りしているので、そこは気長に自分の家のようにして食事を楽しんでくださいというのだ。

 昔馴染みのお客さんからランチのお誘いが来たのは、ニューヨークから帰国してすぐのこと。なんでも裏高尾の山あいに良い店があり、その店は月に 6 日しかやっていなくて、ようやく予約が取れたというのだ。ならばと楽しみに出かけることにした。

元は押入れだったところの襖を外し、杉板を貼り付けて、そこにはドライフラワーのスワッグや、流木にリースなどが飾られていた。

 丁寧に手をかけた地元野菜の料理は、料理が好きな人が作るやさしさが伝わってきて実においしかった。この日のメニューは、・もちきびと里芋のせ大根ステーキ・ほうれん草とかぶの白和え・白菜、ブロッコリー、人参、春雨の含め煮・ベビーリーフ、ルッコラ、水菜、紅芯大根のサラダ ゆず甘酒ドレッシング・八つ頭のフライ・大根とゆずのしょうゆ漬けこれらが菜っ葉のご飯と、油揚げと豆腐とほうれん草の味噌汁と共にワンプレートに乗ってやってきた。 毎朝畑で採れたものからメニューを考えるという。サラダはバリバリと音がしたし、どれもこれも野菜の味が濃くておいしかったから、身体が大喜びしていた。私はデザートまで平らげて大満足、後ろ手をついてお腹を投げ出した。心地よい風がすうーっと抜け、縁側の向こうの景色をぼけーっと眺めがら、鶯の声に耳を澄ませていると、

「三枝さん!!」
 突然びっくりしたような声が飛んできて我に返った。
「えっ、綾美さん?まさか、綾美さん?うっわぁ、久しぶり!!」
 彼女は赤ちゃんを抱いていた。
「まさか・・もしかして?」
「はい、私、結婚してママになりました」

 それ以上は互いに涙が込み上げてきてしばらく言葉が出なかった。綾美さんの腕の中で眠る赤ちゃんからはほのかにミルクの、満ち足りた幸せの香りがした。何年も音信が途絶えてもう会えないと思っていたから、ここでの再会は導かれたとしか思えなかった。

事故の夜

 忘れもしない。クリスマスも近い12月21日の夕刻、女子大生と思しき一人の女性が多摩花賣所(通称多摩花)の重いガラス扉を静かに開けて入ってきた。多摩花は路地裏の吹き抜けのビルの三階にあり、通りすがりでは見つけることのできない花屋だった。まるで竹藪を模したような店内は、夜になるとくり抜いた竹の穴から照明が灯り、ところどころに花が置かれて不思議な空間だった。
 彼女はか細い声で
「あの、外にお花を置きたいんですが1500円くらいで花束を作ってもらえますか?」
と言った。全身に淡墨色のベールを纏ったような彼女の雰囲気が、私に察してと言わんばかりだった。
「もしよければこの寒さで外だとお花が傷みやすいから、少しでも持つようにアレンジにしましょうか?」
「1500円でできますか?」
 正直いってどちらにしても霜が降りたら花は持たない。そして1500円でアレンジも厳しい。でも仕事で一度使って、売り物にはできない器がいくつもあったし、なんというか、彼女の佇まいが、なにかをせずにはいられないと思わせた。

「お友達?」
彼女の目から大粒の涙がポタポタ溢れた。
なんて余計なことを聞いたのか。バカタレ。
聞けば彼氏と長いこと喧嘩をしていて、やっと電話で誤解が解けて仲直りしたら、無性に会いたくなったという。
「車で迎えに行くって言ったのに、寒いから家にいろよ、バイクですぐ行くからって」
「でもいつまで待っても来なくて、電話しても出ないし、心配で不安で友達に連絡したら、友達が警察に聞いてくれて。多摩御陵で事故があったって」
「翌朝新潟からご両親が到着したら、それを待っていたかのように・・」
 彼は赤信号で停止していた時に、前方不注意の酒酔い運転の車にブレーキを踏まれることなく後ろから跳ねられたそうで、ほぼ即死に近い状態だったという。呼吸も手も止まっていた。こんな切ない話があっていいんだろうか。ともかく寒さに強い花をと思ってラナンキュラスを選んだ。つられてもらい泣きして、もう値段なんか関係なく作って渡した。

 彼女の名は綾美さんといって大学生で、同級生の彼のご両親とは心の準備もないままに病院の廊下で初対面となってしまった。
「息子にこんな可愛い彼女がいたなんて知らなかったわ」
佐野くんはお母さんになんとなく似ていた。こんな時なのに、お父さんもお母さんも気丈にしていて、取り乱してしまった綾美さんを気遣ってくれたという。
「なんで息子はあんな時間に寒い中出かけたのかしらね」
 彼女は正直に言おうと思ったのに、現実が受け留めきれずにとうとう言いだせなかったという。そして命日になると毎年ご実家へ花を送っていた。
「三枝さん、私苦しいんです。佐野くんが亡くなった原因を、本当のことを、ご両親に伝えていないことが苦しいんです」
 佐野くんが亡くなって5年の月日が過ぎていた。彼を失った原因は自分にあると自分を責め続け、綾美さんの心は疲れ果てていた。はにかんだ笑顔がとても愛らしかったのに、いつの頃からか目からは光が消え、笑顔の作り方はどこかに置いてきてしまっていた。

「自分から正直に手紙を書いてみたら?」

 消え入ってしまいそうな綾美さんの背中を推してみた。佐野くんのお母さんからの返事はすぐに来たそうだ。

「あれから何年も経つのに一人で抱えて苦しかったでしょう。辛かったでしょう。息子が生きていたら貴女はもしかしたらうちのお嫁さんになっていたのかも知れないですね。こうしてお手紙のやりとりができて、まるで娘を持った気持ちでした。息子が心優しい貴女に出会えていたことは私たちにとってせめてもの救いでした。でも息子はもういません。貴女にはまだまだ未来があります。貴女は生きていかないといけないのです。十分にしていただきました。もうお花は無用です。気にしないでね。貴女の幸せが私たち夫婦の望みです」

 その手紙を握ったまま、どれほどの時間が経ったろうか。空気の動かぬ部屋の中で、綾美さんはひとしきり泣いたという。

「やっと重いものを下ろせそうです」

 と多摩花に来て彼女は言った。もう怖くて恋愛は無理という彼女に、ラナンキュラスとスイトピーを束ねて渡した。花弁が薄くて可憐なラナンキュラスはその見た目とは違い、寒さに強い花だった。そしてスイトピーは思わず笑みが溢れる香りで春の便りだ。花から力をもらってねと言葉を添えて持たせたくなったのだ。

10年の区切り

 花が好きな彼女は時折多摩花に顔を出してくれていた。そう、そしてある年の暮れもいつものようにやってきた。

「三枝さん、佐野くんが亡くなって10年になります。 私、ここで区切りをつけようと思います。そのことを手紙に書いてきたので、これを添えて最後のお花を届けてもらえますか?」

 私は心を込めて、彼女らしい優しいピンクのラナンキュラスとスイトピーで花束を作った。そういえば私の中で佐野くんの花はいつもラナンキュラスだったな。

 それからのち、綾美さんとはなかなか会えないまま、私は再婚を機に多摩花賣所の幕を閉じた。お互いの連絡先も変わってしまい、ニューヨークに渡った私は、もう再会の機会はないものと思っていたのだ。

 時を経てこんな佳い日がやってくるなんて誰が想像したろうか。山あいでの再会はまるで運命の糸が手繰り寄せたように感じた。高尾の山を見上げながら神様の粋な計らいに感謝するしかなかった。


採れたて野菜がおいしい「あめとつち」のある日のランチどれもが食べた瞬間に笑顔になる味。駅から遠い裏高尾にもかかわらず予約がなかなか取れない人気店だったが、現在は茅野市に移転している。



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