都庁で経験したこと(交通局編)
こんにちは、Masakiです。
今回は交通局で経験したことを振り返りたいと思います。
(記事の写真は駅の助役だった際に、非常時訓練の活動写真です。)
※前回の記事はこちら
交通局
交通局では以下のことを経験しました。
都営交通の地下鉄駅助役(現場)
交通局全体の決算書の作成
交通局全体の情報システムインフラの管理(※)
株式会社パスモへの出向(※)
※今回は割愛します。興味がある方はコメントください。
<都営交通の地下鉄駅助役(現場)>
異動する際の人事担当者との面接において、現場を経験させてほしいと願い出たところ、駅の助役を経験させてもらうことが出来ました。鉄道各線からの振り替え輸送や台風・地震などの異常事態時など、数十名のお客様から囲まれるなどの経験等もしました。その中で、現場で一番大切なのはチームワークであることは間違いないですが、それを100%発揮するために、常に非常時に備えてイメージトレーニング行い、それを周囲と日々のコミュニケーションを通じてすり合わせ出来ているかに尽きるなと実感しました。また、駅員に対しては心無いお客様からの声も受けるため、毅然とした対応のための芯の強さも求められました。
現場を指揮するためには必要な要素は様々ありますが、私は常に「お客様の安心・安全が確保された状態での輸送」を提供できるよう心掛け、必要なサービス提供をしてまいりました。当時若い現場管理者ではありましたが、その人間性と気概を周囲に認めていただき、多くの助役や駅員の方々が私に力を貸してくれたと感じております。
<交通局全体の決算書の作成>
駅助役からの異動です。
交通局内で駅の業務しかない人材は官房系に異動することはあまりないのですが、私は主税局時代に簿記1級を取得していたことが理由で、歴代の局長なども通ることも多い財務部門に一本釣りをしていただけました。
ここでの職務を経験して私はまた一つ行政職員として成長することが出来たとともに、緻密な企業会計(決算調製)の経験も得ることが出来たと感じております。
また、都庁だと前任が職場に残ることがあまり多くないのですが、異動時、業務を一つ一つ引き継ぎながら教えてくれる先輩がいたのは私にとって非常にありがたかったです。私に担当業務を教えてくださったその方は非常に優秀で、物事をはっきりと伝えるタイプの方でした。
4月に異動してきたタイミングで既に繁忙期を迎えていたため、先輩にはご自身の業務もある中、多くのフォローをしていただき、何とか決算数値を固め、決算書を議会に提出することができました。
なお、私が異動当初、特に迷惑をかけたのは以下の点です。
やる気があるのはいいが、決算担当者として必要な’緻密性・正確性’の欠如によるミス。
エクセル等を使用する際の一般常識的なルールの無知によるミス。
数十、数百ページにもわたる各行政文書の読み込み漏れによるミス。
毎年行っている業務について、前例踏襲しきれていなかった点。
課題解決のためのアクション案・提案力の不足により、これまでの知識を活用しきれなかった点。etc
私は当時非常に憂鬱でした。毎日毎日、大量の依頼文書が届き、短時間で正確に読むことも困難な能力の中でどのように業務を進めていったらいいのか、日々悩んでおりました。
「前任者は最高学府だから私のような凡人の気持ちなんか理解できるわけない。」
と自らの責任から目を背けてました。また、それを理由にその先輩に甘えていたのだと思います。
そんなこんなで異動してから3か月が経過するころ、その先輩は国に派遣されることが決まりました。
助けてくれる存在(頼り切っていた、甘えていた存在)がいなくなると人間何とかしないといけないと思うもので、そこからが私の成長につながります。
日々多忙な中でも、深夜の時間帯で、過去の引き継ぎ書や手書きのメモ、当時検討していた資料など、残っている資料をすべて洗い、理解がいくまで読み込みました。
また、総務省が出していた会計制度改正の資料や公営企業の経理の手引なども担当する業務の範囲は隙間なく理解するようにとにかく頭の中に情報を詰め込みました。
その成果もあり、あるときからか、気が付くと所属の業務が楽しいと感じる日が来ました。周囲からも認めていただけるようになり、相談されたり、頼られたりすることも増えました。
また、上司からも仕事を任せてもらえるような機会も増えました。
この時の係長が’まさに仏’のような方で、私がどんなに困った状況でも顔色一つ変えず助けてくれる存在で、一つ一つ親身になって助けていただきました。また、同担当の方々も非常に優しい方々で、分からないことをたくさん教えていただいたり、相談させていただきました。
長々と記載しましたが、結論として分かったこと・大切なことは、私の中で以下だと感じてます。
現時点ではできないことでも、努力していればいつかできるようになるかもしれない。
「できないのは各々の能力の違いである」と自己正当化してしまったら、できる日は来ない。
できるようになるための努力を放棄している人に職場のメンバーは手を差し伸べないが、頑張ろうと本気で努力している人には協力を惜しまない。
職場のメンバーは、できないことを「なぜできないんだ」とは問わないで、じっとできるのを待ってくれている。その間は必要なフォローを多分に入れてくれている。
最初からできる側に立つことに越したことはないが、できない側からスタートした場合は、’悔しい(できるようになりたい)’という想いとともに、’猛烈な努力’を経ないと「できない壁」を打ち破ることはできない。
少しずつでも、分かる・できるようになったことを実感してくると自信が付き、主体性が増すことでさらなる成長のスパイラルに入り込む。また、成長することで視野が広がり、周囲への敬意や感謝がより一層増してコミュニケーションの質が向上する。
書いていて昔のことを思い出しましたが、非常に感慨深いですね。
一方で、令和の時代に今振り返ってみると、
・複雑な会計制度を個人の能力で理解しなければいけない点
・最終的にはすべて紙で打ち出し、関数及び集計ミスがないか等も含めて、大量の集計シートを電卓計算で確認しきっていた点
・過去の事例やナレッジなどが、組織の情報資産として蓄積・整備されていなかった点
など、デジタル化がされていないために苦労していた部分も多分にあるなと感じます。
そのため、今の自治体の職員に求められているスキルや考え方は全く別の部分に移転したかもしれません。
そういった意味で改めて、過去にどれだけのことを自身やその職場の先人たちが努力したかをその時代の人たちに受け継ぐ(強要する)のは、今の時代にはそぐわないなと感じました。
次回は政策企画局編を書いていこうと思います。
ありがとうございました。
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