ストレスという心身の異物と向き合えるようになる感覚
ストレス社会を意識するような投稿を続けて書いています。
精神的に不安定だったり、どうしていいかわからないときは
ストレスが関わっていることも多いと思います。
自分にコントロールできない不可解な力が働いているなら
ストレスを言語化することで意識して向き合うことができ、対抗する意欲だったり、共存する余裕が生まれたりしたらいいなと。
苦しめている正体が不明なままでは文字通り苦しいだけですが
ストレスが原因とわかれば客観的に対処できると信じてます。
昨日書いた、ストレス発散/ストレス解消の方法たちは
それ自体はいいものだと思います。(必要なものと昨日書きました)
でも根本的な解決ではないし、かといってストレスをまったく受けないような生活をしようとなるとそんなことが果たしてできるのか疑問ですから
ずっとその方法を続けることが正解とは言えない。。
ではどうするか。
自分は何にストレスを感じているのか。
そのストレスの元は、回避できるのか。
自分にとって無くてはならない恩恵を、ストレスを受けながらも享受しているなら当然回避はできない。
それなら、そのストレスは甘んじて喜んで受け入れる。
それが「向き合う」と言えると思います。
そうすることで、そのストレスは発散する対象ではなくなる
異物ではなくなる、、そういうことがあるのではないでしょうか。
ふと感じた、ストレスとの向き合い方でした。
(何か参考になれば幸いです)
今日もお読みいただきありがとうございました。