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テリトーリオとしての津和野 vol.2: オルチャ渓谷との出会い

『テリトーリオとしての津和野』のvol. 2です。vol. 1をまだご覧になっていない方はぜひこちらからお読みください。


 ここの主題であるテリトーリオとの関わりは、個人的なある映画との出会いがきっかけとなっています。タルコフスキーの映画「ノスタルジア」。その映画は、イタリア中部ラツィオ州北部にあるトゥスカニアのサン・ピエトロ修道院近くを想定した朝霧に包まれた草原のシーンから始まります。バーニョ・ ヴィニョーニの温泉、サン・ガルガーノの廃址、ヴェルディの「レクエイム」の音楽、雨や水の音が印象的に使われ、18世紀のロシア人音楽家の足跡をたどってイタリア・トスカーナを旅する詩人アンドレイの望郷の物語。ここで語るテリトーリオを育んだオルチャ渓谷を舞台にした映画です。(表紙 映画「Nostalghia」1983 冒頭シーン Andrei Arsenyevich Tarkovsky)

 この映画をはじめて観たのは私が大学生の時です。東京・六本木に、シネ・セゾンという普段触れることの少ないアートフィルムを扱う映画館がありました。ここに通い、アラン・レネの「去年マリエンバードで」、ゴッドフリー・レッジョとフィリップ・グラスの「コヤニスカッティ」、フェデリコ・フェリー二の「8 1/2」等といった一風変わった映画を観に行く、よくいる生意気な学生でした。私が建築を学んだ美術大学の卒業制作に取り組んでいた頃は、近代建築の在り方に疑問が投げかけられていた時代で、建築のグローバリズムとも言えるインターナショナルスタイルに対して、土着性、歴史性など、近代建築が排除した「文化」を見直して、独自のコンテキストで再構築していくポストモダニズムが注目されました。そのような時代の中で、私が頼りにしたのが、こうした映画から学んだ物語の芸術。この感覚は今になっても忘れることなく、自分の建築に対する姿勢となっています。そして、「ノスタルジア」の物語が描かれた舞台となった美しい田園景観をもつこの国に強く惹きつけられました。単純な私は早速イタリア語を学び、伊政府給費留学を受験することにしました。運良く最終面接にこぎつけ、卒業制作を持って、面接会場に挑み、大建築家であり恩師でもある芦原義信先生をはじめとした審査員に対してフェリー二とタルコフスキーの映画と出会い、形として出来上がった建物ではなく物語としての建築の可能性に興味をもち、そして今ここに立っていることを懸命に説明しました。妙な奴が来たな、と思われたでしょうが、不思議と合格となり、念願のヴェネツィア建築大学に留学することができました。

 ヴェネツィアを選んだ理由は、1980年にポストモダンを掲げたビエンナーレ国際建築展がはじまり、その中心であった建築大学で教鞭をとる建築家アルド・ロッシ、建築史家マンフレッド・タフーリなどの重鎮たちの元で学ぶことを熱望したからです。しかしより大きな理由が、ヴェネツィアには自動車がなく、歩くか船で移動するしかない都市だということ。歩くしかない、ということは、時速5kmで移動するまちであり、時速50kmに合わせてつくられた現代都市との間に、人と人との関係、人とまちとの関係などにおいて根本的に異なるものがあるはずで、実際そこに身を置いて体験してみたいという好奇心が湧いたからです。このように多少不真面目で興味本位な留学でしたが、滞在中はまちの中を隈なく歩き、一つしかない映画館に通い、留学後、建築雑誌の特集「ヴェネツィアーその現実と空想の場」に、このまちでの研究活動のまとめをさせてもらいました。

霧の中のTeatro del Mondo 世界劇場 1979 Aldo Rossi

 この特集の目的は、ヴェネツィアは水の都という特異な都市構造から、メディアを通して多く描かれた空想性をもった都市である一方、現代社会との間に生まれるリアルな諸問題とのギャップを描きだしていくことでした。この表紙の絵を描いてくれたのが、当時ヴェネツィア在住の画家大黒弘です。独特なタッチで描く彼の作品から、空想性に富んだイタリアの都市や地域を描いた安野光雅の絵画に大きな影響を受けていることが感じ取れます。安野先生は、当時イタリアを描いた多くの作品を発表され、ヴェネツィアなどの物語を描いた歴史小説家塩野七生と同様に新鮮な影響を与え続けてくれた存在でした。そしてこの雑誌の監修を頂いたのがテリトーリオの鍵を握る陣内秀信先生だったのです。
 30年後の2017年、仕事のつながりで友人となった旧津和野藩筆頭家老第19代にあたる多胡真宏さんの実家である武家屋敷を修復するため津和野に訪れる機会を得ました。朝霧に包まれ、サウンドスケープのように川や市中を流れる水路から聞こえてくる水の音が印象的なまち。早朝に山の中腹にある神社に登ると見れる朝靄が立ち込んだ景色が、あの映画「ノスタルジア」の冒頭シーンを思い起こさせます。ここで、イタリアの光と空気を描いた安野光雅の絵画に再会することになりました。不勉強な私は津和野に出会うまで、安野先生がこのまちの出身であったことを知らなかったのです。このまちで安野光雅の絵の前に立つと、彼がイタリアで見出した空気が、津和野への望郷へ繋がっていることを感じます。
 津和野とテリトーリオ。こうした、人から見ればどうでもいい、個人的な小さな歴史に現れたこのまちとの運命的な出会いがきっかけとなり、私はいつしかテリトーリオをこの地域に見るようになっていました。次回、vol.3では、テリトーリオとしての津和野をどのように見ていくのか、考察を深めていきます。

PROCESS ARCHITECTURE 75
「ヴェネツィアーその現実と空想の場」表紙 画:大黒弘
「ゴンドラの唄」イタリア/ヴェネチア 安野光雅 「歌の風景」講談社2001より
朝霧に包まれた津和野川 2023(筆者絵撮影)

一般社団法人津和野まちとぶんか創造センター
理事 中西 忍