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誰かじゃなくて、私から。

大きな声の人がいて、その言葉がとてつもなく強いものだと
さもその未来しか正解がないと思わされてしまいます。
けれども、世界はそんなに単純ではありません。
僕が、あなたが、1人ひとりが、無数の選択をした結果として
この世の中がつくられるんです。
(本文より抜粋)

強いこと、大多数の賛成が得られることが、正しいと、
正義だとされる世界に於いて、弱いことや少数派は間違いだと、認められないことが本当に多いと思う。

例えばそれは、米を嫌いな日本人なんて信じられない!
みたいな、心の底からどうでもいいようなことから、ジェンダーや政治思想みたいな、アイデンティティ、自分とは何か。のような、大事なことまで。

メディアも巷も大きな声ばかりで騒がしい。
小さな声はもはやそういった雑音に掻き消され、見向きもされないのかと肩を落として俯くけれど、私は、本の世界にはまだ、それら小さな声が聴こえるだけの静寂と、発することの赦される優しさと、慈愛が満ちていると思っている。
小さな小さな、か弱き震える声。
しかしそれでいて力強い声を作家は文字で掬い上げ、
読者は本の形をしたそれを両の手で確かに受け取る。
その、静かな2人だけのやりとりが行われる読書という行為に
私はしばしば神々しささえ感じては、
その、第一のやりとりの場である書店という場所で働けることを
心の底から感謝していたことを思い出した。
だから書店では静かにしていて欲しい。
書店では、読み手と作家が、彼らだけにしかわからない、
言葉にならない言葉で会話をしている。
だから本が好き。
だから読書が、私は好きだ。

この本を読んで最初に思ったことが、こんなことだった。
この本はまさに、著者である澤田さんの、
小さくてか弱い声を掬い上げて紡がれた言葉でできた、
とてもとても力強い本。

この本に書いてあることは、決して弱さを盾にして自分のわがままを通す
なんてことじゃない。
弱いことが、実は適正だったことが実はたくさんあるんじゃないの?と問いかける。
実際澤田さんの息子さんは目が見えない。
情報の9割弱を視覚から得ている我々人間には、
見えないということは絶望でしかないと思ってしまう。
澤田さんもそうだった。目の見えない息子を、
どうやって育てたらいいかさっぱりわからなかった。
その時、ブラインドサッカー(目隠しをしてプレイするサッカー)を経験して
実は見えすぎるのではないか、と思ったというのだ。
確かに、ネット社会全盛期の現在、どこを向いても何かしらの情報が垂れ流れていて、注意してみていなくても視野には入っていて
無意識下に、それらは刷り込まれている。
見えないことは、恐怖ですらある。

けれど澤田さんは、目の見えない人を、
不便ではあるけれども、絶対に悪いことではない

と言い切る。
そして、誰もが皆、強いことを是とし、強さが正義であり、
そうじゃないことを恥ずかしいことだと思っているけれど、
できないこと、弱いことは恥ずかしいことじゃない。
それを克服することは確かに素晴らしいけれど、
どうやってもできないことがあった時に
それを生かすことができる社会があればいいんじゃない?と言う。

そういう風に考えられる人になりたいと思った。
人の弱さ、悩み、俯く部分に、火を灯すような人に。

人間は皆完全ではない。
私にだってあの人にだって、皆何かしらの弱さがある。
不得手な部分がある。
それによって迷惑をかけられることがある。
私だって当然かけることがある。
でも、それをあげつらって非難するのではなく、お互い様なんだと言い合える職場で、あの時はしんどかったけれど、頑張ってきたよねと
少し先の未来で笑いながら話せたらいいなと思う余裕を、
この本からもらいました。

不完全だからこそ人生は、
生きる甲斐がある。


これは、ビジネス書であってビジネス書ではない。
弱さを抱える私たちの心に寄り添う本。

全ての人に読んでほしい。

読者が選ぶビジネス書グランプリ2022にノミネートにされた本書、超おすすめです。

https://www.instagram.com/p/CL9CLbKj7EF/

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