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参加することに「意義」はあった!~私の初マラソン~

マラソン大会に参加しよう! 突然思いつきました。還暦間近の夏のことです。

もちろん家族は誰も信じてくれません。

小学校5、6年生の冬の朝自習は、3㎞の田舎道をマラソンするのが決まりだったこと。毎日走っていたので、自分では得意分野だと思っていることを説明したのですが、出てくる言葉は「大丈夫なの?」の一点です。

家族の反応は、だいたい想像がついていました。

今まで走ったことのない人が、50代の記念にマラソン大会に出場するという選択は、無謀といえるでしょう。

でも大丈夫! 自分のことはよくわかっているから無理はしません。

こうしてわたしの50代最後の記念イベントが幕をあけたのでした。


50代の記念として何かを成し遂げたかった


もうすぐ60歳という年齢を意識しだしていたわたしは、50代の記念になることをどうしてもやりたかったのです。

たまたまその「何か」がマラソンだったわけです。

子供たちは2人ともフルマラソンの経験者。息子は今でも現役でマラソンをこよなく楽しんでいる人。夫もスポーツ大好き人間。

最近のわたしは、スポーツ観戦をする専門の人。

何かをやり遂げたという達成感をしばらく味わってないなと気づいたのです。

ある日、ジョギングを終えて帰ってきた息子に「何が楽しくて走っているの?」と聞いたことがありました。

「走っているときは、無になれるんだよ。何も考えないでただひたすら走っている。それが気持ちいいんだよな~」というんです。

わたしもあんなふうに、気持ちよく汗をかきたいなと思った瞬間でした。

土手を散歩していると、ランナーとすれ違うことがたびたびあります。

「あの方は、わたしと同世代かな?」
「あの方よりわたしの方が若いわよね?」

などと、勝手に人間ウォッチングをしては、自分だって走れるんじゃない?と、自分に言い聞かせるための走る理由を探してました。

まあ、120%勢いでマラソンの参加申し込を終えた感じです。



マラソンはそんなに甘いものではなかった


残暑が落ち着いたころ、練習を開始したのです。

3㎞くらいから始めて、徐々に距離を延ばしていこう! というのが当初の計画でした。最初の練習日は、

さー! 走るぞー
わくわくが止まらない!

こんな感じで始まりました。

準備運動は念入りに! これが息子からのアドバイスです。

3㎞くらいなら走れるでしょう。と余裕しゃくしゃくでスタートしたのですが、数十秒後には、マラソンの過酷さを思い知りました。

あっという間に奈落の底に落ちました。

「足がついていかない」「心臓が痛い」「これで10㎞は無理」「うそーっ」「ダメ―」とネガティブな言葉ばかりが頭の中を駆け巡ります。

1番は練習を辞める理由を考えていました。その日は、1㎞を走るのがやっとで、速攻で退散したのです。

なんとまあ、わたしの天狗の鼻はたった1回の練習であっさりとへし折られました。

気持ちは小学生のときのままで、体力は年相応。マラソンランナーだなんて恥ずかしくていえません。

練習再開、休む間もない日々を送る

やっぱり家族の言うとおりだったのです。

この状態で10kmを完走するには、それ相応の練習が必要だとよくわかりました。

家族の「走れるの?」「大丈夫?」とわたしを気遣う言葉の奥には、「無理をしない方がいいよ」という言葉が隠れていることを感じていました。

1回目の練習で弱音を吐いてしまいましたが、ここでくじけるわけにはいきません。

負けず嫌いの私は一度言ってしまったからには、やり切るという選択肢しかありませんでした。

10kmを1時間以内で走り切る。これを目標に練習を続けました。少しずつですがタイムも縮まり、「努力は裏切らない」って本当なんだな~と、時々お気楽さが顔をのぞかせます。

走り出した当初は、完走できないのではないかと弱音を吐いていましたが、手ごたえを感じられるようになり、走ることが楽しくなってきました。

大会2週間前のアクシデント

「調子がいいな」と思っていた大会2週間前の練習のとき、腰を痛めてしまうというアクシデントにみまわれました。

走っているとき、腰に違和感を感じたのですがそのまま走り続けていたのが原因だと思います。

寝返りもできず、犬の散歩に行っても途中で歩くのが辛くなり家族に迎えに来てもらうというありさまです。

痛みは治るどころか増々ひどくなったので整骨院に駆け込みました。

骨盤のずれが原因で痛みがでているとの診断でした。無理はしないという決断をし、あっけなくわたしの挑戦はおわったのです。

自分の体調管理もマラソン大会の一部として大切だということを痛感ました。

こりもせずリベンジ?!

そうです。こりもせずリベンジです!

「ホントに今年もエントリーするの?」と少々冷たい息子の反応でしたが、わたしの意思はかわりません。

  • 準備体操は念入りにすること

  • 違和感を感じたら即中止

そして、体を休めながらの方がいいという息子からのアドバイスを素直に受け入れ、練習は2日おきにすることにしました。

仕事から帰り夕食の下準備をし、わんこの散歩をしてその後3㎞のジョギングがルーティーンになりました。

2日おきだったので、体力的にも楽だったし「走らなきゃ」という使命感みたいなものもなく順調に練習は進んだのです。

こんなに充実した日々を送るのは、いつぶりなんだろう? と思うくらいです。


神様に試されている?

ムリもせず、腰の痛みもなく、順調に練習は進んでいた大会2週間前のことです。(またまた2週間前)

息子が39℃を超える熱をだしました。診断は「インフルエンザ」

そして、嫌な予感は的中します。同じ日の夕方、わたしも39℃を超える発熱です。診断は同じ「インフルエンザ」

二日ほど寝込みました。次第に熱は下がってきましたが体力の消耗は半端なく、完全に回復したと感じたのは、やはり5~6日あとのことでした。

当然のことですが、インフルエンザになった時点で今年のマラソン大会も、心の中では終わっていました。

「えっ! 走らないの? まだ10日あるじゃん」

息子にいわれ驚いたのはいうまでもありません。なぜなら、息子も棄権すると思っていたからです。

完走する自信なんて皆無です。

わたしにとっては、10日しかなかったのですが、息子にとってはまだ10日もあったのです。

息子にとっては当たり前のことなのでしょうが、わたしにしてみると、なんてポジティブな人と。

そのポジティブな人と話していたら、ここまで頑張ってきのに参加しないなんてもったいない。そう思えるようになり、ラスト1週間の練習を頑張れたのです。

そして無事リベンジを果たすことができました。


おわりに・・・

いろいろなトラブルに遭遇しながらも、どうにか完走できたのは家族の励ましや協力があったからだと感じています。

10日しかない、10日もある。

特に息子の言葉は、諦めていたわたしの背中を押してくれるものでした。今回は息子に感謝しなければなりませんね。

息子くん、ありがとう!!

そして、わたしのマラソンの挑戦はこれからも続けていこうと思っています。




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