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「彼女は頭が悪いから」姫野カオルコ
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事件の描写部分に近づくにつれ、身体がこわばってくるのを感じた。
とても痛かった。とてもとても息苦しかった。
自分の事のようで。
姫野カオルコさんは心を鬼にして、強靭な精神力をもって、泣きながら、それ以上に怒りながら書ききったのだ。
我が身を切って、この世の中の不条理を表に出し、怒りの勇気で斬り込んだのだ。
最後まで理解しようとしなかった事件の当事者たち。その親。
でも、最後のつばさが美咲と会話した花言葉のエピソード。
彼は思い返していた。
美咲への対抗意識ではなく。
そして「なんで彼女は泣いていたのかな」と考えている場面でこの物語は終わっていた。
そこがこの本の核なんじゃないか。
相手の状況を冷静に見つめ直し、考える意識。
起きた事を損得で考えず、責任問題とか、マウントがどっちとか、女だから、自分より頭わるいから、家柄がどうとか…
そんなこと全部まずは横に置いて。
人として考える。
自分がその時感じた心を素直に見つめて、相手の様子、心の中を想像する。
そのささやかな動き、アクションこそ、芽生えた希望なんじゃないか。
だって、まごころで美咲を愛しいと思えた瞬間があったのは事実だから。
人を愛しいと思えたのに、守ってあげたいと思えた瞬間もあるのに。
なぜそれがあっと言う間に憎しみ、ねたみ、さげすみに変わってしまうのだろう。
自分の中にある、勝手に作った勝手な価値観を守るため?
自分が仲間から浮いてしまうのを防ぐため?
自分の価値が下がるのに耐えられないから?
そうだな。
この物語は美咲は私であり、つばさは私であると言う事だ。
誰でも美咲になりうるし、つばさになりうる。
そう覚悟してこの世の中を生きる。
そういう場面になった時、自分はどうするのか、問い続けながら生きる。
悪い事を悪いと言えない世の中。
学歴、地位、名誉、功績がある人が人道的に酷い事をしても守ってしまう、気づかないふりをする世の中。
虚しい。
だけど、たいていの人は知っている。
この小説が胸くそ悪いと感じる感覚。
この気持ちを無くしてはならない。
この胸くそ悪さを、ない事にしてはならない。