NO.70 令和6年(2024年)の『草枕』

年始のニュースを見ながら、こんなことを考えた。

年明けの能登半島の地震、日航機と海上保安庁の航空機の事故があり、ニュースを見るのが辛い日々が続いている…
政府の対応は依然として遅いイライラが募るばかり…

年始のテレビはとてもバラエティを見る気分ではないから、かろうじて録画した時代劇などを見てウサを晴らす。

SNSは情報が玉石混交で、立場の異なる人々の意見は交わることがなく虚しくなるだけだから(もう見るのは止めようと思うものの)ついつい眺めてしまい時間を無駄にする…

ふと「末世」という言葉が頭に浮かび、「とかくに人の世は住みにくい」という漱石の『草枕』の冒頭の言葉ばかりが頭の中を去来するばかりでどうもいけない。

『草枕』の文章はこんな風に続く。

「住みにくさが 高じると、安い所へ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと 悟った時、詩が生れて、 画が出来る。 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。」

漱石が『草枕』を書いたのは、明治39年(1906年)、漱石39歳、日露戦争直後の頃の作品だ。

戦死者が激増する現実、その様な戦争を生み出す西欧文化、東洋の芸術や文学について論じ、漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。

漱石が『草枕』を書いてから120年が経過して、第二次世界大戦でこの国は様々なものを喪失したけれど、では何を得たのかと考えると、いささか心許ないように思えてきて、若い時にはピンと来ていなかった漱石の有名な「非人情」という境地が(いささかの苦味をもって)身に沁みてくるような令和6年1月4日の朝だ。




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