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教育における数値評価の弊害

さて、令和6年が始まり、約一ヶ月がたとうとしています。3月には、どの学年でも通知表が出されます。高校受験を控える中学3年生では、成績が内申点に影響することもあり、気が気でない生徒も多いと思われます。今回は、この通知表について、5段階や10段階で評価されます。小学校でも、3段階で△や○、◎などで表される事が多いでしょうか。また、観点別評価も合わせて記載されますので、各観点でABCの評価がされます。

このような評価がされる事については、このような数値を上げようとする事で、勉強しようとするモチベーションになる、観点別の評価を良くしようとすることで、やる気を引き出すといった利点があると考えられます。これは、数値で評価されるので大変分かりやすく、モチベーションの向上に寄与します。

しかし、これはあくまで短期的なモチベーションに過ぎず、長期的なモチベーションには繋がらないのではないか?という事です。

色々な事例が考えられますが、例えば、中1の1学期が5段階中、2だったとしましょう。2学期に頑張ったけど、2。3学期さらに頑張ったけど、また2。という事が起きた場合を想像してみてください。当たり前ですが、勉強に対するやる気は維持されません。いや、それは成績が低く、元からやる気がないからではないか?という考えもあるかもしれませんが、逆でも同じです。1年を通して、5がついたとしましょう。実は、3学期に、それまでの成績に満足してしまい、自分としてはあまり頑張らなかったとします。それでも、5がついた場合、なんだこの程度の頑張りで良いのかという思考になり、やる気は落ちます。そこで、次の年に4が付いたり、3が付いたりすれば、モチベーションは変化すると思われます。したがって、数値で評価することをモチベーションとして維持するためには、数値を変化させないといけない事になります。逆に、変化がなければ、モチベーションを維持する事ができなくなるという事です。

また、小学校から通知表で数値評価を示されると更に困る事があります。それは小学校では、3段階評価だからです。どういう事かと言うと、小学校では、ほとんどの児童が2になります。そして、そのまま中学生になっても2がつく事があります。また、小学校では3がついたとしても、中学校でも3が付くことがあります。したがって、中身は変わったかもしれないが、見た目ではほとんど変化しない子供が大半になるからです。これでは、中学校で4や5が付くようになる子供しか学習に対するモチベーションは上がりません。モチベーションが上がらない結果さらに、成績が上がることはありません。

つまり、上位の子はやる気を上げて、さらに学習しようとするが、それ以外の子は学習しようとしなくなるため、格差が拡がっていく事になるのです。

また、かつては相対評価だったのが絶対評価となった事による影響もあります。相対評価だった頃には、5段階評価のうち、当てはまる生徒の割合が決められていました。そのため、毎日通って授業を受けている生徒でも1がつけられました。しかし、絶対評価では、1がほとんど付きません。なぜか?指導と評価の一体化という観点から、指導したにも関わらず、何も身に付いていない状況である1は、指導の仕方に原因があるのではないかという事になるわけです。また、評定をつけ、高校への調査書に載る事からも絶対評価を機にできるだけ1を避けるようになってきたと言えます。

そうなると、中学校では3の次に2が多くなります。そして、実質1がない状態です。そうするとどうなるか。2が付いた生徒は、学習に対する意欲がなくなります。当然、学力も下がってしまうため、さらに格差が拡がる事になるのです。したがって、2が付いてしまう子は、ずっと2になってしまいます。今では、昔のように得意教科だけ4や5がつくとか、得意分野の時だけ4があるが、2もあるというかような生徒はいません。これは、絶対評価をしているために起こる弊害です。

では、どうすれば格差を無くせるか?絶対評価による数値評価をやめる事です。観点別のABCだけにする。そうする事で、評価に変化が、生まれます。すると、モチベーションが上がったり下がったりします。少なくとも、小学校で絶対評価による数値評価は不要です。なぜなら、小学校の学習ですら、モチベーションがなくなってしまうのですから。実際、小学校では、◎などで表し、数値化していません。ただ、それでは記号に置き換えただけなので、あくまで印象の操作でしかありませんが。小学校では、いっそ通知表をなくす方が、主体的に学習する態度が育まれるのではないかと思います。

さて、さらに数値評価の弊害はそれだけではありません。それは、保護者が小中学生の頃も、数値評価だった事に起因します。数値評価は分かりやすいため、親がかつての自分の数値と子供の数値を比べてしまうという問題があります。つまり、親は、自分は4だったのに、子供は3しか取れないというように、子供の学習の様子を数値で判断してしまう事があります。そうなると、子供に「もっと勉強しなさい」とか、「そんなことでは高校や大学に行けない」とか、そういった言葉かけになりがちになってしまいます。すると、子供はさらにやる気を失う事でしょう。
しかし、勘違いしてはいけないのは、保護者が中学生だった頃の評価の仕方とは違うという事です。かつて観点別評価もなく、相対評価で付けられていた数値とは意味合いが異なるのです。保護者の時代は、テストさえ点数を取れば良かった。しかし、今5を取ろうと思えば、テストとレポートと、振り返りなどをきちっとやらなければ取れません。
そこは、どこまでの保護者が理解できるかというとかなり難しいとしか言えません。やはり、かつてと同じ数値評価にする事で大きな誤解を生んだままになってしまいます。

また、逆の事もあります。保護者はかつて1で、子供が2であるパターンです。保護者の1は、相対評価の時代でしたので、テスト点で40点でも1があり得たわけです。しかし、今は、1がつくのは不登校の場合ぐらいなので、テストで10点でも2がつきます。そうすると、実態がどうであったとしても、2と1でしか比べられないので、子供からすると「自分の方が親よりも成績が良い」と勘違いしてしまいます。そんな親から勉強しろと言われたとしても、中学生ぐらいの年代の子供は素直に聞き入れないでしょう。場合によっては反発する事も少なくないと思われます。すると、自分より勉強のできない親ですら仕事につけているのだから、勉強しなくても大丈夫と考えるようになります。こうして、格差が大きくなるのです。

学力の二極化が問題視され始めた時期は、絶対評価が導入されてしばらくしてからではないでしょうか?つまり、絶対評価の導入は、学力の向上、主体的に学習しようとする態度の育成において、失敗であったと言わざるを得ないと言えます。

さらに観点別評価は、教師の多忙化も招きました。

観点別評価を継続するのならば、絶対評価の数値で通知表を出すやり方をやめるのが良いと考えます。そうでないと、モチベーションを失った子供たちの学力は伸びません。また、そのせいで教師のモチベーションも上がりません。教師不足も問題になっている今、失敗を失敗と認めて、別の切り口で現状を捉え直さないと、教師も増えず、不登校は増加し、不満の溜まる保護者が増加していくばかりでしょう。

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