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誠実にいきるために
自分だけの利益のために、誠実ではない判断をしそうになった時、自分を信じずにルールに従う。
つまり、自己のクレドは冷静なときに作った掟であり生きるためのルールなのだ。
それに従う。
僕の書籍、惹き寄せるチカラには、人間の心には裏切りや邪悪な部分と、綺麗な善良な良心があり、それが心というコップの底にあるか、上層部分に浮き上がるかの違いだと考えている。そんなことが書かれている。
つまり、「常に誠実になりたい!」と思っていても、状況の変化や場面でどうにも変わる。しかし、そんな自分の本質と方向に心が動きそうになったときは、自分のルールに従う。
もし、動いたら、心から謝罪する。
どんなにアゲンストの風が吹いても自分が決めたルールに従い船を漕ぐ。
老婦人の絶対的用心棒タマルがピストルを青豆に渡す時に「自分よりルールに従え」と伝えた。こんなようなシーンが村上春樹の1Q84にはあった。人を殺す修羅場で感情に慣らされず、ルール通りやれば良いということなのだ。
このルールは哲学のようなものかもしない。経営者や政治家がブレるのは、哲学もクレドも何も持ってない。そんな人達は信頼できない。そして、交わりたくない人達だ。
楽しく遊んでいても、肝心なときに裏切られる。
そんな心配をして僕は毎日を送りたくない。